「イアン・ペイス」
1948年6月29日生まれの72歳
何かを想像できるなら、それを作り出せる
これこそが私たちがアルバムを作るときに
やろうとしていることだよ
最新作『Whoosh!』ではとてもうまくやれて
様々な感情をアルバムに入れることができたと思う
ニュー・アルバム『Whoosh!』をリリースするディープ・パープル。唯一のオリジナル・メンバーである稀代の名ドラマー、イアン・ペイスに話を聞いてみた。
— 今はどちらにいるのですか。(注:インタビューは6月19日)
イアン:今はイギリスの自宅にいるよ。この3ヶ月は、みんな自宅にいるしかなかっただろうけれど、幸いなことに私は大きな庭のある家を持っているからね。難しい時期ではあったが、酷い状況では無かったよ。
— イギリスの状況はどんな感じですか。
イアン:そうだね、社会的、そして政治的な変化はゆっくりだけど起こりつつある。パンデミックの状況が一番酷かったのは、2-3週間前じゃないかな。私の住んでいる所では新たな感染者も出ていなくて、病院も普通の状況に戻っている。今のところ良い感じだね。
— ロックダウンの間は何をしていたのですか。
イアン:ずっと家にいたから、最初はあまりやることがなかった。私の甥、一番上の姉の息子、ヘンリーが私の家に来ているんだ。彼の住んでる家をリノベーションしているから。そのヘンリーが「こんなにたくさんのスタジオやライヴのビデオがあるなら、編集してYouTubeチャンネルを始めたらどう?それで時間も潰せるし、見たい人もたくさんいるはずだよ」なんて言ってくれてね。ここ4-5週間は、それをやっているんだ。確かに楽しいけれど、映像を集めて編集して、音を調整したりするだけで、毎週3−4日とられてしまう。というわけで、忙しくしていたけれど、とても楽しめたよ。
ー ニュー・アルバム『Whoosh!』が発売になります。前作、前々作などと比べた場合、どのような内容になっていると言えますか。
イアン:プロジェクトの中にいると、客観的にそれを見るのは難しいものさ。数ヶ月前には何も存在していなくて、そこからリハーサルをやって、無から何かを創り出す。友人たちと一緒にね。私たちがやろうとしているのは、バンドを常に音楽的に興味深く、時に社会的なことにも目を向けつつ、発展させ続けることだ。もしこのアルバムが、もともとの予定通り4月に出ていたとしたら、その内容は世界の状況と驚くほど関係深いものになっただろう。このアルバムの何曲かは、この世界の扱いに関して、私たちという種はあまり賢くないということについてなのだから。音楽、特に西洋音楽については、そのスコープは非常に限られたものであるということを理解する必要がある。いろいろなコード、そしていろいろな音符があるが、そのすべてが過去に何らかの形で使われている。だから試しているのは、すでに過去にやられたことを、人々に「これは見たことがある」とか「これは聞いたことがある」と気づかれずにやる方法なんだ。それこそが人間の持つ才能であり、これを想像力と呼ぶのさ。
何かを想像できるなら、それを作り出せる。これこそが私たちがアルバムを作るときにやろうとしていることだよ。
最新作『Whoosh!』ではとてもうまくやれて、様々な感情をアルバムに入れることができたと思う。難しいことではないよ。ただ、同じことを何度も繰り返すわけにはいかないということに気づく必要がある。チャレンジしてミュージシャンが楽しくプレイ出来るような、リスナーが楽しく聴けるような、小さな、微妙な変化を見つけるんだ。少し時間はかかるけどね。私たちの場合、誰かが完成した曲を持ってリハーサルにやってくるということはほとんどない。まあ、まずないね。たいていは誰かが小さなアイデアを持ってきて、そしてそれが良いものであれば、みんなでそれがどんな音楽的可能性を持っているかを探っていく。もしそれが良いものでなければ、みんな無視をして出ていって、コーヒーを飲むのさ。自然とそうなるんだ。朝、何も、あるいはほとんど何もアイデアなしにスタジオに入って、そして6時間後には、曲となる可能性を持ったものを1つ2つ3つ持って帰るなんてことになる。大変な作業だけれども、いったんアイデアを得られれば、後はわりと楽なんだ。いつも言っていることだけれども、ポール・マッカートニーやフィル・コリンズ、エルトン・ジョンの曲を歌うのはたやすい。だけど、それらの曲を書くのは容易ではない。難しいことだよ。アイデアさえできてしまえば、後はそれを演奏してしまえばいいわけだからね。ニュー・アルバムでは、新しいこともいくつか試したと思うし、みんなが楽しんでくれることを期待しているよ。
— あなたはドラム担当なので、おそらくレコーディングは一番に終わり、残りを他のメンバーが仕上げていくという順番だと思います。最終的に出来上がったアルバムを聴くと、どんな印象なのでしょうか。想像していたものとまったく違っていたなどということもありますか。
イアン:アルバムをレコーディングする時は、私はなるべく早く仕上げるようにしているんだ。最近では、一番長くても10日、『Whoosh!』では8日間だった。それで私はスタジオを去り、他のメンバーに任せて仕上げてもらう。イアンとロジャーが歌詞を書いて、メロディーラインを乗せて。だから私がアルバムを聴くのは、完成したときなんだ。日々の進捗には興味がないから。他のメンバーが私を信用して私にドラムパートを任せるように、例えばイアン・ギランがメロディーを考える段階になったら、私は一切口を挟まない。私の得意分野ではないしね。私は自分のパートを終えたら、スタジオを去ってしまうから、出来上がったアルバムを初めて聞くときは、これを買って聞く人とほぼ同じような感じなんだよ。もちろん、どんな曲かは知っているけれど、最終的にどんなサウンドになるかは知らないし、彼らの仕上げ方が私の想像と違うこともあるからね。だから、まるでファンの1人のように、初めて出来上がったアルバムを聴くのはエキサイティングだよ。すべてを知っていたら、そこにはもはや謎はない。人生において謎があるというのは良いことだからね。「これは予想していなかった」とか、「イアンがこれをやるとは」とか、「こんなソロは予想していなかったな」とかね。毎日の進捗には興味がないから、私がアルバムを聴くのはマスターが仕上がってからなんだ。アルバムを作るというのは、とても負荷のかかること。人間ではなくて、容赦のないマシンに向かってプレイをするのだから。ちょっとしたミスも見逃さないマシンに向かってね。だから、スタジオでは自分のパートを完全に正しく演奏するための集中力が必要になる。そして自分のパートが終わったら、数ヶ月はもうそれらを聞きたくなくなるのさ。自分のパートを正しく演奏するために集中しすぎて、そこから逃れたくなって、そして自分のプレイしたことを忘れてしまう。だから、出来上がったアルバムを聴くと、新鮮なんだよ。自分のパートが終わってしまえば、スタジオで過ごした8日間は、ずっと昔のことになるのさ。
— ヘヴィな音楽に魅かれ続けてきた理由は何ですか。
イアン:それがどれだけ良いものかにも依るよ。どんな音楽でも同じだけれど。良い音楽には、そこにアーティスティックな理由がある。私は良いカントリー&ウェスタンの曲も楽しめるけれど、悪いものはだめだ。良いジャズは楽しむことができるけれど、エレベーターでかかっているようなものは楽しめない。それがどんなにヘヴィなものであっても同じことさ。音楽的にクオリティが高いもの、非常に興味深いものは楽しめる。しかし、そうでないものもたくさんある。ラップのほとんど、95パーセントくらいには興味がないし、興味を持つ音楽的理由もないけれど、時々レコードを聴いて「これは凄くいいぞ!」なんていうこともある。クリエイティブでアーティスティックなら私は楽しめるのさ。良いものならそれがどんな音楽かは関係がない。100年に渡ってさまざまな音楽が録音されてきたけれど、ほとんどのものは平均的でしかない。その上のほうに素晴らしい作品があって、それらが重要なんだ。すべてのレコードが『Sgt. Pepper’s』になれるわけではない。すべてのレコードがマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』になれるわけではない。これらは特別な作品で、普通の作品があるからこそ、これらが特別になる訳だけれど。いつの時代もそういうものさ。写真でも音楽でも、彫刻でも演劇でも、平均的なものはたくさんある。そして本当に優れた突出したものは、その素晴らしさで人々の記憶に残り、人々を楽しませるんだよ。
— 今のロックシーンについてどのように思いますか。70年代、80年代と比べた場合、良くなっていると言えるでしょうか。
イアン:いや、良くなってはいないどころか、ずっと悪くなっているよ。演奏が下手になっているという意味ではない。世界には、私たちと同じように自分たちのやっていることを楽しんでいる素晴らしい若いミュージシャンもいるからね。だけど、彼らにとって状況は厳しい。私が15歳の頃、初めて地元のバンドに入った時は、毎週3回はコンサートをやることができた。まあ、コンサートというほどのものでもないけれど、地元のパブやホールで毎週木金土、あるいは金土日とプレイしたものだよ。週4回やることすらあった。今は若いバンドがそんなことはできないよね。月に2−3回プレイできれば良い方だから、自分たちのやりたいことを素早く学んでいく機会がないんだ。私は17歳でプロになった時、すでに数百回のショウを経験していたけれど、今は17歳でステージに足を踏み入れたことがないなんていうこともある。プレイできる場所がないのだから。今の方が状況は良くないというのはそういう意味さ。若いミュージシャンがステージでのコントロールの仕方を学ぶ。これは自分の部屋で一人で、あるいはガレージで友人たちとプレイするのとは違う。間違えても問題ないからね。だけど、ステージに立って、オーディエンスの前に立っている時は、お客さんが少なくても多くても、正しく演奏をしなくてはいけないし、10分プレイして「疲れた」なんて言うこともできない。すべてをやりきらなくてはいけないし、それは頻繁にステージに上がることでしか習得できないのさ。ステージの経験がなければ、それは問題になりうる。
8年前にカナダの大きなカジノでプレイしたことがあるのだけど、私たちの前の晩に別のアーティストが出ていてね。彼はアメリカン・アイドルだかアメリカン・ポップ・スター・コンテストの優勝者だから、北米では誰もが知っている。それはともかく、私たちも会場にいたのだけど、そこにいた全員がコンサートが始まって15分で出て行ってしまったんだ。彼にステージの経験が無かったからさ。テレビのスタジオで歌った経験はあっただろうが、そこではすべてのものがきちんとコントロールされている。だけど、ステージでは毎晩何らかのトラブルがあって、それにどう対処するかを学ぶ必要があるのさ。自分の仕事を適正にこなすことを学ばなくてはいけないのだけれど、今のキッズたちには私たちがやったようなやり方で学ぶチャンスがあるとは思えない。
— 一方で今はYouTubeなどもあるので、若者たちが簡単に楽器を学べるということもあり、テクニック的には非常に向上しているように見えます。
イアン:うーん、YouTubeは若くて知名度の低いミュージシャンたちが、人々に才能を見せるには素晴らしいものではあるけど、やはり私が言いたいことは変わらない。あれはステージとは違うものさ。若いバンドが自分たちのやったショウを載せているのなら素晴らしいけれど、ほとんどの若者は自分の家にいて、バンドにも属さず、他のミュージシャンと交流しているわけでもない。ただ、習得したスキルが非常に優れているというだけ。もう一度言うが、多数のステージをこなすべきだし、それを若い時に経験するべきなんだ。まだ変化にオープンで、それを脳が受け入れられる時期にね。YouTubeが才能を見つけてもらうための手段として素晴らしいことには同意する。自分を世界に向けて宣伝し、何か光るものがあれば、チャンスがあるということ。だけど、それはやはりステージに立ってアートを学ぶことの代替にはならないのさ。わかるかい、ショウを20回やれば、そのうち1回はパーフェクトなものになるだろう。トラブルもなく、演奏もバッチリ、音も素晴らしい。だけど、残りの19回は、大問題でなくとも何かしら起こる。そうやって対処の仕方を学ぶんだよ。音が悪い、モニターが壊れている、ショウに遅刻した。これらのことは、どれもギグに影響を及ぼす可能性があるし、こういうことにどう対処するかを知る必要があるのさ。
— あなたがバンドを始めた頃は、こういうスタイルのドラマーはいなかったですよね。先例がない中で、どのようにしてスタイルを確立していったのですか。
イアン:60年代終わりから70年代初めのイギリスには、異なった個性を持ったドラマーが何人かいた。プレイスタイルという意味での個性があったから、誰がプレイしているのかよりはっきりとわかったものだよ。ヘヴィなバンドが色々と出てくる以前にも、クリームのジンジャー・ベイカーや、ジミ・ヘンドリクスのバンドのミッチ・ミッチェルなどがいた。この2人は傑出していて、すぐに誰がプレイしているかわかった。ジンジャーにも自分のスタイルがあったし、ミッチはヘンドリクスと素晴らしいジャズ・ロック的なことをやっていた。そして次に私やジョン・ボーナム、ビル・ワード、コージー・パウエルなどが出てきたわけだけど、そのほとんどは独学だったんだ。他の奴らのプレイを見たり、レコードを聴いたりして自分で学んでいった。そうやって私たちはみんな違ったプレイの仕方を身につけていったから、レコードを聴けば誰がプレイしているのかわかったんだよ。ジョン・ボーナムは特にプレイの仕方だけでなく、音にも個性があって、すぐにジョンだとわかったものさ。3分間のポップスのシングルを作らなくても良い時代にやれたというのはとても幸運だった。市場が音楽をコントロールするのではなく、音楽が市場をコントロールする時代だったんだ。長い時間をかけて何百回ものショウをやってきた若い素晴らしいミュージシャンたちは、おそらくまだ19−20歳くらいで、彼らの音楽的スキルを発揮できる音楽的表現を必要としていた。だから、パープルやツェッペリン、サバス、ジェスロ・タル、いくらでも名前を挙げることができるけれど、私は当時のシーンにいることができたラッキーなミュージシャンの1人ということ。ふさわしい国で正当に頑張って爪痕を残すチャンスを与えられたんだ。今の若いミュージシャンたちのテクニックは本当に信じられないものさ。私は大したテクニックを持っていないし、若い奴らの何人かがやっていることは私を超えているだろう。だけど、みんな同じにしか聞こえない。まるでみんなが同じ本を持っていて、それで学んでいるかのようだ。だから、素晴らしいドラマーは何百人もいるけれど、70年代と違って音を聞いても誰がプレイしていのかわからない。これはスウィングしていて素晴らしいからリンゴだなって、すぐにわかったものさ。当時は人々は音楽に対する自分なりの解決法を見つけていたから個性があって、誰のプレイかがわかったんだよ。だけど、今では極一部のビッグ・スター、ラーズやデイヴ・グロールを除けば、ドラマーが誰なのかはわかりはしない。みんな同じサウンドだからね。いかにうまくプレイをするかではないんだ。自分の作り出す音楽に、自分の個性をスタンプしなければいけない。時にそれは自分の外部人格であったり、時にそれはプレイの仕方に現れる。自分のスタイルというものを、人々にわかってもらわなくてはいけないのだけど、今はそれが難しいように思える。みんなが同じ学び方をしているからね。ドラムのチューニングの仕方も同じだからサウンドにも違いは無くて、フィルのやり方もみんな同じように学んでいる。老害みたいに聞こえるかもしれないけど、私はそれが欠けているものだと思うんだ。これはギターでも同じことだよ。これはジェフ・ベックだ、これはヘンドリクスだ、これはリッチーだとわかったものさ。今はそれも難しくなっている。
— 人生を変えたアルバムを3枚教えてください。
イアン:まだ子供の頃、初めての小さいドラムキットを手にした頃、ジーン・クルーパという人がいて、3人の他のドラマーと、クラシックの楽曲をジャズ・ヴァージョンにしたアルバムを出していた。『Percussion King』というタイトルさ。4人のドラマーが、まるで彼らがオーケストラの一部であるかのように、一緒にやったりソロでプレイしたりするんだ。ただのパーカッション・セクションというのではなく、様々なドラムのサウンドや様々なリズムの可能性を試していて、彼らはまるでオーケストラの音楽的一部分かのようで、とても刺激を受けたよ。ドラムが持つ可能性の虜になってしまった。それから何年か経って、15−16歳になると、ロック・バンドで仕事をしていていね。自分の世代の音楽を聴くようになっていた。間違いなくザ・ビートルズからはとてつもない影響を受けたよ。すべてのレコードが素晴らしかった。美しく演奏された曲が本当に素晴らしいということに加え、リンゴのスウィングやフィーリングはパーフェクトだったね。ビートルズには悪い曲なんて一つもない。すべてが素晴らしいのだから。それから、ザ・フー。キースは、新鮮な息吹だったとは言わないけれど、啓示だった。ザ・フーが出て来た頃、あの素晴らしいシングルの数々、一番最初の「I Can’t Explain」とか、彼らの最初のリリースはヒット・シングルで、ハードなロックンロールだったんだ。ザ・フーは当時最初のヘヴィ・メタル・バンドであったことを覚えておく必要があるよ。あんなものはそれ以前には存在していなくて、ザ・フーがすべてを変えたのさ。音楽はさらにパワフルになり、間違いなくずっとラウドになった。タウンゼンドの書く曲もただただ素晴らしかったし、他の3人、ダルトリー、ムーン、そしてエントウィッスル、私は幸いにも何度か彼らのオープニングをやることができたけれど、怖かったよ。一撃を食らわされる感じで。素晴らしかった。ザ・フーの最初の何枚かは本当に素晴らしかったね。これで『Percussion King』、ザ・フー、あとは『Sgt. Pepper’s』も啓示だった。あれは新しいアートの形式を提示したよ。スタジオで演奏することだけを目的としたアート・フォームさ。決してライヴではやらない。彼らが使ったスタジオのトリックやテクノロジーは、当時ステージでは再現できないものだったからね。今ならできるかもしれないけれど、何しろ50年も前の話だから。私の人生に影響を与えたこの3枚を振り返ってみると、ザ・フーの最初のレコード、『Percussion King』、『Sgt. Pepper’s』は画期的なもので、それまで想像すらしなかったものを聴いている感じだったね。
— では最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。
イアン:今年はあまりにたくさんのライヴが予定されていたから、日本に行く予定があったのかはわからないけれど、いずれにせよコロナのせいですべてが無くなってしまった。いま来年のツアー日程をまとめているところだけど、もし日本に行ける可能性があるならば、すぐにでも飛行機に乗って行くよ。日本ではいつも素晴らしい時間を過ごしているし、日本のオーディエンス、ファンとは長い間一緒だからね。オーディエンスの興奮を感じる国々もあるけれど、日本では愛を感じるんだ。とても素晴らしいフィーリングだから、日本に行くとそれを味わうようにしている。それに私は日本のものが何でも好きだからね。また日本に行って素晴らしいレストランに行くのが待ちきれないよ。食べ物も大好きなんだ(笑)。
文 川嶋未来
*https://wardlivemedia.com/interview/ian-paice_2020/ より
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