「笹の才蔵 可児吉長」
可児 吉長(かに よしなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。槍の名手として知られた。通称の才蔵(さいぞう)でよく知られており、以下本稿でも才蔵と記す。
笹の指物を背負って戦い、戦いにおいては敵の首を討つことが常に多くてとても腰に抱えることができなかった。
このため指物の笹の葉をとって首の切り口に入れておいた(あるいは口にくわえさせた)という。
このため、才蔵の討った首と合戦の直後にすぐにわかったという。
これらの経緯から、「笹の才蔵」と称された。笹を敵の首に入れだしたのは森長可に仕えていたころとされ、甲州征伐で森長可が460余の首級を実検した際、才蔵は3つの首を持って長可の前に現れ、「16の首を捕り申した」と豪語した。長可が3つしかないではないかと訝ると「首が多すぎて捨てました。ただし捕った首には笹の葉を含ませて置いて参りました」と述べた。
長可が調べさせると笹を含んだ13の首級が見つかり、才蔵はこの時から笹の才蔵の異名を取った。笹(ささ)を口に含ませるということは、酒(ささ)を討取った相手に飲ます最後の手向けという意味合いもあるといわれる。
*Wikipedia より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます