いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 秋田 納豆汁

2024-02-28 09:04:48 | 郷土料理

 「納豆汁」

 主な伝承地域 県南地域内陸部、由利本荘市中直根地域

 主な使用食材 納豆、里芋、油揚げ、きのこ、わらび、豆腐

 歴史・由来・関連行事
 納豆汁はていねいにすり潰した納豆を混ぜた味噌汁で、秋田県南地域に伝わる郷土料理。全国各地に納豆発祥の地があるが、現在の横手市もそのひとつである。同地が舞台となった後三年の役(1083~1087年)のころ、物資の供給に苦しむ源義家側に農民が兵糧としてわらで包んだ煮豆を届けた際、数日経った煮豆が変色し独特な香りで糸を引く豆に変化してしまい、試しに食してみたところおいしかったことから、農民たちが納豆として作るようになったといわれている。また、この言い伝えから横手市・金沢公園に記念碑が建てられた。
具のメインとなるきのこや山菜は、春や秋に採ったものを塩蔵しておき、納豆汁を作るときに塩抜きして使用する。手間がかかるため、冠婚葬祭などハレの日の料理として定着した。
 味噌汁にすり潰した納豆が入ることで、独特のコクが生まれ、まろやかな味になる納豆汁は、県南地域の内陸部では老若男女問わず人気があり、多くの人がこれを食べることを冬の楽しみにしている。

 食習の機会や時季
 正月といえば雑煮だが、秋田県南地域の内陸部では納豆汁が定番。大きな鍋で作り、三が日の間温め直して食べる習慣が残っている。秋田の冬は寒さが厳しく、野菜不足を補うために納豆を入れて汁にして食べるとも伝えられる。

 飲食方法
 煮干しでとっただし汁で里芋と油揚げを煮て、きのこ・わらび・豆腐を加え味噌で味を整える。すりつぶした納豆を加え、ネギとからし菜をのせる。具は保存がきく山菜が多く入れられる。すべての食材からの旨味が、発酵食品の王様ともいえる納豆と味噌とよく絡み合う。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 2008年に大仙市大曲商工会議所が中心になって、納豆汁を地域の代表料理として街を活性化させようという取り組みがあり、現在では大曲市内の十数店が認定店として提供している。店舗によってはオリジナルメニューや納豆汁の特徴を生かしたラーメンなどのメニューもある。こうした取り組みの甲斐あって、現在は冬になると納豆汁の具材を集めたコーナーがスーパーに設けられるようになっている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/29_5_akita.html より

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<おせち> 沖縄 サーターアンダーギー

2024-02-28 09:01:39 | おせち

 「サーターアンダーギー」

 主な伝承地域 県内全域

 主な使用食材 小麦粉

 歴史・由来・関連行事
 中国からの影響を受け発展してきた琉球王国は、琉球菓子にも中国風と和風が入り混じっている。そこに菓子職人たちの洗練された技法が加わり、暑い沖縄県の風土に合ったものが生まれてきた。特に日持ちのよい揚げ菓子や焼き菓子などが多くあり、祝い事などの行事や儀礼などの催しには欠かせない。全国的に沖縄県のお菓子、おやつとして知名度が高いのが「サーターアンダーギー」で、小麦粉を卵、砂糖と合わせてこねて油で揚げた沖縄風のドーナツのこと。揚げることで生地の片側が割れ、チューリップの花が咲いたような形になるのが特徴。中国から伝わってきたお菓子と考えられており、中国菓子の「開口笑(かいこうしょう)」や「開口球(かいこうきゅう)」と似ている。「アンダーギー」はてんぷら衣のような生地を揚げたものを指しており、サツマイモや紅イモを使った「ンムクジアンダーギー」や、砂糖を使わない「白アンダーギー」という料理もある。

 食習の機会や時季
 家庭で作られるおやつとして食べられているほか、大切な行事や儀礼などでは伝統ある琉球菓子として振る舞われており、沖縄県内で最もポピュラーなお菓子である。

 飲食方法
 蒸してつぶした紅イモやカボチャ、ニンジンなどを混ぜ合わせたカラフルなアンダーギーも県内では人気だ。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 家庭で一般的に作られるほか、県内の飲食店でも味わえる。また、贈答用やお土産用としても販売されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/47_8_okinawa.html より

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うまいッ! NHK「知られざる高級食材 黄ニラ~岡山市~」

2024-02-28 08:53:18 | うまいッ!NHK

 うまいッ!「知られざる高級食材 黄ニラ~岡山市~」 2013年12月08日

 番組内容
 黄色に光り輝く美しい色艶ゆえ、料亭や中華料理店で重宝される高級食材「黄ニラ」。歯切れの良い食感と上品な甘さが特長。全国のおよそ7割を生産する岡山県では、さっと湯通しした黄ニラのにぎりやちらし寿司が名物になっている。日光を遮断して栽培すると、緑色ではなく黄色のニラができるが、そこには生産者の並外れたこだわりと苦労が。黄ニラ作り60年の老夫婦に密着し、岡山名産の知られざる「黄ニラ」の魅力に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201312080615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 

 生産量の7割を誇る岡山の『黄ニラ』は上品な香りと甘みが自慢

 明治初期から栽培がスタート。今や全国一の生産量を誇るまでに

 鮮やかな黄色をまとい、上品な香りと風味が楽しめる黄ニラ。全国的に珍しい黄ニラの栽培が岡山でスタートしたのは、明治5(1872)年頃。一時生産量が激減したものの、昭和55(1980)年に露地での栽培方法が確立されると、飛躍的に発展。現在は、全国の約7割の生産量を担う産地へと成長を遂げ、関東を中心に出荷。今では、岡山を代表する農作物のひとつとして、全国に向けて黄ニラの魅力を発信しています。

 太陽光を遮断することで、上品な香りと甘みを生み出す

 全国一の生産量を誇る岡山県の中でも、岡山市北区にある牧石地区は、良質な黄ニラを栽培する一大産地。三大河川のひとつ・旭川のほとりに位置し、水はけのよい砂壌土に恵まれた場所で、多くの農家が黄ニラ栽培に励んでいます。

 「黄ニラと緑色の青ニラは、実は同じものなんです」と教えてくれたのは、牧石地区で栽培を行っている黄ニラ部会部会長の伏見さん。ニラには緑の色素と黄色い色素があり、光合成によって緑の色素が増え、全体が緑色になるのだといます。そのため、特殊な黒いシートで太陽光を遮断する「遮光栽培」という独特の方法で、光合成させないようニラを栽培。
 こうして生まれる黄ニラは、美しい黄色が印象的で、上品な香りと甘みが感じられる逸品に。さらに、生でも食べられるほど繊維が柔らかく、シャキシャキとした独特の食感が、口にした多くの人を魅了しています。

 黄ニラの拡大を目指し名物料理がたくさん!

 さっぱりした味わいなので、どんな料理にも合わせやすいと評判の黄ニラ。岡山では、普段の食卓にも上手に黄ニラを取り入れています。たとえば「黄ニラのおひたし」。軽く湯通しし、水気を切っただけのシンプルな調理法ですが、黄ニラの上品さが際立つひと品として評判です。
岡山の郷土料理の「ばら寿司」に黄ニラを彩りよく散らした「黄ニラばら寿司」も、新たな名物として定着しつつあります。

 また最近では、黄ニラを使った加工品も登場しています。創業約150年の歴史を誇る『とら醤油』が醸造する「黄ニラしょうゆ」は、黄ニラの風味が活きただし醤油。卵かけご飯や釜玉うどんなど卵料理と相性のよい一品です。
 手間と時間のかかる栽培方法のため、通常の青ニラに比べ値段は3~4倍もする高級食材としても知られ、流通量にも限りがあるため「幻のニラ」とも呼ばれる黄ニラ。郷土が誇る魅惑の逸品を、一度味わってみてください。

 取材協力:JA岡山 沖田営農センター

*https://www.okayama-kanko.jp/feature/made_in_okayama/20 より

 

 「黄ニラ」

 主要産地 赤磐市、美咲町
 見た目の美しさだけじゃない!
 甘く柔らかい、シャキシャキ食感が特徴
 黄ニラは、普通のニラで光を遮断して栽培することによって、葉緑素の発生を抑えて黄色にし、収穫した後は太陽光に当てることで鮮明な黄色になります。見た目が美しいだけでなく、生で食べられるほど柔らかく甘みもあります。
 独特の臭気があることから中国語の「においきらう(香嫌)」これが「にら」に変化したとも、また、おいしいという意味の「みら(美辣)」これが「にら」に変化したとも言われています。

 記憶力アップが期待できます!
 特有の強い香りの成分「アリシン」は、ビタミンB1の吸収を助け、糖の代謝を円滑にします。さらに自立神経を刺激して新陳代謝を活発にする働きもあるといわれています。  葉ニラには含まれていない、脳の老化を食い止め、記憶力をアップさせるといわれているアホエンという物質が含まれています。アホエンの含有量はニンニクの方が多いですが、100度以上の熱を与えると効果がなくなってしまうので、熱を与えずに調理が可能な黄ニラの方が、摂り込みやすくなっています。

 黄ニラが黄色な理由!
 黄ニラはニラの葉が伸びる前にシートで覆い光を遮って栽培します。収穫した後は太陽光に当てることで鮮明な黄色になります。4月~12月は露地、11月~5月はハウスで一年中収穫でき、乾燥にも強い野菜です。

*https://www.ja-hareoka.or.jp/specialty/kinira.php より

 

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<伝統野菜> 佐賀 女山大根 -追記あり-

2024-02-28 08:44:28 | 伝統野菜

 「女山大根」

 赤身を帯びた、根と葉が赤紫ですのでアントシアニン系のポリフェノール群を含んでいます。繊維質が緻密で肉質は硬く、他の大根と比べ抗酸化作用と消化分解に優れ糖度が高い野菜です。アントシアニン系のポリフェノールが多いいのでコンピュータ機器を使う機会が多く目が疲れ、精神的なストレスが蓄積しやすい現代社会においてや生活習慣病などの予防に効果があるといわれています。

*https://foodedu.jp/%E5%92%8C%E9%A3%9F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E6%96%99%E7%90%86-%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C/%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C/%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C より

 【生産地】多久市西多久町

 【特徴】成長すると4~5㎏にもなり、大きなものは3貫目(約11kg)にもなる。葉と表皮の赤紫色が特長。酢をかけると果肉が桜色に変わる。残念ながら火を通すと赤色は消える。

 【食味】糖質が多いため、甘味がある。大根特有の辛みはほとんど感じることはない。煮崩れしないのが特徴。

 【料理】なます・おろし・おでん・ふろふき・田楽

 【来歴】多久市西多久町の女山周辺で江戸時代から栽培されている在来種。250年以上前から栽培されていたとされ、江戸時代の多久地域を記録した文献「丹邱邑誌(たんきゅうゆうし)」(1847年)に登場し、多久出身の儒学者草場佩川(くさばはいせん)は、詩や絵に好んで取り上げている。また、110年前に「女山大根」の品評会を実施していた記録が残っている。大きすぎて市場の規格に合わず、市外に出回らなかった。そのため、自家用栽培のみがわずかに行われていた。自家採種を繰り返していくうちに、他の品種と交雑し、在来種本来の色や形は次第に失われるなどしたこともあり、昭和初期には蜜柑(みかん)等への転作によって一時消滅しかけた。しかし、他では見られない在来の珍しい大根を地域の特産品として見直す機運が高まり、1985(昭和60)年代から佐賀県佐城農業振興センターや多久市が一体で産地復興に取り組み始め、地域にわずかに残っていた種子を佐賀県の農業試験研究センターに持ち込み、10年近くかけて交配、選抜を繰り返して本来の姿・形を復活させることに成功した。1995(平成7)年にオープンした地域農産物直売所の目玉産品として生産振興を図った。これによって、産地復興当時2~3名の生産者による1tにも満たない生産だったが、2020(令和2年)には約30名の生産者が約10tを生産するまでとなり、商標登録されている。2022年には、「地理的表示(GI)保護制度」に登録された。

 【時期】12月中旬~2月下旬

*https://tradveggie.or.jp/41-saga/#i-9 より

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<異名-人物> 甲山の猛虎

2024-02-28 08:40:44 | 異名

 「甲山の猛虎 飯富虎昌」

 飯富 虎昌(おぶ とらまさ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の重臣。

 武田信虎の時代から武田家の譜代家老衆として仕え、信濃国佐久郡内山城を領した。信虎追放後は、信玄に仕えた。信玄の信任厚く、嫡男武田義信の傅役や赤備えを率いる大任を務めたが、義信事件に連座し、切腹させられた。名は虎昌とされるが、義信側近が連署した「二宮祭礼帳」にその名は見当たらず、検討の余地がある。

 武田信虎、武田信玄の2代に仕えた宿老中の宿老で、その剛勇は「甲山の猛虎」と呼ばれて敵味方から恐れられたほどの猛将であり、武田二十四将の一人に挙げられる。

*Wikipedia より

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<料理用語-和食> 黄身鮨

2024-02-28 08:24:44 | 料理用語

 「黄身鮨」

 すし飯の代わりに卵の黄身を使ったすし。
 口代りや前菜・八寸に。

 1)茹で卵の黄身を裏漉ししておく

 2)山芋を蒸して裏漉ししておく

 3)1、2を合わせ酢、塩、砂糖で調味する

 4)酢洗いした赤貝、エビ、カニ、野菜などで寿司に作る

 ※小さめに作ること。茶巾ずし風に包むとやりやすい。あるいは手綱巻きにしてもよい。

 ※黄身の練り方は色々で、山芋を使わず片栗粉の場合もあるし、漉しただけのものを使いシメ鯖と博多に作ることもある。

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/6_G/030.html より

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<慣用句・諺> 宝は身の差し合わせ など

2024-02-28 08:22:21 | 慣用句・諺

 「宝は身の差し合わせ」

 財宝は、持っていれば急場に持ち主の身を救うものになる。

 

 「宝は湧き物」

 財宝は得ようとすれば得られるものだということ。金 (かね) は湧き物。

 

 「鷹を合わす」

 鷹を放って、鳥を捕らえさせる。

 

 「高を括る」

 その程度を予測する。大したことはないと見くびる。

 

 「互いに素」

 1 二つの整数が1または−1以外の公約数をもたないこと。

 2 二つの整式が定数以外の公約数をもたないこと。

 3 二つの集合が共通部分をもたないこと。

 

*goo辞書 より

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<難読漢字-魚> 皮剥

2024-02-28 08:09:27 | テニス

 「皮剥 かわはぎ」

 カワハギ(皮剥、鮍、英名:Thread-sail filefish、学名:Stephanolepis cirrhifer)は、フグ目カワハギ科に分類される魚。丈夫な皮に覆われた海水魚で、美味な食用魚でもある。

*Wikipedia より

 カワハギは、フグ目カワハギ科に属する魚。全長は最大30cmほどで、体は菱形で上下に平たい。美味な食用魚でもある。

カワハギは、硬くて丈夫な皮に覆われている。そのため、この皮を剥がないと調理に取り掛かれない。それで「皮剥ぎ」という名前が付き、魚へんに「皮」の「鮍」の字が当てられた。

 カワハギは別名で、「ハゲ」「カワハゲ」「マルハゲ」「バクチ」「バクチウオ」などの名前が付けられている。「ハゲ」「カワハゲ」は、「カワハギ」の「ハギ」が転訛したもの。「バクチ」「バクチウオ」の名前は、「皮がすぐ剥がれる」さまが「博打に負けて身ぐるみ剥がされる」さまを連想させることに由来する。

*https://zatsuneta.com/archives/001819.html より

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<日本酒メーカー> 岩手 両磐酒造

2024-02-28 08:05:33 | 日本酒

 「両磐酒造」

 両磐酒造株式会社(りょうばんしゅぞう)は、岩手県一関市に本社を置く日本酒の蔵元である。

 概要
 戦時下の企業統制により、1944年(昭和19年)に両磐地域の酒造業者が企業合同して発足した。1952年(昭和27年)に本社工場建設。

 主力銘柄の関山の名は、中尊寺の山号『関山』に因み、冬季限定商品「おっほ~」以外の全てのラインアップを「関山」で構成する。

 2019年より、自社工場での生産を休んでおり、委託生産を行っていた。一関市末広1丁目の本社工場跡地はショッピングモールとなっている。 

 2022年より、平泉工場での仕込みが本格的に始まった。

 平泉工場、平泉営業所 〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字高田前66-3

 製品倉庫および商品出荷業務、新酒の生産など、実質的な本社業務を行っている。

 両磐酒造株式会社 岩手県一関市末広1丁目1番16号

*Wikipedia より

 代表銘柄

関山 純米吟醸

両磐酒造の代表商品である「関山 純米吟醸」。

もろみを低温長期で発酵させ、優美な香りを引き出しました。
口に入れた瞬間米の味がフワッと広がり、爽やかなのどごしで後味はスッキリしています。

【このお酒に合う料理】
白身魚の刺身、天ぷら、豆腐などあっさりした味付けの料理に合います。

【商品情報】
 ・内容量:1.8L
 ・アルコール分:15.8%
 ・精米歩合:55%
 ・酒度:+4(辛口)
 ・酸度:2.0

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<西国三十三所> 第5番札所 葛井寺

2024-02-28 07:56:58 | 巡礼

 「葛井寺」

 葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺にある真言宗御室派の寺院。山号は紫雲山で、本尊は日本最古の十一面千手観世音菩薩(千手観音)。聖武天皇の勅願寺で神亀2年(725年)に創建され、開山は行基と伝えられる。西国三十三所第五番札所。

 本尊真言:おん ばざら だらま きりく そわか 

 ご詠歌:参るより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲

 歴史
 寺伝によると聖武天皇より古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、別説では元々は葛井連の氏寺であったとされている。

 葛井連の前身である白猪氏は百済辰孫王の後裔である王辰爾の甥である胆津を祖としており、『日本書紀』によれば、吉備国の白猪屯倉の田部の丁を定めた功績により白猪氏の姓を賜ったとされている。奈良時代の養老4年(720年)に白猪氏は葛井連(藤井連)(ふじいのむらじ)に改姓しており、葛井寺は、一族の葛井連広成が創建したとされている。また、葛井一族からは大安寺僧である慶俊が出ている。

 大同元年(807年)にの葛井氏の出身である藤子(葛井連道依娘)と平城天皇の間に生まれた皇子である阿保親王によって再建された。また阿保親王の皇子である在原業平が奥の院を造営した。中世以前の沿革については史料が乏しく、必ずしも明確でないが、本尊千手観音坐像は奈良時代の作品であり、境内から奈良時代の古瓦が出土することなどから、創建が奈良時代・8世紀頃にさかのぼることは間違いない。

 発掘調査によって7世紀中葉の西琳寺式軒丸瓦や7世紀後半の善正寺[要曖昧さ回避]式軒丸瓦が出土しており、7世紀後半には建立されたことが判明している。なお、8世紀前半の大安寺式軒瓦や難波宮式軒瓦(重圏紋軒丸瓦・重郭紋軒平瓦)が多数出土しており、この頃伽藍の整備がなされたと考えられる。

 永長元年(1096年)には、大和国賀留の里の住人・藤井安基が、荒廃した伽藍を修理したと伝える。境内出土の瓦の1つに久安3年(1147年)の銘があり、その頃に造営事業が行われたことが推定される。平安時代後期から観音霊場として知られるようになり、西国三十三所観音霊場が成立すると、その一つに数えられるようになった。南北朝時代には楠木正成が陣をしいたことがあるなど、たびたび兵火にさらされた。

 室町時代には、興福寺の末寺として栄え、伽藍は東西2つの三重塔をもつ薬師寺式伽藍配置であったが、明応2年(1493年)に起きた畠山氏の内紛に端を発した兵火によって楼門、中門、三重塔、鎮守社、奥の院を焼失し、本堂と堂塔を残すのみとなった。また、永正7年(1510年)の地震で堂塔を失い、現存する建物は近世以降の再建である。

 重要文化財の四脚門は、慶長6年(1601年)豊臣秀頼により南大門として建てられたものである。

 境内
 本堂 - 宝暦3年(1753年)上棟の棟札があり、竣工は安永5年(1776年)である。
 護摩堂
 宝蔵
 弘法大師手掘井戸
 弁財天
 西門(重要文化財) - 慶長6年(1601年)豊臣秀頼により南大門として再建。後に現在地に移築される。四脚門。切妻造、本瓦葺。
 本坊
 鐘楼
 東門
 旗掛の松(三鈷の松) - 楠木正成、正行、正時、正儀父子ゆかりの松。
 大師堂
 弘法大師修行像
 弁天社
 烏枢沙摩閣(お手洗い)
 阿弥陀堂(二十五菩薩堂)
 西国三十三所石仏群
 南大門(楼門) - 寛政8年(1796年)の上棟、寛政12年(1800年)の竣工。入母屋造の楼門(2階建て門)である。

 文化財
 国宝

 乾漆千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩像) - 昭和13年(1938年)国宝指定。
 神亀2年(725年)、聖武天皇が42歳のときに自身の厄除けを祈願して稽文會と稽主勲に造らせ、行基によって開眼法要が営まれたと伝えられる。日本最古の千手観音像にして大阪府唯一の天平仏で、文字通り千本の手を持つ数少ない「真数(しんすう)千手」である。胸前で合掌する2本の手を含め合計1041本の大小の脇手が円形に展開しており、千本以上の手を持つ千手観音像は本像しか確認されていない。天平彫刻の最高傑作のひとつとされる。鎌倉期には六角宝殿内に安置されていたという。八稜形框上に宝瓶を据えた五重蓮華座上に坐し、像高(髻頂部まで)は130.2cm(頂上仏面を含めた像高は144.2cm)。
 合掌する本手を含む本体は大陸から伝来した脱活乾漆法(麻布を漆で貼り重ねて像の形をつくる)で造られ、これに木心乾漆の大小手(脇手)を組み合わせた構造で、X線透視による内部調査では天平前期乾漆像の特徴を示している。
 脇手は持物をもつ大手38本、小手1001本(右500本、左501本)で、造像当初にはすべての脇手に墨描で眼が表されていたと考えられており、現在も一部の墨描が残存している。合掌手を除く大小の脇手は、像の背後に立てた2本の支柱に打ち付けられており本体とは離れているが、正面から見ると像本体から千手が生えているように見える。
 脇手の一部、頭上面の一部、持物のすべて、台座蓮弁の大部分などを後補とする。彫像の千手観音像は40本(合掌手2本を合わせて42本)の手で「千手」を代表させるものが多いが、本像のように実際に千本の手を表現する千手観音像は少ない(本像のほかには唐招提寺金堂像などがある)。図像的には、宝鉢手を表さず、大手を通例の42本ではなく40本に表す点が珍しい。
 『千手千眼陀羅尼経』が将来された天平年間(729年 - 749年)には、天平12年(740年)8月に藤原広嗣の乱が起こり、同年9月15日には勅願により国ごとの観世音像の造像と観世音経の写経が行われている。この際の観音像の像容は本像と一致することから、葛井寺像は藤原広嗣の乱鎮圧を祈念して造立されたものであるとする説もある。
 2018年には東京国立博物館で「仁和寺と御室派のみほとけ」展のために江戸時代以来の出開帳が行われた。

 重要文化財

 四脚門(西門)

 大阪府指定有形文化財
 石灯籠 - 1970年(昭和45年)2月20日指定。
 本堂裏の庭園にある石灯籠であり、高さ230㎝で上から宝珠、笠、火袋、中台、竿、基礎から構成されており、笠に一部欠損があるもののほぼ完全な形で保存されている。銘は無いものの製作時期は鎌倉時代と考えられる。
 金銅宝塔 - 1983年(昭和58年)5月2日指定。
 高さ45cmの小塔であり、舎利信仰を背景に製作されたものである。時代は鎌倉時代を下らないとされる。

 藤井寺市指定有形文化財
 木造聖観音菩薩立像 - 2006年(平成18年)3月9日指定。
 本尊の左に安置されている欅の一木造の観音菩薩像であり、作者や来歴は不詳ながら平安時代の貴重な木像とされている。
 木造地蔵菩薩立像 - 2006年(平成18年)3月9日指定。
 本尊の右に安置されている松の一木造の地蔵菩薩像であり、作者や来歴は不詳ながら平安時代の貴重な木像とされている。

 行事
 千日まいり
 8月9日の千日会式の日の参詣をいう。この日に参詣すると四万六千日の功徳が得られるとされ、多数の参詣者が訪れる。また、本尊の千手観音像が特別に開帳される。

 観音会
 毎月18日。千手観音像が開帳される。とくに1月18日は初観音会と称する。

 葛井寺 大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16-21

*Wikipedia より

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