いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 秋田 だまこ鍋

2024-02-27 09:45:03 | 郷土料理

 「だまこ鍋」

 主な伝承地域 秋田市、男鹿、南秋、能代山本地区までの沿岸北部

 主な使用食材 ご飯、比内地鶏、ネギ、セリ、マイタケ、ゴボウ

 歴史・由来・関連行事
 鶏ガラベースの汁に鶏肉や野菜、すり鉢で突いたご飯を団子にしたものが入った、秋田の冬には欠かせない、家庭で作られている郷土料理。
 八郎潟周辺の南秋地方が発祥の地といわれている。だまこ鍋は元々、八郎潟の幸であるワカサギ、フナやシラウオなどを焼いたものを入れて、味噌で味を付けた「つけご」という食べ方があったが、八郎潟が干拓されて漁獲量の激減により魚離れが進んだため、魚の代わりに鶏のガラと肉が使われるようになった。
 秋田では、子どもの遊び道具「お手玉」を「だまこ」と言い、炊きたてのご飯をすり鉢に入れ、すりこぎでほどよくつぶして手のひらで丸めたものがだまことなる。いわば、ごはんの団子であり、お手玉の形に似ていることから「だまこ」の名が付いたとされている。また、だまこがあまりにもおいしくて子どもたちが夢中になって食べることから、「黙って食べる子」が「だまっこ」と呼ばれるようになったという説もある。

 食習の機会や時季
 秋田県には「庭あらい」といって、収穫したばかりの新米を炊き、つぶして団子をこしらえ、だまこを食べる風習がある。また、冬になると、子どもたちとだまこを作る家庭もある。

 飲食方法
 少々かために炊いた米をスリコギで粘り気が出るまで5割ほど突き、熱いうちに団子を作る。比内地鶏のだし汁に醤油や味噌などで味を付け、地鶏やネギ、セリ、マイタケ、ゴボウと一緒に煮る。団子は丸めるときに軽く塩をつけたり、丸めてから網の上で少し焼いてから食すなど地域でやや違いがある。スープのベースも具材も大館市発祥のきりたんぽと同様だが、だまこは串がいらないのと、基本は焼かないのが特徴。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 現在でも秋田の各家庭で冬には必ず食されている郷土料理。また収穫の秋には、食育基本法の制定を受けて、郷土食の継承の一環として学校給食や家庭科の調理実習で作られるようになり、全県で認知されるようになった。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/29_4_akita.html より

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<おせち> 沖縄 中身汁

2024-02-27 08:01:16 | おせち

 「中身汁」

 主な伝承地域 県内全域

 主な使用食材 豚の内臓

 歴史・由来・関連行事
 豚肉がよく食べられる沖縄県では、余すところなく料理に使うことから「鳴き声以外は全て食べ尽くす」と言われている。中でも沖縄県で“中身”と呼ばれる内臓を使った「中身汁」は、「中身の吸い物(なかみのすいもの)」とも呼ばれ、豚の大腸や小腸、胃といった中身を具にし、すまし汁仕立てでシンプルに仕上げた郷土料理である。内臓を使っているにも関わらずさっぱりとした味わいが特徴。そのためには丁寧な下処理が重要であり、おからや小麦粉などを使ってもみ洗いした上で何度もゆでこぼし、脂と臭みを取り除く。だしにはかつおと豚を合わせて使い、高級客膳料理として振る舞う場合は、具材を中身のみにしたりシイタケだけを添えたりする。また、独特の爽やかな香りを持つコショウに似た香辛料のヒハツを加えることもあるが、現在では代わりにショウガのすりおろしを入れて食べるのが一般的となっている。

 食習の機会や時季
 正月料理や祝いや法事の料理として食されるが、現在では日常食としても親しまれている。

 飲食方法
 おから、または小麦粉でもみ洗いしたあと、たっぷりの水と中身を入れた鍋を火にかけ、沸騰しにごりが出たら煮こぼす。6~7回ほど繰り返し臭みがとれたら、再び水から中身を火にかけ、やわらかくなるまで煮る。中身を細切りにし、再びゆでこぼす。豚だしとかつおだしを合わせて煮立て、中身と水で戻して細切りにした干しシイタケを加え、塩や醤油で吸い物の味に調え、中火で煮て味を染み込ませる。椀に盛り、ショウガのすりおろしを加える。また、こんにゃくやかまぼこを具材に入れることもある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 家庭で一般的につくられるほか、県内の飲食店でも味わえる。また、小売店ではレトルトの「中身汁」も販売されている。料理教室やイベント、病院給食で提供されることもある。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/47_1_okinawa.html より

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うまいッ! NHK「“イカの王様”アオリイカ~徳島・牟岐町(むぎちょう)~」

2024-02-27 07:56:05 | うまいッ!NHK

 うまいッ!「“イカの王様”アオリイカ~徳島・牟岐町(むぎちょう)~」 2013年12月01日

 番組内容
 濃厚な甘さと、もちもちとした食感が魅力のアオリイカ。全国でも有数の出荷量を誇る徳島県牟岐町では、イカを専用の特殊な定置網で捕獲。独特の技を用いて鮮度と透明感を維持したまま出荷している。その証しとなるのが“アイシャドー”と呼ばれる、目の周りの鮮やかなエメラルドグリーン。築地市場では、1キログラム7000円以上の高値で取引されることも。“イカの王様”の魅力をあますところなく紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201312010615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「牟岐町のアオリイカ」

 独自の活き締め法で鮮度を保ち、抜群の透明感と肉厚な食感をお届け

 甘味と旨味が凝縮されたイカの王様「アオリイカ」。
 冷凍しても味わいが損なわれないのも魅力のひとつ。「1年寝かせたらより柔らかさと甘味が増す」と話す地元漁師もいるほど。
 徳島県南の牟岐町では木槌を使った独特の技法「ハンマー締め」で白色化を遅らせ透明度を保っている。さらに築地市場などの遠方にも美しい姿で届けられるよう、輸送時の保存方法にも徹底したこだわりを持っているのだ。

 漁獲時期 10月~1月
 主な産地 阿南市,美波町,牟岐町,海陽町

*https://awa-food-tokushima.com/archives/shop/132 より

 徳島県ブランド水産物もの知り図鑑あおりいか 

https://www.pref.tokushima.lg.jp/tafftsc/suisan/monoshirizukan/ 参照

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<伝統野菜> 福岡 山潮菜

2024-02-27 07:54:13 | 伝統野菜

 「山潮菜-やましおな」

 【生産地】久留米市

 【特徴】子株で葉柄が細く、その切り口が丸く、節間伸長の早い葉からし菜。

 【食味】鼻にツンと抜ける独特の香味、辛味が特徴。

 【料理】漬物、生の山潮菜をアゲと一緒に油炒めにする菜焼きなど

 【来歴】江戸時代から筑後川の沿岸に土着したもので、大分久住高菜(おおいたくずみたかな)が流れついたものとされている。1725(享保10)年、筑後川上流で山崩れが起こり、濁り水とともに、この種子が筑後川中流域の三井郡弓削村(みいぐんゆげむら)に流されたものが自生したもの。この山崩れ現象のことを、筑後地方で「やましおが起きた」ということから、山潮菜と命名された。

 【時期】10月~3月

*https://tradveggie.or.jp/40-fukuoka/#i-17 より

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<異名-人物> 剣聖2

2024-02-27 07:48:46 | 異名

 「剣聖 上泉信綱」

 上泉 信綱(かみいずみ のぶつな、あるいは、こういずみ のぶつな。永正5年〈1508年〉? - 天正5年1月16日〈1577年2月3日〉?)は、戦国時代の日本の兵法家。一時期の武家官位名を添えた「上泉 伊勢守( - いせのかみ)」の名でもよく知られる。上泉氏の本貫地の出身で、出生地は上野国勢多郡桂萱郷上泉村(現・群馬県前橋市上泉町内)あるいはその近傍とされる。生年は推測、没年は天正10年(1582年)など諸説ある。

 剣聖と讃えられる剣豪の一人で、新陰流の祖。

*Wikipedia より

 

 

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<料理用語-和食> 黄身酢

2024-02-27 07:47:14 | 料理用語

 「黄身酢」

 合わせ酢の一種。

 ・出汁に酢、みりん、卵黄を加えて加熱

 ・吉野酢に卵黄を加え加熱

 ・固ゆで卵黄を当たり、甘酢と合わせる

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/6_G/029.html より

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<慣用句・諺> 高日知らす など

2024-02-27 07:41:43 | 慣用句・諺

 「高日知らす-たかひしらす」

 《天上を治める意から》天皇・皇族など高貴の人が死去する。

 

 「高みの見物」

 第三者の立場から、興味本位に物事の成り行きを傍観すること。

 

 「宝さかって入る時はさかって出る」

 《「礼記」大学の「貨 (か) 悖 (もと) りて入る者は、また悖りて出ず」から》不正に手に入れた財宝は、結局、つまらない目的のために使い捨てられる。悪銭身につかず。

 

 「宝の持ち腐れ」

 1 役に立つ物を持ちながら、使わないでしまっておくこと。

 2 才能・手腕がありながら、それを活用しないこと。

 

 「宝の山に入りながら手を空しくして帰る」

 《「正法念経」から》よい機会にあいながら、その好機を逃がし、なんの利益も得られないで終わる。

 

*goo辞書 より

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<難読漢字-魚> 川蜷、河貝子

2024-02-27 07:32:52 | 難読漢字

 「川蜷、河貝子 かわにな」

 カワニナ(川蜷、学名:Semisulcospira libertina)は、カワニナ科に分類される淡水性の細長い巻貝の一種。東アジアに分布し、ゲンジボタルやヘイケボタルといったホタルの水生幼虫の餌としても知られている。

*Wikipedia より

 由来・語源 『目八譜』より。川にいる蜷(にな/巻き貝)という意味。単に「にな」という地域も多い。タニシが湖(止水)や流れの穏やかな水路、田にいるのに対して、流れのある河川に生息するから。また蜷は丸みのある巻き貝では亡く細長い形の巻き貝のことでもある。

*https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%8B%E3%83%8A より

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<日本酒メーカー> 岩手 福来

2024-02-27 07:01:52 | 日本酒

 「福来」

 株式会社福来(ふくらい)は、岩手県久慈市で日本酒を製造している酒蔵。

 キャッチコピーは、「幸せをよぶお酒」。

 沿革
 1907年 - 久慈清輔、酒造業を開始
 1955年 - 株式会社久慈清酒造店とする
 2001年 - 株式会社福来に社名変更
 2002年 - 大澤光太、代表取締役に就任

 株式会社 福来 岩手県久慈市宇部町第5地割31番地

*Wikipedia より

 代表銘柄

大吟醸 福来

酒造好適米山田錦を40%に精米し長期低温発酵させた究極の酒。
口に含むと華やかな吟醸香と柔らかい上品な味わいが広がります。

大吟醸 福来 詳細情報
原料米 兵庫県産山田錦
精米歩合 40%
酵母 18号系
日本酒度 +3
アルコール度数 16度
酸度 1.4

 

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<西国三十三所> 第4番札所 施福寺

2024-02-27 06:56:40 | 巡礼

 「施福寺」

 施福寺(せふくじ)は、大阪府和泉市槙尾山町にある天台宗の寺院。山号は槇尾山。本尊は弥勒如来(札所本尊は十一面千手観世音菩薩)。槇尾寺(まきおでら、まきのおでら)と呼ばれ、槇尾山(標高600m)の山腹に位置する。西国三十三所第4番札所。槇尾山とともに大阪みどりの百選に選定されている。

 札所本尊真言:おん ばざら だらま きりく そわか

 ご詠歌:深山路(みやまじ)や檜原(ひばら)松原わけゆけば 巻の尾寺(まきのおてら)に駒ぞいさめる

 歴史
 創建伝承
 古くは槇尾山寺と呼ばれた山岳寺院で、葛城修験系の寺院として創建されたものとみられる。南北朝時代成立の寺史である『槇尾山大縁起』(正平15年・1360年書写)によると、施福寺は欽明天皇の時代(539年 - 571年)に播磨国加古郡の行満上人が創建したものであるという。

 札所本尊の千手観音像については、次のような説話が伝承されている。宝亀2年(771年)のこと、当時槇尾山寺に住していた摂津国の僧・法海のもとに、一人のみすぼらしい格好をした修行僧があらわれ、夏安居(げあんご)の期間をこの寺で過ごさせてくれと頼んだ。この修行僧は客僧として槇尾山寺に置いてもらえることとなり、夏安居の期間熱心に修行に励んだ。予定の期間が終わって寺を辞去しようとする際、客僧は帰りの旅費を乞うたが寺僧たちはそれを拒んだ。すると客僧は怒り出し、「何ということだ。この寺は、見かけは立派だが、真の出家者などはいないではないか。このような寺はいずれ滅び去り、悪鬼の棲家となるであろう」と叫んで出て行ってしまった。驚いた法海が後を追うと、修行僧ははるかかなたの海上を沈みもせずに歩いている。これを見た法海は、あの修行僧は自分らを戒めるために現れた観音の化身であったと悟り、千手観音の像を刻んで祀ったという。

 縁起には役小角(役行者)、行基、空海(弘法大師)などに関わる伝承もある。役小角については、彼が自ら書写した法華経の巻々を葛城山の各所の秘密の場所に埋納し、最後に埋めたのがこの山であったことから巻尾山(槇尾山)の名が付いたとする、地名起源伝承がある。また、空海は延暦12年(793年)、20歳の時に槇尾山寺において勤操を導師として出家剃髪し、沙弥戒を受けたとする伝えがある。空海の当地における出家剃髪は史実とは認めがたいが、空海が唐からの帰国後、都に戻る直前の大同4年(809年)頃、当寺に滞在した可能性は別の史料から指摘されている[注 3]。縁起には、延喜16年(916年)に定額寺に定められるとするが、施福寺は度重なる火災で古記録が失われており、史実か否か不明である。

 以上のように、施福寺の初期の歴史は伝説色が濃く判然としないが、『日本霊異記』に言及されている「和泉国泉郡の血渟(ちぬ)の山寺」は当寺のこととされ、同書の成立した9世紀前半には著名な寺院であったことが伺われる。

 中世以降
 正嘉年間(1257年 - 1259年)、後白河上皇所縁の法華経と仏像が奉納されたことが縁起に見え、寺が所蔵する「法華経妙音菩薩品」(平安時代の装飾経)がそれにあたると推定されている。仁治年間(1240年 - 1243年)には、仁和寺菩提院の僧・行遍によって灌頂堂(密教の師資相承の儀式を行う堂)が建立されており、中世には当寺は仁和寺の支配下にあった。

 南北朝時代には南朝方の拠点の一つとなり、寺の衆徒も南朝方に与した。そのため戦火に巻き込まれることが多く、寺は衰亡した。天正9年(1581年)には織田信長と対立したことが原因で一山焼き払われるが、後に豊臣秀頼の援助により慶長8年(1603年)に仁王門を始めとする伽藍が復興された。

 近世には徳川家の援助で栄え、その関係で寛永年間(1624年 - 1645年)頃に真言宗から天台宗に改宗し、江戸の寛永寺の末寺となった。江戸時代末期の弘化2年(1845年)の山火事で仁王門を除く伽藍を焼失。現在の本堂等はその後に再建されたものである。

 参道入口の脇には満願滝弁財天社がある。

 境内
 麓には駐車場があるが、本堂(標高475m辺り)に至るには標高280m辺りの駐車場から約1キロメートル(約30分から40分の登山)もの急峻な階段を登らなければならない。西国三十三所のなかでも厳しい参道として知られる。槇尾山付近のハイキングを兼ねた参拝者が多く見受けられる。

 本堂 - 弘化2年(1845年)の焼失後、安政年間(1854年 - 1860年)に再建されたものである。本尊は、弥勒如来坐像、右脇侍[注 4]に十一面千手観音立像、左脇侍に文殊菩薩立像を安置し、このうち十一面千手観音が西国三十三所の札所本尊となっている。西国札所巡礼の中興者とされる花山法皇を馬が道案内をしたと伝えられており、本尊と背中合わせの後堂(本尊の裏側)には馬頭観音坐像が安置されている。また、方違大観音坐像、元三大師坐像、伝教大師坐像、涅槃釈迦如来像など多数所蔵。
 庫裏
 大師堂
 護摩堂
 鐘楼
 観音堂 - 西国三十三所観音霊場のそれぞれの札所の本尊を模した33体の観音像を祀る。
 槇尾明神
 愛染堂 - 弘法大師御剃髪所跡。空海が得度して剃髪したとされる場所で堂内には愛染明王像のほか、勤操と空海の像が安置されている。西国愛染十七霊場第15番札所。
 弘法大師御髪堂 - 空海の剃髪した髪が祀られているとされる。
 虚空堂
 大日堂
 十三重石塔
 塔頭寺院の跡(石垣のみ)
 姿見の井戸
 仁王門 - 慶長8年(1603年)豊臣秀頼により再建。
 
 文化財
 重要文化財
 槇尾山大縁起(正平十五年筆写) 1巻 - 南北朝時代の作。重要文化財(書跡・典籍)。1904年(明治37年)2月18日指定[4]。大阪市立美術館寄託。
 大阪府指定有形文化財
 不動明王及び二童子 - いずみの国歴史館寄託。
 施福寺参詣曼荼羅図(甲本)1幅 - 大阪府有形文化財(美術工芸品・絵画)。京都国立博物館寄託。1992年(平成3年)3月29日指定。
 和泉市指定有形文化財
 地蔵菩薩立像 - いずみの国歴史館寄託。
 千手観音立像 - いずみの国歴史館寄託。
 地蔵菩薩立像 - いずみの国歴史館寄託。
 慈恵大師坐像 - いずみの国歴史館寄託。
 大日如来坐像 - いずみの国歴史館寄託。
 牡丹唐草文三足香炉 - いずみの国歴史館寄託。
 桐雪持ち笹文様唐織小袖 - いずみの国歴史館寄託。
 行事
 1月8日 - 碑伝木建て
 4月21日 - 弘法大師御影供
 5月1日から15日 - 開扉法要(年1回の札所本尊開帳)
 8月9日 - 観音千日会
 毎月18日 - 観音法会

 施福寺 大阪府和泉市槙尾山町136

*Wikipedia より

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