「大東亜会議」に出席したバー・モウ氏は、ビルマの初代首相ですが、戦後に氏が語っている言葉を紹介します。この意見の方が、私たちの胸に響くのではないでしょうか。
なぜそうなるのかについて、具体的に語られていませんので、現在の私たちが考えなくてなりません。
氏の本が出版された9年後に、タイの首相になったククリット・プラモート氏が、日本について語った言葉があります。こういう考えがあるという事実も、参考にして頂けたらと思います。
「大東亜会議」に出席したバー・モウ氏は、ビルマの初代首相ですが、戦後に氏が語っている言葉を紹介します。この意見の方が、私たちの胸に響くのではないでしょうか。
なぜそうなるのかについて、具体的に語られていませんので、現在の私たちが考えなくてなりません。
氏の本が出版された9年後に、タイの首相になったククリット・プラモート氏が、日本について語った言葉があります。こういう考えがあるという事実も、参考にして頂けたらと思います。
フィリピン、ビルマ、インドネシアで、敗戦間際の日本が何をしたのかについて、氏の主張を紹介する前に、「大東亜会議」について述べなくてなりません。
昭和18年の11月、東京で開かれた会議に、大東亜共栄圏から次の代表が出席しました。
日本 ・・東條首相 中国 ・・汪精衛国民政府行政院長
タイ ・・ワンワイ・タイヤコーン首相代理 満州 ・・張景恵国務総理
フィリッピン・・ラウレル大統領 ビルマ ・・バー・モウ首相
以上6ヶ国の他、オブザーバーとして、自由インド仮政府・・チャンドラ・ボース首班
この会議に関する氏の批判を、紹介します。長くなりますが、省略せず、そのまま転記しようと思います。大学の教壇に立ち、学生たちに語っている氏の姿を想像してください。
「このうち満州と中国は、すでに傀儡政権であり、」「タイは、かねてから日本に友好的であった。」「これと先の、〈大東亜政略指導大綱〉とをあわせ見れば、」「この会議が、茶番劇であることが知られよう。」
ここで氏は、当時の読売報知新聞の記事を紹介します。
「会議では各国の代表により、必勝必成の方策と、熱血の決意が披歴された。」「かくて東亜の一大解放と、新秩序建設のため、」「過去数世紀にわたり、十億の民族を奴隷視し、」「その国土を横領して来た、暴戻アングロサクソンに対する、」「大東亜の団結は、遺憾無く顕現された。」
「共存共栄、独立親和、文化高揚、経済反映、世界進運貢献の、」「五原則からなる〈大東亜宣言〉を、満場一致で可決した。」
戦後に豹変したマスコミもついでに批判すれば良いのに、氏はそうしません。
「〈大東亜共栄圏の建設〉というスローガンが、そのかげに、」「侵略と収奪の意図を隠していることは、この会議に出席した指導者たちはもちろんのこと、」「被占領民族も、十分承知するところであったが、」「イギリス、オランダ、フランスなどの、帝国主義支配からの解放を求めていた彼らは、」「日本の武力を利用して、西欧の力を排除し、」「これを機会に、独立への一歩を進めようという期待があった。」
大東亜戦争を幕末から戦っている日本の指導者たちは、国の独立が武力なしでは手に入れられないと知っています。非情な国際社会で、日清、日露の大戦を戦った政治家や軍人が、出席者各位の複雑な心情を知らないはずがあるでしょうか。ロシア革命を信奉し、東京裁判を鵜呑みにし、日本国憲法を有り難がっているような、現実を見ない単純な自分と、ご先祖さまを一緒にしては駄目でしょう。
それでも本が出版された当時なら、このような意見も通用し、学生たちが惑わされたはずです。
「日本が言葉通りの解放者でなくとも、逆に役立てることはできる・・」「南方民族主義者の、そのような意図は、」「しかし現実には、日本軍の欺瞞、残虐、略奪によって、」「完全に打ち砕かれていく。」
「日本は現地民に対し、支配者として、」「独立の恩恵を与えるという態度であったため、」「自分を一段高く置いて、現地の行政、経済はもちろんのこと、」「文化、教育に至るまで、あらゆる面に強い干渉を行なった。」
戦時中の困難な時期ですから、氏の指摘するような事実が皆無だったとは言いません。帝国軍人という過剰な意識から、余計な世話をした者がいなかったとも、言いません。私が滑稽に思うのは、連合国軍に統治されたいた7年間を、氏は何も感じていなかったのかということです。
GHQは、日本の行政、経済はもちろんのこと、文化、教育に至るまで、あらゆる面に、強い干渉を行ないました。国際法に違反してまで「憲法」を押し付け、皇室崩壊を企み11宮家の皇籍離脱を強行し、挙げ句の果ては共産党を支援しました。氏のような学者が、現実を忘れたままの、馬鹿な意見を言っても見過ごされる社会を作ったのは、彼らでした。
私たち日本人が、個人の手紙まで検閲されていたというのに、都合の悪い話はしません。氏の目は「節穴」かと、笑いたくなります。
「外国語を禁止して日本語、日本の歴史を義務教育にしたり、」「意味のない〈日本精神〉の、鼓吹が行われた。」「フィリピンのように、統制嫌いなところにまで隣組を作らせた。」「インフレ、食糧不足、挑発に悩まされた上に、」「こんな押しつけがましい支配者に、誰が好意を抱くであろうか。」
東京裁判で連合国軍に復讐され、敗戦国となった日本は、彼らに為されるがままでした。それが戦いに負けるということですから、ご先祖さまは、黙って受け入れるしかありません。その戦勝国の奢りに便乗し、自分の国を叩くというのが、氏の本の中身のようです。
「日本は三年半にわたる南方占領中に、現地の住民と資源を絞れるだけ絞り、」「全て日本の戦争遂行手段として、使い果たそうとした。」「赤道をめぐる宝庫とまで言われた地域が、飢餓線上に追い詰められたのである。」
大畑先生、少し話が大袈裟過ぎませんか。日本は3年半ですが、イギリスやオランダやフランスは、200年以上もアジア諸国を収奪していますよ。そこは何も言わないのですか・・言いたくなるではありませんか。
しかし私は、息子たちに言います。
「驚いてはいけません。」「氏のような学者や教授が、日本にはいくらでもいましたし、」「現に今でも、います。」「この人が特別なのでなく、石を投げれば反日・左翼学者・・」「これが日本の実情です。」「驚くことは、ありません。」