ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『太平洋戦争 - 下 』 - 4 ( 氏の説明と別の意見 )

2021-12-08 17:23:10 | 徒然の記

 「大東亜会議」に出席したバー・モウ氏は、ビルマの初代首相ですが、戦後に氏が語っている言葉を紹介します。この意見の方が、私たちの胸に響くのではないでしょうか。

 〈 バー・モウ元首相 〉・・ビルマ
 「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱させることに貢献した国はない。」「しかしまた、その解放を助けたり、」「多くの事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」

 なぜそうなるのかについて、具体的に語られていませんので、現在の私たちが考えなくてなりません。

 氏の本が出版された9年後に、タイの首相になったククリット・プラモート氏が、日本について語った言葉があります。こういう考えがあるという事実も、参考にして頂けたらと思います。

 〈 ククリット・プラモート元首相 〉・・タイ
 「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」「日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、」「生まれた子供は、すくすくと育っている。」「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、」「いったい誰のおかげであるのか。」「それは身を殺して、仁をなした、」「日本というお母さんがあったためである。」
 
 「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、」「一身を賭して、重大な決意をされた日である。」「さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、」「病の床に伏した日である。」「われわれは、この二つの日を忘れてはならない。」
 
 得意になってはダメですが、こういう意見を述べる政治家もいました。日本では、NHKと朝日新聞が先頭に立ち、敗戦後72年間、「日本はアジア諸国を侵略した。」と悪口を拡散し、大畑氏のような学者が反日の書を出版していた事実と合わせますと、戦後の歪みが見えてきます。
 
 平成6年、当時の村山首相が、土井たか子衆議院議長と共にマレーシアを訪問しています。この時マハティール首相が、二人に語った言葉を紹介します。
 
  〈 マハティール・ビン・モハマド元首相 〉・・マレーシア
 「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」「過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。」
 
 「日本は、これからのアジアの平和と安定のため、」「国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たしてほしい。」「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、」「残念なことだ。」
 
 社会党の党首でもあった村山富一首相と、土井たか子衆議院議長は、帰国してもマハティール氏の言葉を国民に伝えず、マスコミも得意の「報道しない自由」で、ほとんど記事にしませんでした。
 
 次に、日本問題の専門家として、GHQに在籍していた人物の話を紹介します。
 
 〈 ヘレン・ミアーズ氏 〉・・アメリカ
  「歴史的に見て、アジアの民衆を奴隷にしていたのは、日本でなく、」「私たちが同盟を結ぶ、ヨーロッパの民主主義国である。」
 
 「日本は、現地住民に独立を約束しただけでなく、独立を保障した、具体的な行動を進めていた。」
 
 「1935 ( 昭和10 ) 年には、すでに満州での治外法権を放棄していたし、」「1943 ( 昭和18  ) 年には、中国に租借地を返還している。」「大戦中、日本は、占領したすべての地域の現地独立政府を承認していった。」
 
 「私たちが解放戦争と呼んでいたものは、実はヨーロッパによる、アジアの再征服だったのである。」「恥ずかしいことに、アメリカが手を貸した・・。」
 
 最後になりますが、マレーシアの詩人ラジャ氏の書いた詩を転記しましょう。氏は戦後マレーシアの上院議員となり、アセアンの設立に尽力した人物です。詩は、平成元年に書かれたものです。
 
 〈 ラジャ・ダト・ノンチック氏 〉・・マレーシア
 
   かって 日本人は 清らかで美しかった
   かって 日本人は 親切でこころ豊かだった
   アジアの国の誰にでも
   自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
 
   何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
   おこりんぼや わがままな人もいた
   自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
   いなかったわけじゃない
 
   でも その頃の日本人は そんな少しの いやなことや
   不愉快さを超えて おおらかで まじめで
   希望にみちて明るかった
 
   戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
   学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
   まじめに
   自分たちの父祖や先輩は 悪いことばかりした残酷無情な
   ひどい人たちだったと 思っているようだ
 
   だから アジアの国に行ったら
   ひたすら ぺこぺこあやまって
   私たちはそんなことはいたしませんと
   言えばよいと思っている。
 
   そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
   自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
   うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
   ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
   そんな 今の日本人が 心配だ
 
   ほんとうに どうなっちまったんだろう
   日本人は そんなはずじゃなかったのに
   本当の日本人を知っているわたしたちは
   今は いつも 歯がゆくて 
   悔しい思いがする
 
    自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
   ぜいたくに ふけりながら 
   自分がお世話になって住み
   自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
   さげすんだ目で見たり バカにしたりする
 
   こんな人たちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか   
 
   どうして日本人は
   こんなになってしまったんだ         
 
 過激な在日の活動家や、中国人の不躾さを批判してきた私も、ラジャ氏の詩を読むと、恥ずかしくなってきます。現在の日本人が、アジアで嫌われている理由の一端を知り、戦前の日本人が、意外にも親しまれ、敬意を抱かれていた事実も発見しました。
 
 大畑氏の説明とは、違った意見もあるということになります。
コメント (4)
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『太平洋戦争 - 下 』 - 3 ( 大東亜会議 )

2021-12-08 08:31:00 | 徒然の記

 フィリピン、ビルマ、インドネシアで、敗戦間際の日本が何をしたのかについて、氏の主張を紹介する前に、「大東亜会議」について述べなくてなりません。

 昭和18年の11月、東京で開かれた会議に、大東亜共栄圏から次の代表が出席しました。

  日本 ・・東條首相               中国 ・・汪精衛国民政府行政院長  

  タイ ・・ワンワイ・タイヤコーン首相代理    満州 ・・張景恵国務総理

  フィリッピン・・ラウレル大統領         ビルマ ・・バー・モウ首相

   以上6ヶ国の他、オブザーバーとして、自由インド仮政府・・チャンドラ・ボース首班

 この会議に関する氏の批判を、紹介します。長くなりますが、省略せず、そのまま転記しようと思います。大学の教壇に立ち、学生たちに語っている氏の姿を想像してください。

 「このうち満州と中国は、すでに傀儡政権であり、」「タイは、かねてから日本に友好的であった。」「これと先の、〈大東亜政略指導大綱〉とをあわせ見れば、」「この会議が、茶番劇であることが知られよう。」

 ここで氏は、当時の読売報知新聞の記事を紹介します。

 「会議では各国の代表により、必勝必成の方策と、熱血の決意が披歴された。」「かくて東亜の一大解放と、新秩序建設のため、」「過去数世紀にわたり、十億の民族を奴隷視し、」「その国土を横領して来た、暴戻アングロサクソンに対する、」「大東亜の団結は、遺憾無く顕現された。」

 「共存共栄、独立親和、文化高揚、経済反映、世界進運貢献の、」「五原則からなる〈大東亜宣言〉を、満場一致で可決した。」

 戦後に豹変したマスコミもついでに批判すれば良いのに、氏はそうしません。

 「〈大東亜共栄圏の建設〉というスローガンが、そのかげに、」「侵略と収奪の意図を隠していることは、この会議に出席した指導者たちはもちろんのこと、」「被占領民族も、十分承知するところであったが、」「イギリス、オランダ、フランスなどの、帝国主義支配からの解放を求めていた彼らは、」「日本の武力を利用して、西欧の力を排除し、」「これを機会に、独立への一歩を進めようという期待があった。」

 大東亜戦争を幕末から戦っている日本の指導者たちは、国の独立が武力なしでは手に入れられないと知っています。非情な国際社会で、日清、日露の大戦を戦った政治家や軍人が、出席者各位の複雑な心情を知らないはずがあるでしょうか。ロシア革命を信奉し、東京裁判を鵜呑みにし、日本国憲法を有り難がっているような、現実を見ない単純な自分と、ご先祖さまを一緒にしては駄目でしょう。

 それでも本が出版された当時なら、このような意見も通用し、学生たちが惑わされたはずです。

 「日本が言葉通りの解放者でなくとも、逆に役立てることはできる・・」「南方民族主義者の、そのような意図は、」「しかし現実には、日本軍の欺瞞、残虐、略奪によって、」「完全に打ち砕かれていく。」

 「日本は現地民に対し、支配者として、」「独立の恩恵を与えるという態度であったため、」「自分を一段高く置いて、現地の行政、経済はもちろんのこと、」「文化、教育に至るまで、あらゆる面に強い干渉を行なった。」

 戦時中の困難な時期ですから、氏の指摘するような事実が皆無だったとは言いません。帝国軍人という過剰な意識から、余計な世話をした者がいなかったとも、言いません。私が滑稽に思うのは、連合国軍に統治されたいた7年間を、氏は何も感じていなかったのかということです。

 GHQは、日本の行政、経済はもちろんのこと、文化、教育に至るまで、あらゆる面に、強い干渉を行ないました。国際法に違反してまで「憲法」を押し付け、皇室崩壊を企み11宮家の皇籍離脱を強行し、挙げ句の果ては共産党を支援しました。氏のような学者が、現実を忘れたままの、馬鹿な意見を言っても見過ごされる社会を作ったのは、彼らでした。

 私たち日本人が、個人の手紙まで検閲されていたというのに、都合の悪い話はしません。氏の目は「節穴」かと、笑いたくなります。

 「外国語を禁止して日本語、日本の歴史を義務教育にしたり、」「意味のない〈日本精神〉の、鼓吹が行われた。」「フィリピンのように、統制嫌いなところにまで隣組を作らせた。」「インフレ、食糧不足、挑発に悩まされた上に、」「こんな押しつけがましい支配者に、誰が好意を抱くであろうか。」

 東京裁判で連合国軍に復讐され、敗戦国となった日本は、彼らに為されるがままでした。それが戦いに負けるということですから、ご先祖さまは、黙って受け入れるしかありません。その戦勝国の奢りに便乗し、自分の国を叩くというのが、氏の本の中身のようです。

 「日本は三年半にわたる南方占領中に、現地の住民と資源を絞れるだけ絞り、」「全て日本の戦争遂行手段として、使い果たそうとした。」「赤道をめぐる宝庫とまで言われた地域が、飢餓線上に追い詰められたのである。」

 大畑先生、少し話が大袈裟過ぎませんか。日本は3年半ですが、イギリスやオランダやフランスは、200年以上もアジア諸国を収奪していますよ。そこは何も言わないのですか・・言いたくなるではありませんか。

 しかし私は、息子たちに言います。

 「驚いてはいけません。」「氏のような学者や教授が、日本にはいくらでもいましたし、」「現に今でも、います。」「この人が特別なのでなく、石を投げれば反日・左翼学者・・」「これが日本の実情です。」「驚くことは、ありません。」

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