いつもなら、ほとんど読み終えてブログに取り掛かりますが、ブログを書きながら検索し、考えながら書き、さらに考えながら調べる・・変わった本なので、変わったブログの書き方をしています。
1. 田山花袋 2. 島崎藤村 3. 泉鏡花 4. 周作人
今回は、残る二人の書評の紹介です。
〈 泉鏡花 〉
「近ごろ、おもしろき書を読みたり。」「柳田国男氏の著、遠野物語なり。」「再読三読、なお飽きることを知らず。」「この書は陸中国、上閉伊郡に遠野郷とて、山深き幽僻地の伝説異聞怪談を、」「土地の人の談話したるを、氏が筆にて活かし描けるなり。」
「あえて、活かし描けるものという。」「然らざれば、妖怪変化豈得て、かくのごとく活躍せんや。」「この物語を読みつつ感ずるところは、その奇とものの妖なるのみならず、」「その土地の光景、風俗、草木の色などを、」「不言の間に得ることなり。」
鏡花は、江戸文化の影響を受けた怪奇趣味の作家ですから、なるほどそうだろうと異論はありません。『高野聖』『照葉狂言』『歌行燈』などを読んだことがありますが、古めかしい文体も気にならず、不思議な世界に浸ったことが思い出されます。しかしそれでも、「再読三読、なお飽きることを知らず。」とは、信じられない批評です。
晩年まで親交があったと言いますから、少しは褒めているのではないでしょうか。それとも、たった43ページで、書評をする私が間違っているのでしょうか。半分でも読めば、「その土地の光景、風俗、草木の色などを、」「不言の間に得ることなり。」と、こんな経験をするのでしょうか。
「再読三読、なお飽きることを知らず。」という鏡花と、「一読の途中で、飽きることを知る」私は、このまま平行線で行くと思えてなりません。
最後の周作人は、初めて聞く名前なので、批評を紹介する前に、簡単な人物像を検索してみます。
「明治18年生まれ、昭和42年没 ( 82才 )」「現代中国の散文作家・翻訳家」「魯迅(周樹人)の弟。」
氏が魯迅の弟だったとは、驚きですが、明治39年日本に留学し、法政大学で学んでいたというのも驚きです。それだけでなく、その後の経歴も驚くしかありません。
「主に1920年代から40年代にかけて、文筆家として活躍をしたが、」「戦争中、日本の傀儡政権の要職に就いたために、」「戦後〈 漢奸罪 〉で投獄され、中国及び中国人社会においては、問題のある文人として扱われている。」「彼は中国近現代文化史における、ある種タブー的な存在である。」
気の毒な気持ちになりますが、氏の書評を紹介します。( 本書の出版23年後に、民俗学の書として紹介。)
〈 周作人 〉
「『遠野物語』一巻百十九則、およそ地勢時令、風俗信仰、花木鳥獣、ことごとく記述あり。」「家神、山人、狼狐猿の怪等に関することは、ことに詳しく、」「出版当時において、洵に唯一無二の作であったが、」「それ以後においても、これと比肩できるものは甚だ少ない。」
中国の学者までが、これほど評価するのかと、考え込まされます。
「けだし昔時の筆記は、伝記志怪をもって目的としたもので、」「みだりにこれを言うと言った病弊があって、学問的価値を欠いており、」「現代の著述中にはその虞はまずなしとしても、」「よく文章の美を有すること、柳田氏の如き人は多く見られない。」
最初は単なる怪奇譚として誤解されていたが、今は学問的価値が評価されていると、説明しています。他の人同様に、氏もまた、柳田氏の文章の美を褒めています。私には感じ取れない美があるのだとしたら、残念な気がしてきます。
「遠野物語が私に与えた印象は、甚だ深く、」「文章のほかに、それはまた私に、」「民俗学中の、豊富な趣味を指示してくれた。」
「柳田氏が、民俗学の学問を発達せしめ、」「その基礎を定めたので、単なる文献上の排列推測ではなくて、」「実際の民間生活から手を下しているため、一種清新なる活力を有し、」「自然に人の興趣を鼓舞することが、できたのである。」
ここまできますと、私はもう兜を脱ぐしかありません。無知蒙昧の学徒である私は、見当違いの批評をしていましたと、反省するだけです。
ということで、次回からもう一度、本文へ戻ります。昔の人が言いました。
「百読、意自ずから通ず。」