ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『太平洋戦争 - 下 』 - 6 ( 参考情報 2 )

2021-12-10 19:35:45 | 徒然の記

  私がこだわるのは、日本の占領統治に関する氏の説明です。アジア諸国を支配してきた、イギリス、オランダ、フランス、アメリカのそれと比較した時、氏の説明は日本の状況を、正く読者へ伝えているのかと疑問が残ります。

 〈 イギリスの植民地と統治期間 〉

   ビルマ ( 124年間  )   マレーシア ( 123年間  )  インド ( 99年間  ) 

 〈 オランダの植民地と統治期間 〉

   インドネシア ( 300 ~ 350年間  )  

 〈 フランスの植民地と統治期間 〉

   ラオス ( 80年間  )   カンボジア ( 60年間  )  ベトナム ( 79年間  ) 

 〈 大畑氏の説明 〉  

 「日本は3年半にわたる南方占領中に、現地の住民と資源を絞れるだけ絞り、」「全て日本の戦争遂行手段として、使い果たそうとした。」「赤道をめぐる宝庫とまで言われた地域が、飢餓線上に追い詰められたのである。」

 下記に示す通り、昭和18、19年は、日本が敗戦への道を転げ落ちている時です。本土を守ることで精一杯になっていたため、アジア諸国の統治が杜撰になったのも、分からないではありません。氏に言わせれば、都合の良い言い訳となるのかも知りませんが、欧米諸国の統治との比較を、全くしないのは学問的に客観性に欠ける説明です。

 〈 日本の戦況 〉

  昭和18年 5月 アッツ島守備隊玉砕

  昭和18年10月 明治神宮外苑で、学徒壮行会

  昭和19年2月 クェゼリン島、ルオット島、グリーン島守備隊玉砕

  昭和19年4月 独ソ和平斡旋案をソ連に申し入れ、拒否される

  昭和19年6月 マリアナ沖海戦 日本陸海軍大敗

 ネトウヨの意見と軽視されても、一言言っておく必要があります。以下のように内閣が目まぐるしく変わりながら、それでも日本は自衛のための「大東亜戦争」を戦っていました。陸軍と海軍の対立を抱えながら、非情な国際社会で、孤軍奮闘した政治家や軍人に、氏はなん考慮もしないのでしょうか。

 〈 内閣の変遷 〉

     1. 近衛内閣  昭和12年6月から、14年1月まで

     2. 平沼内閣  昭和14年1月から、14年8月まで

     3. 阿部内閣  昭和14年8月から、15年1月まで

     4. 米内内閣  昭和15年1月から、15年7月まで

     5. 近衛内閣  昭和15年7月から、16年7月まで (・・第二次近衛内閣  ) 

     6. 近衛内閣  昭和16年7月から、16年10月まで (・・第三次近衛内閣  ) 

     7. 東條内閣  昭和16年10月から、19年7月まで 

 「参考情報2」のため、詳細の説明が次回に延びましたが、本日は息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々へ、もう一つの報告があります。

 12月8日の『太平洋戦争 - 下 』 - 4 ( 氏の説明と別の意見 ) のブログに、GOO事務局から、次の警告メッセージが書き込まれました。

  一部の表現内容が不適切な表現に繋がる恐れがあるため、文章の一部を加工しています

 何度か読み返しましたが、どこにそのような表現があったのか、今も分からないままです。GOOのブログにはお世話になっていますので、苦情を言いたくありませんが、不親切な気がします。どこかの国のネットのように、利用者への干渉を始めたのでしょうか。

 そうでないことを願いつつ、今回は終わりとします。

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『太平洋戦争 - 下 』 - 5 ( 参考情報 )

2021-12-10 15:44:24 | 徒然の記

 75ページまで読みました。タイトルは「大東亜共栄圏の夢」で、サブタイトルが「たそがれの大東亜共栄圏」です。

 ここでもう一度、巻末に掲載されている氏の履歴を確認します。

 「昭和4年東京生まれ、早稲田大学文学部卒」「同大法学部教授、専攻・政治、外交史」

 存命であれば今年92才ですが、今は亡くなられているようです。著名な学者でなかったのか、これ以上のデータが見つかりませんでした。37才の時に書かれたこの本は、意気軒昂な時期の自信作だったと思われます。

 昭和20年の敗戦以後、昭和30、40、50年代と、反日左翼学者の本が、日本中に溢れていたことを思えば、氏を取り立てて批判する必要性も薄れます。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という、流行の中での出版物です。

 今は流れが変わり、若くて元気な、保守を自認する学者が、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と、反日左翼の学者たちを批判しています。私はあまり関心がありませんので、自分の信じる道を歩きます。

 30ページ以降、フィリピン、ビルマ、インドネシアにおける日本の統治についての説明です。「たそがれの大東亜共栄圏」という表題で分かる通り、これらの国で失敗した日本統治の解説です。負けた日本の話ですから、どのように批判しても自由で、むしろ酷評するほど本が売れた時代です。

 「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱させることに貢献した国はない。」

 「しかしまた、その解放を助けたり、」「多くの事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」

  ビルマのバー・モウ元首相の言葉でしたが、「たそがれの大東亜共栄圏」の中で、大畑氏が私の知らない事実を紹介しています。省略せず、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介しようと思います。氏の意見がどの程度正しいのかが、見えてくるのかもしれません。

 詳細は次回からといたしますが、予備知識として、フィリビン、ビルマ、インドネシアの統治に、日本が関与した年代を一覧にします。

 〈 フィリピン 〉

  昭和17年 1月 東條内閣 フィリピン新政府行政機構確立

  昭和17年 2月 東條内閣 フィリピン臨時政府事務開始  

 〈 ビルマ 〉

  昭和18年 1月 東條内閣 ビルマ独立施策決定

  昭和18年 3月 東條内閣 ビルマ独立指導要項決定 バー・モウ長官来日

  昭和18年 8月 東條内閣 ビルマ独立宣言 対英米宣戦

 〈 インドネシア 〉

  昭和18年11月 東條内閣 大東亜会議開催 ジャワ参議院議員スカルノ来日

  昭和19年 9月 小磯内閣 独立運動の激しさから、インドネシア独立を認める声明発表

  昭和20年 8月 鈴木内閣 インドネシア共和国建国宣言 ( スカルノ )

 当時の日本の戦況についても、一覧で示します。

 〈 日本の戦況 〉

  昭和18年 5月 アッツ島守備隊玉砕

  昭和18年10月 明治神宮外苑で、学徒壮行会

  昭和19年2月 クェゼリン島、ルオット島、グリーン島守備隊玉砕

  昭和19年4月 独ソ和平斡旋案をソ連に申し入れ、拒否される

  昭和19年6月 マリアナ沖海戦 日本陸海軍大敗

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