『遠野物語拾遺』を、57ページまで読みました。振られた最後の番号は、148です。前回は、柳田氏の文章にだいぶ慣れ、違和感が薄れてきたと述べましたが、今日はまた元の木阿弥です。
「らちもない」という言葉を辞書で調べますと、次のように書かれています。
① 秩序がなく、筋道や理由がたたない。 ② しまりがない。 とりとめがなく、つまらない。
祭りの夜店のくじ引きのように、物語に当たり外れがあるのか、今回は「らちもない話」ばかりでした。信じられないという人のため、実例を四つ転記します。
「 118 」
「小槌の釜渡の助蔵という人が、カゲロウの山で小屋がけして泊まっていると、」「大嵐がして、小屋の上に何かが飛んで来て止まって、」「あいあいと小屋の中へ声をかけた。」「助蔵が返事をすると、あい東だか西だかとまた言った。」「どう返事をして良いかわからぬので、しばらく考えていると、」「あいあい東だか西だかと、また木の上で問い返した。」
「助蔵は、なに東も西もあるもんかと言いざま、」「二つ弾丸を込めて、声のする方をうかがって打つと、」「ああという叫び声がして、沢鳴りの音をさせて落ちていくものがあった。」
「その翌日行ってみたが、なんのあともなかったそうである。」「なんでも、明治24、5年頃のことだという。」
一体何が言いたいのか、サッパリわからない話です。辛抱して読みましたが、らちもない話が続きます。
「 123 」
「物見山の山中には、小豆平という所がある。」「昔、南部の御家中の侍で中舘某という者が、」「鉄砲打ちに行き、」「ここで体中に小豆をつけた、得体の知れぬものに行き逢った。」「一発に仕留めようとしたが、命中せず、ついにその姿を見失った。」
「それからここを小豆平と言うようになり、狩人の間に、」「ここで鉄砲を打っても当たらぬ、と言い伝えられている。」
「 128 」
「三、四十年も前のことであるが、小友村に、」「薄馬鹿のように見える、風変わりな中年の男がいた。」「掌に黒い仏像を乗せて、めんのうめんのうと唱えては、」「人の吉凶を占ったという。」
57ページの148番も、似たような「らちもない話」です。
「 148 」
「附馬牛村から伊勢神宮に立つ者があると、その年は凶作であるといい、」「これを甚だ忌む。」「大正十二年にもそのことがあったが、はたして凶作であったという。」「また松崎村から、正月の田植え踊りが出ると、」「餓死 ( 凶作 ) があるといって嫌う。」
柳田氏は何を思いつつ、この話を推敲したのでしょうか。初版の『遠野物語』の高評価を得て、続編も自信作だったはずですから、「らちもない話」と言う自分の感想が的外れなのだろうとは思いますが、民俗学という学問にも疑問が生じます。
こんなに捉え所のない学問があるのだろうかと、首を傾げます。これが、どこでどう吉本孝明氏の『共同幻想論』につながると言うのか、興味津々です。私の関心に逆比例し、「ねこ庭」を訪問される方々が減りました。それはそうだと思います。
この年末の忙しい時に、誰がこんな面白くないブログを読む気になると言うのでしょう。書いている本人が、痛感します。