1. 田山花袋 2. 島崎藤村 3. 泉鏡花 4. 周作人
以上4人の書評を、紹介します。
〈 田山花袋 〉
「竹越三叉の『南国記』について、一種の新しい芸術的印象を受けたことは、争われない。」「それはヂレタンチシズムの上に、積み上げられたような、」「一種の印象である。」「柳田くんの『遠野物語』、これにもそうした一種の印象的匂いがする。」
ヂレタンチシズムというのは、「趣味として学問や芸術を楽しむこと。道楽」の意味ですが、のっけから、分かったような分からないような批評です。ついでなので、竹越三叉と『南国記』について、調べてみます。
・竹越三叉・・・日本の明治から戦前昭和にかけての歴史学者・思想史家
・『南国記』・・自らが主張する南進論を実証的に裏付けるため、明治42年6月から9月にかけて行った南洋視察旅行の紀行文
花袋は旅行記として読んでいるようですが、『遠野物語』がそんな本だと、私には思えません。花袋の感想はまだありますので、続きを紹介します。
「柳田君曰く、君には批評する資格がない。」「粗野を気取った贅沢、そういった風が至る所にある。」「私はその物語については、さらに心を動かさないが、」「その物語の背景を塗るのに、あくまで実際をもってした処を、」「面白いとも、興味深いとも思った。」
「読んで印象的、芸術的匂いのするのは、その内容よりも、」「むしろ材料の取扱い方にある。」
なるほど、自然主義作家、『布団』の作者は、こんな受け取り方をするのかと、呆れるしかありません。最も古い友人だから、無理にも理解してやっているのだろうと、私は頑固に考えます。
〈 島崎藤村 〉
「この物語は、全部遠い地方の伝説を集めたものであることや、」「それが著者の序文にもあるように、こういう話を聞き、」「こういう土地を見ては、人に話さずにおられないというほど、」「種々な興味深き事柄で満たされていることや、簡潔で誠実な話ぶりから、」「これに加えた標語、序文、題目などが、私の心を引いた。」
藤村も私のように、標語、序文、題目などを丹念に読んでいるようですが、心の惹かれ方が違います。
〈 「序文」「解説」や「年譜」・「索引」まであるのですから、何重もの扉に守られた寺の御本尊様のように思えてきます。自分のような罰当たりに、氏の著作が理解できるのだろうかと、そんな不安さえ湧いてきました。 〉
第一回目のブログで書きましたが、藤村とはえらい違いです。
「柳田君から寄贈された、この異色ある冊子は、」「今私の前にある。」「ちょうど私は、読み終わった処だ。」
著者から寄贈された本なら、儀礼上からも、誉めなくてならない訳だ。私だって、他人から本を贈呈されたら、それなりの配慮をする・・と、どこまでも頑固に考えます。
「山の神、姥神、山男、山女、または作者の言うごとき、」「メーテルリンクの侵入者を想わせるような、不思議な、」「しかも生きた目の前の物語に対すると、ルーラル・ライフの中に見出される、」「脅威と恐怖とを、微かに知ることができるような気がする。」
メーテルリンクとは、『青い鳥』の作者だろうと思いますが、ルーラル・ライフは知りません。ついでですから、調べてみましょう。
「ルーラル・ライフ」は人名でないらしく、検索しますと、「ルーラル・ライフ大分」、「ルーラル・ライフ高松」などと、地名がいくつも出てきます。めげずに調べていますと、それらしい説明文がありました。
「土いじりと料理が好きな田舎モノ。」「 田園暮らしと農作業の日々」
なんだ、そういうことかと思いました。「農村の暮らし」と日本語で言えば良いものを、「ルーラル・ライフ」などと横文字を使うからややこしくなります。国民をたぶらかす時、政府の役人がこんなことをしますが、藤村もそんな人間の一人だったようです。今の新聞を読んでください。「インバウンド」「フレームワーク」「コモディティー」「クラスター」「ロックダウン」等々、官僚たちが奇態な横文字を乱用します。
明治時代に生まれ、昭和の初期まで生きた人間と、戦後教育で育ち令和まで生きている私とは、ここまで違うのかともう一度、考えさせられます。私はこの話を読んでも、メーテメリンクの不思議な世界を感じませんし、脅威も恐怖も覚えません。自分ではかなり繊細な人間と思っていましたが、藤村や花袋、柳田氏は、さらに繊細な心情を持っていたのかもしれません。そうなりますと、次の批評も、まんざら誇張でないのかもしれません。
「民族発達の研究的興味から、この本が著されたものであるとしても、」「私はこの冊子の中に、遠い、遠い、野の声というようなものを、」「聞くような思いがする。」「欲を言えば私は、こういう話の生まれ伝わった地方の有様を、」「今少し、詳しく知りたい。」「私が『遠野物語』の著者を、民族心理学の研究者、霊界の探採者としてよりも、」「観察の豊富な旅人として見たいと思うのは、この故である。」
「私の知る限りにおいては、柳田君ほどの旅行者は少ない。」「また君の如き、観察眼に富んだ旅行家も少ない。」
褒めすぎでないのかという疑問が残りますが、なんとなく納得がいくような、藤村の批評です。それでも、私の気持ちは、不変のままです。次回は、残り二人の批評を紹介します。