ねこ庭の独り言

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『太平洋戦争 - 下 』 - 8 ( 毛沢東の『持久戦論』 )

2021-12-15 10:19:37 | 徒然の記

 本日は、左翼系学者・東大教授加藤陽子氏の意見について、述べます。今後は、自分と違う意見を持つ人に対し、私が感じた疑問点に絞って語ろうと思います。

 強い反論や批判は、相手を感情的にするだけでなく、読んでいる第三者にも不快感を与えると言うことが分かりました。今日、テレビの国会中継を見ていたら、若い野党の議員が岸田総理に質問をしていました。

 自民党の失点を取り上げ、大声で追及し、居丈高に問い詰めると言うのが、従来の国会質疑でしたが、何がどうなったのか、穏やかな質疑でした。これまでは、相手をなじるだけの質問で、不毛な議論でしたから、テレビのスイッチを切っていました。重要な事案は相手を尊重しつつ、冷静に話すことが大事・・、どこまで実行できるのか自信はありませんが、今日はテレビでそれを教えられました。

 本題に戻り、私が感じている加藤教授への疑問を述べます。

 日本とアメリカの国民総生産、鋼材生産量、自動車保有台数、石油生産量などの数字を比べていますが、むしろ比較すべきは、日清・日露戦争と、「日中戦争」・「大東亜戦争」の歳月ではないでしょうか。戦争開始から終了までの期間を調べますと、次の通りです。

   1. 日清戦争・・10ヶ月   2. 日露戦争・・1年2ヶ月

  3. 日中戦争・・5年間     4. 大東亜戦争・・4年間

 日清戦争も日露戦争も、現在の目で数字を見ればそうでないと思えても、当時の指導者には大変な彼我の差だったはずです。だからご先祖さまたちは、開戦と当時に終戦工作にかかっています。日本を理解し、支援してくれる国を見つけ、戦争遂行に劣らない力を注いでいました。

 薄氷を踏む勝利でしたが、諸外国が日本の負けを思い描く中での戦勝です。日本は短期決戦であれば力が発揮できますが、何年もかかる戦いでは、国力が持ちません。分かっているはずなのに、なぜ昭和の指導者たちは、力を超える長期戦をしたのか。

 ここに先の戦争を解く鍵があるのではないかと、私は思います。

 「中国との戦争は、3ヶ月で終わらせる。」「米英との戦いは、半年もあれば目処がつく。」

 緒戦の勝利の華々しさが、指導者たちの緊張感を失わせ、驕りを生じています。信頼できないヒトラーのドイツに心酔し、振り回された失敗の大きさも手伝いました。加藤教授の語る、アメリカとの国力の差、生産力の差も、短期決戦なら負けないと言う自信の前では、無視されていたのではないでしょうか。だから私は、氏の語る数字説を、敗戦後の日本から見た「結果論」ではないかと考えてしまいます。

 「日本が戦争をやめようと思っても、火つけ強盗が火事を起こすから、引きずられてしまった。」

 今でも林房雄氏の言葉を正しいと受け止めていますが、コミンテルンの指示を受けた毛沢東の『持久戦論』が、その火事の一つでしょう。

 コミンテルン、毛沢東、そして蒋介石を支援する米英の反日勢などにより、日本は、抜けるに抜けられない戦争に引き摺り込まれていたと言えます。図式にすれば、蒋介石と日本は、世界の資本主義勢力と共産党勢力の代理戦争をさせられていたという、一面も見えます。

 緒戦の戦果に酔って自信をつけ、国際情勢を見誤ったところが、昭和の指導者の失政であろうと、私は考えます。しかもこの失政は、後世の私たちが言うほど、簡単に気づけないものでした。

 昭和13年に毛沢東が発表した、『持久戦論』の一部をもう一度読んでみましょう。

 〈 持久戦論 〉

  ・戦争の勝利を得るのは、正規軍による戦闘だけではない。

  ・一般大衆を立ち上がらせ、これと組んでゲリラ戦をやることが極めて重要だ。

  ・人間そのものが武器であり、中国には億単位の武器がある。

  ・最終的には、中国の「人民ゲリラ戦」が必ず勝利を収める。

 当時の中国の人口がおよそ13億人で、毛沢東は、一億人の人間を武器として消耗しても、国のためなら当然と考えていたと言われています。日本の人口が7千万人くらいの時ですが、この数字についても、昭和の指導者は注目していません。と言うより、気づけなかったのではないでしょうか。

 正規軍の戦いしか知らない日本の指導者は、簡単に退却していくゲリラを見ながら、「敵の敗走」と考え、「自軍の勝利」と思い込み、彼らに引きずられ、泥沼の戦争に誘われました。毛沢東の『持久戦論』を、もう少し読みましょう。

〈 『持久戦論』続き 〉 

 「敵側は、中国の泥沼に落ち込んだ数十個師団の軍隊を、」「そこから、引き出すことができない。」「広範な遊撃戦と、人民の抗日運動とが、この大量の日本軍を疲労困憊させる。」「一方では兵を大量に消耗させ、また他方では、彼らの郷愁、厭戦の気分を反戦にまで発展させて、」「この軍隊を瓦解させるであろう。」

 「日本は資本が欠乏しており、また遊撃隊に苦しめられているので、」「急速に、大掛かりに、成功することは不可能である。」

 「中国が独立国となるか、それとも植民地となり下がるかは、」「第一段階における大都市の喪失によって決まるのでなく、」「第二段階における、全民族の努力の程度によって決まる。」

 「この第二段階は、戦争全体のうちでは過渡的段階であり、」「また最も困難な時期でもあるが、しかしそれは、転換のための枢軸である。」

  「もし抗戦を維持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持することができれば、」「中国はこの段階で、弱いものから強いものに変わっていくだけの力を、獲得するであろう。」

 この上で加藤教授の意見を読み直しますと、

 「日本は、世界を敵としてしまった。」と言う言葉の正しさが分かります。ドイツと組み、イタリアと組み、スターリンのロシアと便宜的提携をすることにより、日本は孤立しました。しかも提携した相手から、最後には裏切られます。

 「当時の指導者たちは、絶対的な差を克服するのが "大和魂 " だとした。」「国民をまとめるには、〈 危機を扇動する方が良い 〉と判断した。」

 そうでなく戦争の末期になると、指導者たちは正常な判断ができなくなり、「大和魂」も「危機の扇動」も、考えた上での政策と言うより、そうしかできないところまで追い詰められていた・・と言うのが事実ではなかったのでしょうか。

 加藤氏の意見の紹介は、本題でありませんので、次回は大畑氏の著作に戻ります。

コメント (2)
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