『遠野物語』、43ページを読んでいます。大抵の本は、このくらいまで読み進むと、なんとなく全体が見えて来ますが、いくら読んでも霧の中です。
佐々木鏡石氏から、聞き取った話が延々と続きます。番号が振ってありますので、これが話の区切りです。短い話は三行程度、長い話は十行ばかりです。どんな話か、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介します。
14 「部落には必ず、一戸の旧家ありて、」「オクナイサマという神を祀る。」「その家をば大同という。」「この神の像は桑の木を削りて顔を描き、四角なる布のまん中に穴を明け、」「これを上より通して衣装とす。」( 中 略 )
「大同の家には、必ず畳一帖の室あり。」「この室にて夜寝る者は、いつも不思議に遭う。」「枕を返すなどは常のことなり。」「あるいは誰かに抱き起こされ、また室より突き出さるることあり。」「およそ静かに眠ることを、許さぬなり。」
念の為、もう一つ紹介しますが、「詩人であった先生の溢美の文章は、醇乎たる文芸作品となっている。」と言う、大藤氏の解説に該当する叙述の発見はできませんでした。世評の高い書が全く分からないというのは、残念なことですが、もしかすると、民俗学の素養のない人間には、無縁の本なのでしょうか。
何度読み返しても、「溢美の文章」も「醇乎たる文芸作品」も、私には感じ取れません。氏は「初版序文」の中で、次のように興奮しています。( 息子たちのため、私が文語文を口語文に書き換えました。)
「こんな話を実際に聞き、遠野の地をこの目で見て、」「これを人に伝えないでおれる者が、果たしているだろうか。」「黙って自分だけのものにしておくような、そんな慎み深い人物は、」「少なくとも、自分の友人の中にはいない。」
だから、佐々木鏡石氏から聞いた話は、本にして世に出さずにおれない、という意見です。今はこれが一派をなす、学業となっているのですから、無知な門外漢の私の出る幕はなさそうです。
54 「白望の山続きに、離れ森というところあり。」「その小字に長者屋敷というは、全く無人の堺なり。」「ここに行きて炭を焼く者あり。」「ある夜その小屋の垂れ菰を掲げて、内を伺う者を見たり。」「髪を長く二つに分けて、垂れたる女なり。」「この辺りにても、深夜に女の叫び声を聞くことは、珍しからず。」
愚かな学徒である私には、「醇乎たる文芸作品」と言うより、「取り留めのない話」でしかありません。私の知る学問には、なんらかの体系があり、一つの論理があります。番号を付した「話」には、体系も論理も見当たりません。私の前にあるのは、「取り留めのない話」の羅列です。一つ一つの話が学問の要素であるのなら、整理・分類された上で、氏の説明が要るのではないでしょうか。
全国を訪ねている氏の頭の中では、各地の民話が比較検討され、「日本人とは何か」という学問的探究心につながるものが見えているのだと、思います。整理していない個別の話を、読者の前に並べるだけの作品なら、私はこれを「未整理の研究材料集」と呼びたくなります。
71番まで読んでいますが、砂を噛むような退屈さとの戦いです。驚いたことに、『遠野物語』は69ページで終わり、72ページからは改訂版である、『遠野物語拾遺』が続くと言うことも、今回わかりました。改訂版は122ページで、佐々木鏡石氏の没後に出版されたものです。
私が生半可な書評をしていると言うことは、大藤氏の「解説」を読めば誰にも分かります。本文を中断し、氏が紹介している著名人の書評を紹介します。
1. 田山花袋 ( 最も古い友人 )
2. 島崎藤村 ( 柳田氏から、著書を贈られた作家 )
3. 泉鏡花 ( 晩年まで親交のあった作家 )
4. 周作人 ( 留学中に神田の古本屋で氏の本を見つけた、中国人民俗学者 )
これを読みますと、私の批評がいかに的外れであるのか、一目瞭然です。回り道になりますが、次回は4人の人物の書評を紹介し、自分の無知を晒しましょう。これもまた貴重な経験なので、こんな機会を与えてくれたkiyasumeさんに感謝しつつ、今夜はこれで寝ます。