『遠野物語』を中断し、内田洋子氏著『ジーノの家』( 平成23年刊 (株)文藝春秋 )を、読みました。
家内が図書館で借りた本で、返却期限が迫っています。「面白いから、読んでみたら。」と言われ、「面白い」の方に心が傾きました。堅苦しい先生の授業より、図書館で読む本の方がずっと楽しい・・という、あの心境です。
内田氏はイタリア在住の日本人ジャーナリストで、昭和34年に神戸で生まれています。イタリアの何もかもが、好きでたまらないという氏は、東京外国語大学イタリア語学科を卒業後、単身でイタリアへ渡ります。今はミラノで、「通信社UNO Associates Inc. 」を立ち上げ、代表に就任しているとのことです。
日本のマスコミ向けに、ヨーロッパのニュースや、写真を提供するのが仕事だと言います。通信社を立ち上げて、日本へ情報を売るというのですから、この世には、私の知らない職業があるのだと、これだけでも知識が広がります。〈 日本人とは何か 〉と、柳田氏や私が考えている間に、現実の日本人はずっと先を歩いています。
会社勤めをしている頃、スペイン、ポルトガル、イタリア、イギリスと旅行したとき、現地のガイドとして活躍する日本人女性に、たくさん出会いました。現地人と結婚していたり、独身のままであったりですが、みんな颯爽としていました。
男性ガイドは大抵現地人でしたから、自分の少ない経験からしても、戦後の日本人女性は男よりも思い切りがよく、物おじしない逞しさがあるような気がします。氏もそんな女性の一人ですが、確かに面白い本で、一気に、1日で読み終えました。
日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞を受賞しているだけでなく、イタリアの三大文学賞の一つとなる、露天商賞(Premio Bancarella)の中にある、イタリア書店員連盟の「金の籠賞」を受賞しています。
「露天商賞」も「金の籠賞」も初めて聞きますが、イタリアの三大文学賞の一つだというのですから、権威のある賞に違いありません。まして、イタリア人以外に贈られるのは、史上初と言いますから、きっと凄いのでしょう。
279ページの本ですが、読みだすとやめられなくなり、柳田氏には申し訳ないことながら、『遠野物語』より面白いのではないかと思ったりします。
「日本人なら、日本を愛して当然だ。」と考えている私ですが、イタリアへの愛を一杯にし、イタリア人の生活ぶりを語る氏に、何も違和感を覚えませんでした。だからと言って、イタリアの良いところばかりが書かれている訳ではありません。
「地区内の、まともな大人の住民は少数である。」「ここの子供たちの親兄弟、親族、友人知人の誰かは、」「必ず警察の世話になっている。」
「前科者、服役中もいれば、指名手配中もいる。」「ごくわずかだが、もちろんごく当たり前のイタリア系家族も住んでいる。」「地方から働きに出てきて、ミラノ市内のあまりの物価高に驚いているところへ、」「破格に廉価の賃貸住宅が見つかり、しかし住んでみて、びっくり。」
「安いはずである。」「ご近所は皆、人生を投げたような人ばかりだからである。」「幼い子も若者も、その眼差しは憎悪と失望に満ちている。」「驚いてすぐに出ていく人たちもいれば、多少のことには目をつむり、」「ここで暮らさざるを得ない人もいる。」
差別差別と、日本ではマスコミが騒いでいますが、イタリアは違っているのでしょうか。それとも10年前の本なので、今ではイタリアも世界の流れに乗り、「差別のない社会を ! 」と、叫んでいるのでしょうか。
ある時氏は事情があって、着の身着のまま、港の船だまりで船上生活をすることになります。ここで暮らすにも、さぞ込み入った規則があるだろうと、船乗りの老人に尋ねます。
「規則なんてないね。」「問題が起きるのは、そもそも自分に器量がないからだ。」
そこで氏は、大波小波は各人の器量次第だと、得心します。
「海であれ陸であれ、生活していれば問題があるのは当たり前で、」「難儀であるほど、切磋琢磨の良い機会で、」「乗り切った後の楽しみは、また格別なのだということが、」「次第にわかるようになった。」
なんだかホッとするような、意見ではありませんか。イタリア人が凄いのか、日本女性である氏が凄いのか、感心させられました。
「どの人にも、それぞれ苦労はある。」「自分の思うように、やりくりすれば良い。」「イタリアで暮らすうちに、常識や規則で一括りにできない、」「各人各様の生活術を見る。」
「名もない人たちの日常は、どこに紹介されることもない。」「無数の普通の生活に、イタリアの真の魅力がある。」「飄々と暮らす、普通のイタリアの人たちがいる。」
283ページの「あとがき」の中の言葉です。日本だのイタリアだの、愛国心などと、面倒なことは言いません。自分の人生ですから、好きなようにおやりなさいと、声をかけたくなります。本の中身の紹介はしませんが、「あとがき」の最初の文章だけを、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に贈ります。
「今度こそ春がきたら、もう日本へ帰ろう、と思い、」「春が過ぎると、夏いっぱいはイタリアで過ごし、」「秋から日本で暮らそうか、と先送りする。」「そうこうするうちに、また春夏秋冬。」「何年も経った。」
「イタリアで生活するのは、私には難儀なことが多くて、」「毎年、〈 これでおしまい 〉と固く心に決めるのに、」「翌年も、相変わらずイタリアにいる。」
氏の言葉に励まされ、次回から『遠野物語』へ戻るとしましょう。