新聞では、北朝鮮に対する安倍総理の厳しい対応が報道されている。
この長きにわたる北朝鮮の不誠実な取り組みと、手前勝手な言い分の繰り返しを思えば、圧力強化は当然である。
拉致家族の人々は、のらりくらりと自己正当化ばかりする北に対し、政府の対応は手ぬるいと、切歯扼腕してきた。今回の圧力強化策の実行についても、拉致家族の方々は、やむを得ないと苦渋の了解をしている。
けれどもここに、奇妙な人物が一人いる。
新聞の報道なので、事実が正しく伝えられているのか自信は無いが、記事をそのまま転記する。蓮池薫氏の兄、透氏58才の言葉だ。
「対話を続けながら、制裁を強化するなんて矛盾だ。」「言っていることと、やっていることがばらばら。」
いったいどこからこんな考えが出てくるのか、拉致家族連盟から除名された理由がわかってきた。
安倍総理は拉致問題を踏み台にして、首相の座を手にしたなどと、たわけた本を出版した人物でもある。先日は、反日の外国人特派員協会で総理への批判を展開した。むしろ、彼こそが、拉致家族と安倍氏を踏み台にし、売名と金稼ぎに精を出しているのではなかろうか。
長らく拉致問題を担当してきた山谷議員が、「蓮池透氏は、北の工作員ではないか。」と疑問を呈していたが、そうでなければ理解不可能な透氏の言動だ。けれども私は、山谷氏とは違う意見を持っている。
「北の工作員なら、もう少し賢い。」「彼は北に洗脳された、お花畑の日本人の一人に過ぎない。」
お疲れが取れましたら、お待ちかねの方と乾杯したく存じます。
首を長~くして、一日千秋の思いで、待ってらっしゃる方の先に・・・と思いましたが、とにかくお帰りなさいのご挨拶まで申し上げます。
お土産話、小出しにして徐々にお聞かせください。
ノルウエーの小さな街で、たくさんの発見を致しました。
楽しいことも悲しいことも、或は意外なことも。
あらゆるものを突き詰めまして、最後に手の中に残った発見は、「日本」と「自分」でした。
少し落ち着きましたら、小出しの思い出話を致します。
ご挨拶が遅れましたが、コスモスさんのブログと杉の子酒場の扉は、黙って何度も訪れておりました。杉の子酒場では、マスターに無断で、ウスイキーの水割りを二、三杯飲みました。
お疲れ様でございました。皆様とともにおまちしておりました。
さて、憂国の士様、みな様のお出ましを待って乾杯ですね。
(お留守の間におじゃましておりました。)
まずは無事のお帰りをお祝いいたしましょうか。
おみやげ話も楽しみで~~す!
桜が間に合ってようございました。
\(^ ^)/
お疲れでしょう、ゆっくりお休みになられましたか。
それにしても、onecat01さん、
ラブレター・コスモスさん、ゆりあさんの何と優しいお迎えの言葉でしょう、
私は、御二方の心の中からの言葉をお聞きするだけで心が癒されます。
男の活躍は、そんな女性がそばに居てこそ成り立ちます。
又、二人で巨悪に立ち向かいますか ? 男の舞台に休みはありません。
コスモスさん、ゆりあさん、onecat01さんの凱旋帰国の祝杯です、
北欧の旅、ゆっくり聞かせてもらいましょう、旨い酒になりそうです。
乾杯 !?
凱旋帰国ですね。
ノルウェーのお話を楽しみにお待ちしています。
ご挨拶が遅れました。いささか時差ぼけがありまして、ぼんやりとしておりました。
ノルウエーについては何も知らず訪ねましたが、現地で日本語のノルウエー説明書を読み、たくさんの発見をいたしました。
落ち着きましたら、少しずつ述べたいと思っております。皆様の温かいコメントをいただき、日本へ戻ったという安堵があります。
どうか、これからもよろしくお願いいたします。
というより、わが兄と呼ぶべきなのでしょうか。
言葉の通じない土地にいますと、貴兄の存在の大きさを知らされました。
彼の国も美しい土地に、善良な人々が暮らしておりましたが、日本と違うところは、左翼も右翼も、国を大切にしているというところでした。
日本にはびこる巨悪は、やはり反日・売国の日本人たちですね。敗戦後に繁殖した病原菌みたいな存在です。
彼らがノルウエーの野党のように、祖国愛に燃え、王様を誇りにしている政治家たちの集まりなら、安倍政権や自民党をいかに攻撃しようと、私は何も言わないのに・・・・と、そんなことを考えておりました。
貴方にコメントをいたしますと、ついついこんな調子になります。
本当は、「ただいま帰りました。」それだけで良いはずなのに。
おっしゃる通りでした。室内は暖かくて薄着で過ごせるのに、戸外では毛糸の帽子にダウンです。手袋もした上に、ズボンは二枚重ねました。
きっと北海道もそうなのでしようが、これほど寒暖の差が大きいとは思いませんでした。
二週間とちょっとの滞在でしたが、団体行動の観光でなく、何をするにも自分一人で、買い物もするしバスにも乗りました。
オランダではほとんど通じませんでしたが、ノルウエーでは、私の下手な英語でも簡単な用は足せました。
行きの飛行機でSASの機内乗務員が、上手な日本語で話すので、飲み物の注文を日本語で致しました。
「何にしますか。」「紅茶をください。」
すると彼女は暫くして、にこやかに私を眺め、テーブルにコニャックの小瓶を置いていきました。
日本語で言ったのに、聞き違えのコニャックでした。
ワインまでサービスされましたので、全部飲んで、ぐっすりと眠り、目覚めたのは、デンマークのコペンハーゲンでした。11時間のフライトも、あっという間の出来事となりました。
観光で行く外国と、生活をする外国の違いがありました。それはまたいつか、お話いたします。
これからも、どうかよろしくお願いいたします。
onecat01さまがご指摘のこと、私も感じましたし出演していた識者たちの雰囲気も彼の言い分を唖然とした面持ちで聴くばかりでした。
画面からもわかる冷ややかな雰囲気は「上祐史浩」氏が出演した時とそっくりでした。
しかし私は疑問に思うのです。
この方、弟さんがいよいよ帰国する段になって心境を聞かれた時「洗脳されていないかが心配だ」と答えていたのです。
そのあと、帰国後しばらくしてから「実際あの時はどうだったのですか?」と聞かれ
「弟は別の人間かと思うほど変わっていて、北に帰るか否かで激しく口論した」とも話していました。
私にはその時の蓮池氏と今の彼では全く正反対の人間に思えます。
奇妙なことに恐れていた薫氏の変貌はそれほどでもなく、お兄様より違和感なく受け止められます。
帰国された方を云々するのはよくないのですが、私はあの「北」が単に外交交渉の結果として彼らを日本に返したとは思えないのです。そこには「次の一手」が隠されているという疑念を捨て切れません。帰国された方達もそれは知らないかもしれません。
蓮池氏は上記のように冷たい雰囲気のまま画面から消えていきました。
場馴れした出演者たちならいざしらず、素人には辛いことだったろうと思います。
そんな状況を耐えることが出来るのはよほどの信念があるのでしょう。
その正体が何なのか、一段と深い闇を感じたのでした。
同様の思いを、私も抱いております。もしかすると、弟の薫氏の方に原因があるのではないでしようか。
「あっちに、聞いてください。」「あっちの方が、上ですから。」
拉致被害者帰国時のインタビューで、地村氏が、言葉少なに答えていた場面が、記憶の断片にあります。
当時薫氏は、金日生バッジを胸につけ、兄の透氏が外せといっても、断固として撥ねつけたと聞いております。
地村氏の言葉に合わせ、今になって思いますと、薫氏こそは、筋金入りの北信奉者で、帰国者たちの監視役も兼ねているのではないのかと推察いたします。
おそらく氏は、北においても、他の帰国者と異なり、経済面的に豊かな暮らしをしていたのではないいのでしょうか。
「せっかく帰国しても、貰えるのは僅かな生活費で、」「しかも日本で職を得たら、減額されます。」「拉致被害者の過去を償うには、足りない金額です。」
「北に残っている拉致被害者もこれを知ったら、日本に帰りたいと思わないでしょう。」
これは兄の透氏が、特派員クラブで語った内容の一つです。聴きながら私は、彼が弟の代弁をしているのだと理解いしたました。
透氏の報道をした同じ新聞記事に、北朝鮮が拉致問題の解決に大きな対価を望んでいること関する、薫氏の言葉が載せてあります。
「誠意があることを見せた時は、経済協力など、見返りがあることを示すべき。」
「重要なのは、北朝鮮に向かって、日本からのメッセージを伝え続けることだ。」
どうでしょう。これが拉致帰国者として、一般庶民としての言葉でしょうか。
私は薫氏こそが、いまもなお工作員であり、透氏はミイラになったミイラ取りでないかと、推察致します。
きっと公安関係者も、政府中枢も、そこは知っているのではないでしょうか。
「その正体が何なのか、一段と深い闇を感じたのでした。」貴方の言葉を、そのまま胸に刻んでおります。