池宮城秀意 ( いけみやぎ しゅうい ) 氏著「戦争と沖縄」( 昭和55年刊 岩波ジュニア新書 )を、読み終えました。
沖縄についてはいろいろ本を読みますが、今ひとつ理解できません。同じ日本なのに、常に対立し、敵対している面がある一方で、美しい海と空の、暖かく優しい島々の印象もあり頭が混乱します。
今回手にしたのは、岩波ジュニア新書ですから、中学・高校生向けに書かれた本です。日本で初めて戦場となった沖縄戦の悲惨な事実も、具体的に知りました。江戸時代に薩摩の支配下に置かれた時から、明治政府による統治も含め、沖縄の歴史も復習しました。
いわば沖縄は、長い間家族と離れ他人の間で苦労し、久しぶりに戻ってきたけれど仲々家族の輪に入れず、未だに気持ちの行き違いがある兄弟、という気がして参りました。
無知を啓蒙してくれた書として、この本も感謝すべき一冊となります。著者の略歴が、本のカバーにありますので紹介します。
「明治40年、沖縄に生まれる。」「昭和5年に、早稲田大学を卒業後、沖縄日報 ( 現在は廃刊 ) の記者となる。」「昭和20年、米軍の沖縄上陸直前に、召集され、のち捕虜となる。」「戦後は、うるま新報 ( 現在の琉球新報 ) の記者、」「編集局長、社長、会長を歴任。」
氏が生まれた明治40年は、どんな年であったのか調べてみました。
- 2月 足尾銅山で、労働争議が起こる。
- 4月 南満州鉄道 ( 満鉄 ) 開業
このほか9月には、ニュージランドがイギリスの自治領となり、11月には、アメリカが、日本人労働者移民の渡航制限を要請しています。自由の国アメリカからこんな要請がされるほど、日本人の移住者が多かったのでしょうか。それとも既にこの頃から、アメリカ人は日本人を差別していたのでしょうか。
本が出版された昭和55年がどんな年だったのか、巻頭に収められている地図が、よく物語っています。沖縄生まれの氏らしく、「アジアの中心に位置する沖縄」とタイトルがつけられています。
地図の真ん中に沖縄があり、右上に日本列島、対面上方に韓国、左手に中国が描かれています。中国のすぐ下に、台湾が位置し、間には東シナ海と日本海があります。沖縄本島を囲むように、悪石島、奄美大島、南大東島、慶良間諸島、宮古島、石神島、西表島、与那国島と、島々の名前と位置が示されています。
私たちは、こういう地図を常に眺め、沖縄の重要性を肌で感じる必要があります。言っている私にしましても、沖縄の島々が、こんなにも台湾や中国の近くにあるとは実感していませんでした。時代を感じると言いますのは、ここまで詳細に、島の名前を書き込んでいながら尖閣諸島の名前が無いからです。
尖閣諸島は五つの島で構成され、魚釣島、久場島、大正島などがあります。小さすぎるから省略したとも考えられますが、当時は中国とのトラブルもなく、平穏な島だったため強いて載せる必要がなかったのかもしれません。
本の目次とは違うのですが、私なりに区分してみました。
1. 沖縄での戦争 2. 沖縄の歴史 3. 日本に復帰するまでの歩み
最近の沖繩県政と、左翼活動家たちの激しい反日行動と、沖繩タイムズや琉球新報の」記事を見ていますと、「沖縄は本当に日本なのか。」「切り離してしまえば、」と、そんな気持ちにさせられていました。
しかしそれが大きな間違いであることを、氏の本が教えてくれました。確かに沖縄は、特殊な島であり言葉も違い、風俗や習慣も異なっていますが、れっきとした日本人の島でした。
あまりに長く日本との距離を置き、独立の制度を守り中国の影響を受けたため、支配していた薩摩の武士たちでさえ、沖縄を他国と勘違いしていたというのですから、今の私たちが沖縄を誤解しても無理はありません。
読後感を一言で述べますと、江戸から明治ににかけ昭和になってからも、政府は沖縄を継子扱いにしてきた。そして本土に住む私たちもそんな沖縄に無関心で、日本史の中から外れたものとして、考えてきたという事実です。
日本政府や日本人への怒りや恨みが、あちこちで語られますが、無理もないことと受け止めました。何時でしたか、我那覇真子さんの父君である、我那覇隆裕氏が、沖縄独立を主張する人物に、激しく反論している動画を見たことがありました。
「なんということを言われますか。沖縄の人間は、日本人ですよ。」「日本人の血が流れているんです。」
「沖縄の独立なんて、とんでも無いことです。左翼のプロパガンダに騙されて、日本人の分断に手を貸してはいけません。」
あの時半信半疑で動画を見ていましたが、池宮城氏の著作を読み、我那覇氏の意見の正しさを知りました。自分の反省も含めつつ、次回から書評に向かいたいと思います。
息子たちも私同様、沖縄を知らないはずですから、心を込めて語ります。疎遠にしてきた家族の話ですから、これはもう、長くなっても我慢して読むしか無いと思います。
コバルトブルーの空、瑠璃色の海、白い砂浜、豊饒な熱帯樹、そこにすんでいる人の純朴な人情。
、、、、なにもかも、好きになれないはずはありません。
沖縄(琉球)の民と本土のヤマト民族はひとつの血を分けた同一民族です。
私には、沖縄人を異邦人とみなすような発想は全くありません。
私は、沖縄には何度か行った事があります。沖縄本島にもいきましたし、西表島(いりおもてじま)にも行った事があります。でも、土地の人からは、私が本土からの旅行者であることは、全く見破られなかったです。
沖縄の海辺で仰ぐ夏の太陽には、本当に堪能しました。
沖縄の言葉では太陽のことを【テダ】といいます。
これは、ヤマト言葉の『てらす』という言葉と同根です。【天照大神あまてらすおおみかみ】の『てらす』です。
これを例にとっても、沖縄人はれっきとした日本人だということがわかります。
沖縄と日本本土とを引き離そうとする策謀には、ほんとに腹がたちます。
沖縄の左翼の人の過激な活動にはやりきれない気持ちがしますが、実際は本土から渡航した過激派が相当混じっているようですね。なかには、日本人とは思えない連中もいるらしいです。
むろん、私は、沖縄を含めた日本を、どんなことがあっても護りたいと思います。
我那覇真子さんの行動や思想には150パ-セント共鳴します。
本当に我那覇真子さんは、素晴らしい女性です。!!
世に出るべくして出てこられたと思います。!
来る7月29日に、大阪のアパホテルで、我那覇真子さんの講演会とパ-ティーがあります。
私も行きたかったんですけど、あいにく別の用事があって行けなくて残念です!!
また、別の機会に是非お会いしたいです。
◎沖縄(ウチナ-)を、守る乙女の、凛々しさよ、日焼けせし顔に、潮風は吹く。
◎沖縄の、乙女と結び、戦わん、大和乙女と、呼ばれし我も。
貴方はすでに、沖縄を日本と考えておられますのに、私はずっと、疑問を抱いて今日まで参りました。
本土から移住した左翼過激派と、反日・左翼政党の政治家たちが、引っ掻き回しているため、沖縄全体を誤解しておりました。
しかしこれからは、違います。自分たちの問題ですから、きちんと考えていこうと思います。
「本当に我那覇真子さんは、素晴らしい女性です。!!」「世に出るべくして出てこられたと思います。!」
この点につきましては、私も同感でございます。何も手助けはできませんが、「世直し、自分直し」の活動が、大きなうねりとなり、全国へ波及していくことを願い、千葉の片隅から、エールを送ります。
沖縄(ウチナ-)を、守る乙女の、凛々しさよ、
日焼けせし顔に、潮風は吹く
この歌は、彼女にピッタリですね。頼もしくも、凛々しくもある彼女の、笑っている顔が浮かびます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。