ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

女性皇族の考え「理解を」- 10 ( 竹田氏のプロフィール )

2024-12-19 21:32:27 | 徒然の記

 竹田氏は、読者登録数8万人の「竹田恒泰チャンネル 2 」の動画を持っており、時々見ていますから全く未知の人物ではありません。

 主としてウィキペディアの情報で調べていますが、学徒として検討するのは初めてなので、新しい発見が沢山あります。

  〈 竹田氏のプロフィール 〉

   ・昭和50年東京都生まれ、49才

   ・評論家、作家、実業家、皇学館大学非常勤講師

   ・株式会社エクスチェンジャーズ、株式会社前方後円墳代表取締役、「令和書籍」社長。

   ・利尻昆布ラーメン「くろおび」オーナー ( 東京都内に2店舗 ? )

 代表取締役社長と社長、オーナーの区別がよく分かりませんが、ユーチューバーとして忙しいだけでなく、氏は多彩な活動をしています。ラーメン店まで経営していました。

   ・旧皇族の竹田家(旧竹田宮家家)出身

   ・竹田宮恒久王と昌子内親王の曾孫であり、男系では北朝第3代崇光天皇の19世、竹田宮恒徳王3世。

   ・女系では明治天皇の玄孫 ( やしゃご ) で、今生天皇(徳仁)の三従兄弟にあたる。

 氏が旧皇族であることが分かりますが、皇族の複雑な系図を記憶していないため頭の中で繋がりません。

   ・日本オリンピック委員会 ( JOC ) 前会長の竹田恒和の子。

   ・松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高校を経て、エスカレーター式で慶應大学法学部で環境学を専攻して卒業する。

 安倍内閣の時、当時会長だった竹田氏が東京オリンピックを誘致した時、巨額の賄賂を使ったと新聞で騒がれました。そのせいもあるのか、ウィキペディアの説明もなんとなくぞんざいです。

 「竹田恒和の子」と書き、「エスカレーター式で」とまるで学力がなくても卒業できると言わんばかりの説明です。普通なら経歴の説明に、このような余計なことを書きません。

   ・イラク戦争前の2003年(平成15年)1月、一水会代表の木村三浩らと共に「ブッシュ政権のイラクを止めさせる緊急アピール」発起人となり

   ・同会のイラク訪問団(団長・木村三浩)に、鈴木邦男、塩見孝也、平野悠、PANTA、沢口友美、雨宮処凛、大川豊らと共に参加した

 一水会については民族主義団体と聞いたことがありますが、活動の内容もメンバーの名前も知りません。今の日本では「ねこ庭」のブログも左翼系の人から「右翼」と呼ばれますから、民族主義という名前がつけば「極右」と言われてもおかしくない気が致します。

 そのような団体と関係しているとは、氏は予想していた以上に活動範囲の広い人物でした。ウィキペディアは紹介していませんが、正しい日本の歴史を教えるため「竹田学校」を動画で開設し、校長も務めています。

 旧皇族の方々の情報が全くない中で、竹田氏の目覚ましい活躍ぶりに、というより破天荒な行動に学徒はついて行けなくなりそうです。

 北海道神宮にとっては明治天皇の玄孫だけで十分なのに、全国発信の動画で「皇室護持」を熱く語るのですから、ホームページでのお手伝いは積極的な協力ではないのでしょうか。

 ということで、今回の検討結果も「ねこ庭」の推測ということになりますが、訪問された方々はどのように考えられるでしょうか。

 次回は予定外になりますが、竹田氏について「ねこ庭」の率直な印象を語ろうと思います。破天荒な行動に学徒はついて行けなくなりそうですと、述べた後、一水会について調べ、さらにその感を深めました。

 過激な思想と行動をする一水会メンバーの複雑な言動を、たった今ネットで調べました。右でもなく、左でもなく、かといって右でもあり左でもありという、一水会のリーダーたちの姿を知り、複雑な思いをしています。

 そういう人々と、旧皇族の竹田氏が協力している事実をなんと理解すれば良いのか。一度頭の中の整理をしてみたくなりました。

 「現在皇室におられる方々のお名前と人数」と「現在残っている宮家のお名前と人数」についてのご報告は、その後にいたします。ご容赦ください

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女性皇族の考え「理解を」- 9 ( 北海道神宮の由緒 )

2024-12-19 14:52:49 | 徒然の記

 女性皇族に関する上皇陛下と秋篠宮様の「ご意志」を確認する前に、以下の事柄を検討しておく必要が出てきました。

 簡単な項目もありますが、脇道へ外れ深い森へ入るような事柄もあります。けれど息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々へご報告するため頑張ろうと思います。

 ・北海道神宮とは、どんな神社なのか

 ・竹田氏のプロフィール

 ・現在皇室におられる方々のお名前と人数

 ・現在残っている宮家のお名前と人数

 ・GHQが皇籍離脱させた宮家のお名前と現在の人数

 ・上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

 ・秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 北海道には多くの都市があり多くの人が住み、広大な農地や魅力のある様々な建物や風物があり、国内外から観光客が訪れています。しかし明治時代以前は、未開拓の広大な荒れ野が広がる土地でした。

 そんな場所にある北海道神宮ですから、名もない小さな神社だろうと思っていました。調べてみますと驚きの歴史があり、学徒を喜ばせてくれました。同神宮のホームページから、転記させていただきます。

〈 北海道神宮とは、どんな神社なのか 〉

  ・明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。

  ・そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、

  ・東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、

  ・北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。

 なんとその始まりは明治天皇の詔(みことのり)で、「蝦夷地」と言う俗称を「北海道」に改められた時だと言います。明治時代の人は知っていたのかもしれませんが、戦後の日本ではちゃんとした歴史を教えませんので、名もない小さな神社だろうと考えていました。

  ・その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々 )は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。

  ・明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。

 御霊代(みたましろ)と言うのは「三種の神器」のことだと思いますが、「名もない神社」どころでなく、「伊勢神宮」「熱田神宮」「明治神宮」に並ぶ格式の神社と言うことになります。

  ・現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。

  ・そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて、現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。

  ・約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。

 元気だった頃家内と北海道旅行をした時、知っていれば訪れることもできたのでしょうが、今はもう叶いません。せめて住所だけでも、確認しておきます。

 「札幌市中央区宮ケ丘474」・・・やはり北海道の中心都市にあるのですね。

 神社に祀られている神様のことを「御祭神 ( ごさいしん ) 」と言いますが、同神宮のホームページには次のように書かれています。

  ・北海道神宮には、現在四柱(よはしら)(神様を数える時、一人、二人…ではなく、柱(はしら)と数える)の神様をお祀りしています。

   大国魂神 (おおくにたまのかみ)北海道の国土の神様

   大那牟遅神(おおなむちのかみ) 国土経営・開拓の神様

   少彦名神 (すくなひこなのかみ)国土経営・医薬・酒造の神様

   明治天皇 (めいじてんのう)  近代日本の礎を築かれた天皇

 戦後の歴史教育では明治天皇を「近代日本の礎を築かれた天皇」と教えません、というより、明治天皇のお名前が出てくることがほとんどありません。まして他の三神は神話の神様ですから、多くの国民が知らないのではないでしょうか。

 同じ神様が『古事記』と『日本書紀』では呼び名が変わり、説明も一致しませんので、「ねこ庭」は学徒なのに何度読んでも理解できません。今回はさわりの部分だけを紹介いたします。

 大国魂神(おおくにたまのかみ)・・・国霊神,国玉神とも書く。

  ・日本人固有の神霊に関する信仰の一形態で,国土そのものの神霊をいう。

  ・《古事記》《日本書紀》などの,いわゆる〈国生み神話〉によれば,〈大八洲(おおやしま)〉すなわち日本の国土は,天津神のみことのりによって伊弉諾(いざなき)尊と伊弉冉(いざなみ)尊の男女の性の交わりを通して生まれたとされている

 大那牟遅神(おおなむちのかみ)・・・日本国を創った神とされている。

  ・『日本書紀』正文によると、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の息子

  ・少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教えた

 少彦名神 (すくなひこなのかみ)・・・

  ・古事記では 神産巣日神 かむむすひのかみ の子、日本書紀では 高皇産霊尊 たかひむすひのみこと の子。

  ・体の小さい神で、大国主神と協力して国づくりを行い、のち、 常世国 とこよの国に帰った。

  ・医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。

 詳しく読みますとややこしいので、正確でありませんが分かりやすいのは北海道神宮の説明の方です。要するに神話の中の神様が、明治天皇と共に祀られている由緒正しい神宮である言うことです。

 次回は竹田氏のプロフィールの紹介になりますが、これを読むと氏と神宮の繋がりが見えてくると思います。

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