〈 鈴木邦男(すずき くにお )氏 〉
鈴木氏の左傾については、他の右派団体からの批判攻撃があったことをウィキペディアが説明しています。
・右翼団体「民族革新会議」と「盛道烈士會」の盛義一 ( もり よしかず ) らが、高田の馬場の一水会事務所近くで街宣
⚫︎ 鳩山由紀夫と木村三浩のクリミヤ訪問への抗議
⚫︎「一水会」創設メンバー犬塚博英の名を汚していることへの抗議
⚫︎「一水会」と木村三浩は、右翼と名乗るなという要求、 をした
・以降、「一水会」は右翼、新右翼を名乗っていない
また「一水会」内部では、以下の動きがありました。
・平成22年、「一水会」の関連組織「統一戦線義勇軍」の針谷大輔が、鈴木への敬意を表しつつ、鈴木の発言を批判
・平成24年、「一水会」創設メンバーである四宮正貴が鈴木の発言を批判
・平成26年、「一水会」創設メンバーでのちに離脱した犬塚博英が、鈴木に絶縁宣言
・平成27年以降、鈴木は「一水会」の顧問を辞任し、単なる肩書きだけの「元最高顧問」「元顧問」「元代表」となる
・右翼、左翼、アナーキストに限らず、多くの活動家は自決または病死、あるいは事件の犯人として収監されている。
・その中で不器用ながらバランス感覚に長け、要領のいい性格でもある鈴木邦男は長生きをし、自由な活動を続けてきた。
・外国人参政権を支持するため、李英和(リ・ヨンファ ) が主催する在日党の集会に参加
・鈴木は「納税など住民としての義務を果たしている定住外国人にとって、参政権は当然の権利、それを認めることが、日本人の民族意識を希薄にするとは思わない」と主張
・一水会内部から批判の声があったが、鈴木は「必要なのは右翼や左翼という看板ではなく、個人の判断。組織は勉強する場として残ればいい」と言った
・よど号乗っ取り犯で、偽米ドル札事件で逮捕された田中義三激励のため、タイ・チョンブリ刑務所を木村三浩と訪問
・田中は「共に闘っていけると感じました」と答え、鈴木は「四十歳を過ぎれば右翼も左翼もないですよ。意気投合しました」と言った。
・平成27年12月辻元清美の応援団の一人として、政治資金規正法に基づく「資金集めのパーティ」に参加
これでは「一水会」のメンバーから絶交され、孤独をかこつことになっても同情する余地がなくなります。
ここまで来れば「毒をくらわば皿まで」で、残っている塩見孝也と沢口友美、雨宮処凜両氏の経歴を予定通り紹介しようと思います。
「ねこ庭」を訪問される方々は、「一水会」メンバーの紹介を始めたのが、保守人竹田氏への違和感を検討するためだったことを、思い出して頂ければ有り難いと思います。
〈 塩見孝也の経歴 〉
・昭和16年大阪市生まれ、平成29年死亡、76才。
・日本の新左翼活動家活動家、元赤軍派議長・最高指導者、テロリスト
・「日本のレーニン」と呼ばれ、「一向健」の組織名・ペンネームで知られた。
・京大在学中から「共産主義者同盟 ( ブント ) 」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長
・ブントの活動に飽きたらず武装闘争を主張、京大を2年で中退
・昭和44年、関西ブントを中心に「共産主義者同盟赤軍派」を結成、議長に就任
・メンバーは京大、同志社大、立命館大を中心に400人、軍事委員長は大阪市立大の田宮高麿
「大菩薩峠・赤軍派リンチ事件」と「よど号ハイジャック事件」はテレビと新聞がトップニュースで伝えましたから、今でも覚えています。しかしその中心人物が塩見孝也だったとは、知りませんでした。
・昭和44年秋、大阪、東京で交番・パトカーなどを襲撃した大阪戦争、東京戦争等を指揮
・同年11月に、「大菩薩峠事件」の失敗で主要幹部を含む53人が逮捕、大打撃を受ける。
・塩見は武装蜂起による「世界共産主義革命」実現のため、「国際根拠地論」を提唱
・労働者国家キューバを根拠地とし、軍事訓練を行った革命軍を各地へ送る意見を主張
・昭和45年、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画し、下見を重ね具体的な計画作成
・実行部隊のメンバーを決め、同年3月後半の実施を決定したが、寸前の3月警察に塩見が逮捕
・塩見の逮捕後、実行部隊は既定方針どおりハイジャック決行
・3月31日、田宮高麿をリーダーとする9名が、羽田空港で日本航空よど号をハイジャックし、北朝鮮に亡命( よど号をハイジャック事件 )
・塩見はよど号事件の共謀共同正犯、破防法などで起訴、昭和57年懲役18年の刑確定、府中刑務所収監
・平成元年12月出所、平成29年小平市の病院で死去、満76才。
武装蜂起による「世界共産主義革命」を主張していた塩見は、こうして一生を終えていますが、昭和45年当時の世界情勢を考えた時、彼の意見は果たして現実的だったのかと疑問を抱きます。
「世界共産主義革命」を主張していたトロッキーは、スターリンの路線と対立して国外へ逃れ、昭和15年に暗殺されています。次に過激派学生が憧れた「世界共産主義革命」論者は、「ねこ庭」の記憶が正しいとすればチェ・ゲバラです。その彼は昭和42年、ボリビア革命の戦闘中に捕えられ銃殺されています。
世界の共産主義はむしろ、自国を中心とした民族共産主義革命が主流だったはずです。スターリンだけでなく、毛沢東もホーチミンも、国際的連携を取りながら先ずは自国の共産主義革命を優先していたのではなかったでしょうか。
武装蜂起による「世界共産主義革命」は、多くの国民に受け入れられることのない、現実を遊離した学生時代そのままの思考と「ねこ庭」は考えます。日本共産党委員長の宮本賢治氏が、党の方針を議会制を通じた平和革命路線へ転換し、毛沢東の武力闘争主義と決別していたことを考え合わせますと、その感を深くします。
塩見の生涯もまた、「戦後日本史の大河」の流れに消えた泡沫 ( うたかた ) の一つだったのかもしれません。
竹田氏が、彼らとどこまで親交があったのか知る由もありませんが、これ以上「一水会」の人々の経歴紹介を続ける意味が感じられなくなりました。
本シリーズの目的は、「宮様ご発言」の真意を知るため下記項目の検討でしたが、「竹田氏のプロフィール」から大きく脇道に逸れました。
・北海道神宮とは、どんな神社なのか
・竹田氏のプロフィール
・GHQが皇籍離脱させた宮家のお名前と現在の人数
・現在皇室におられる方々のお名前と人数
・現在残っている宮家のお名前と人数
・上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと
・秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと
今回で経歴紹介に区切りをつけ、次回はGHQが去った後「現在皇室におられる方々のお名前と人数」の検討作業へ戻ります。
前途遼遠の感です。多忙な師走、時間のない方はスルーして下さい。