〈 4. FNNプライムオンライン 令和6年2月 めぐみさんに関するインタビュー談話 〉
蓮池准教授の談話の一部を紹介します。
・めぐみさんは、平成2 ( 1990 ) 年と平成6 ( 1994 ) 年頃、2度招待所を抜け出した。
・1度目は、帰りたいなあと言う思いから、ふらっと出た。
・市内のちょっと行ったところで、捕まった。
・どこへ行くのと聞かれたら、いや船に乗ろうと思ってと・・答えた。
・2度目は、北と新潟をつなぐ万景峰号( まんぎょんぼうごう ) で帰ろうとしていた。
・めぐみさんは日本へ帰りたい気持ちを、北朝鮮の幹部に吐露することがあった。
・めぐみさんは、酔うとそういう話をするわけですよ。そうすると幹部としては、面白くないと思うでしょうね。
・めぐみさんは、こういう理由で帰国メンバーに選ばれなかった。
誕生日や何かの祝日には招待所に住む日本人が集まり、北の幹部を交えて宴席を設けていたと言いますから、めぐみさんが酔ったというのはこうした集まりの時の話です。蓮池氏や地村氏は、帰りたい気持を北の幹部の前で口に出しませんでしたが、めぐみさんは酔うとそれができなかったようです。
万景峰号 ( まんぎょんぼうごう ) というのは、新潟港と北朝鮮をつなぐ不定期貨物船で、この船は航海のたびに、日本から無許可の支援物資や現金、北からの密航者、工作員などを運搬していたため、安倍内閣が制裁の一環として寄港禁止にしました。めぐみさんが乗ろうとしていたのは、この船です。
次に氏が語ったのは、小泉首相が金正日総書記と会談をしていた当時の状況です。
・北の幹部 ( 工作員 ) が私に、突然ですよ。それまで何も言わなかったのに、「今日、ちょっと遺骨探しに行く。」・・と言いました。
・誰の遺骨かと聞くと、「実は、めぐみさんの・・」みたいな曖昧な返事です。
・え ! めぐみさん亡くなったんですかと聞くと、「うーん・・」みたいなことを言いながらごまかしました。
蓮池氏が説明しているのは、北朝鮮が5人以外の拉致被害者が死亡したと言い、「死亡診断書」や遺骨を見せようとしていた時の裏話です。
その当時、病気になっためぐみさんは、招待所から離れた別の市の病院に入院していました。彼女の夫や娘さんが近所に住んでいた時ですから、めぐみさんの死を幹部から聞いた時、思わず聞き返したのです。
・めぐみさんが亡くなっているのなら、めぐみさんの夫から話があるはずでしょ。遺骨があるのなら夫の手元にあるのが普通ですよ。
・近くに住んでいて何時も訪ねているのに、そんな骨の入れ物なんか、見たことがありません。
更に氏は、北朝鮮が日本政府に渡した「死亡診断書」のコピーを示しながら、彼らの嘘を指摘しました
・めぐみさんが入院していた、病院の所在地と名前が違っています。彼女が北の幹部の車で病院に行く日、私たちは家の前で見送ったんです。病院は寒いからと、家内が毛布をめぐみさんに渡しました。幹部がめぐみさんを送って行った病院は、診断書に書いてある病院とは逆方向の別の市にあるとのことです。
・自殺した日付は、めぐみさんがまだ招待所にいて、私らと行き来していた時です。こんなものは、全部嘘ですよ。
初めて聞く重大な証言に、私は驚くと言うより疑問が生じました。
・氏はこの話を、政府や家族会の人にしていたのだろうか ?
・話していたのなら、マスコミはトップニュースとしてなぜ報道しなかったのだろう ?
北朝鮮との交渉当時なら、発表を控える必要があったのかもしれませんが、蓮池氏たち5人が帰国して20年が経っています。私には、氏が重大な事実を公にしている不自然さだけが残りました。
動画の最後に、氏がいつものように持論を述べました。
「拉致問題で北と交渉するには、期限を定めてしないと、時間だけ引き延ばされて意味をなさない。日本政府には、それを改めて言いたい。」
この動画の公開は先月の話です。最近の氏の発言の頻繁さだけでなく、ネットの動画や記事が盛んに「拉致問題」を報道している不自然さも目立ちます。「ねこ庭」では、こうした不自然な動きと、北朝鮮が発表した金正恩氏の「衝撃発言」が連動しているのではないかと、そのような推測をしています。
・令和6年1月6日 金正恩総書記の「岸田首相への見舞い電報」
・令和6年1月15日 金正恩総書記の「最高人民会議での演説」
上記に関する動画を見つけましたので、次回に紹介いたします。関心のない方は、スルーしてください。