日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~
このプラットフォーム上で思いついた企画を実行、仮説・検証を行う場。基本ロジック=整理・ソートすることで面白さが増大・拡大
 




年末に読み始めたら、年間ベスト5に入れようと思いつつ、内容のぎっしりさに読み切れず、今年に持ち越し。
そして読了し、こう語りたい。
「今」の世界を理解するのに、アリな1冊のひとつ、だと。

実際読んでいる間に、テレビでしゃべっている大学他の出身解説者の説明に「それは違う」と2回以上、明確に突っ込める知力が身についた。
刺さったところを前半部でいくつか紹介して、その感覚をお伝えしたい(改行、中略=筆者)


P26
歳を重ねるにつれて、自分自身が長い旅路の過程にいるのだということがわかってくる。
発見、学習、痛みと喜び、子供や孫たちとの出会いの旅であり、そして多少の知恵を身につける旅でもある。
現代史においては、外部環境の変化は非常に大きく思える。
このため数十年も経つと、変化の大きさは容易に認識できるようになる。
こうしたなか、変化そのものや、それがなぜ、どのようにして起こったのかを理解するのを助けてくれた歴史家のありがたみを理解するようになる。
今も昔も、若い世代と年老いた世代の認識には大きなギャップがある。
若い世代には世界は世界は自分たちが生まれた時から同じような状態にあると考えるのに対し、
年配世代はプロペラ機が飛び、インターネットが存在しなかった時代を覚えている。


P28
1750年には、おそらくだれもが世界経済は工業化以前の状態が永遠に続くだろうと考えていただろう。
支配していたのは静止画的な世界観だ。
世界が変化するかもしれない。それも急速かつ加速度的で、恒久的な変化が起こるかもしれないということは想像しがたく、
またそんな発想は私たちを少なからず不安にさせるものだ。
そして、この急速の変化を生んだメカニズムを先進国から紐とき、途上国世界につなげていく。

途上国世界の中で持続的な高成長を遂げる国が増えているとはいえ、貧しい国が先進国に移行するまでには何十年もかかる。
(中略)
重要なのは、高成長を長期間持続することである。
短期間だけ成長率が高まっても、その後停滞してしまえば、平均成長率は低くなり、移行期間は良くなる。


P47
本書が注目するのは、長期間にわたる持続的な高成長である。
なぜなら、それこそが貧困を削減し、生産的でクリエイティブな仕事をする機会を増やすのに十分な“所得水準の変化”をもたらすものだからだ。
途上国世界における高成長を理解するひとつの方法として、持続的な高成長を達成した国々を調べ、その共通点を探ることで、その解を導き出している。


P58
われわれはたいてい、物事を論理的に、そして直線的に考えようとしがちだ。論理的思考のもとでは、前提条件があって初めて何かが可能になる、と考える。
例えば、内容が明確で、法的強制力を持った所有権制度があって初めて投資や成長が起こる、と。
だが、こと成長と実効性のある政府という問題に限っては、それは当てはまらない。
両者の間では非常に小刻みな相互作用が起き、正のフィードバックの循環が働くのだ。
少し離れて眺めると、二つのスムーズな進歩が並行して起きているように見えるが、実際にはよくみると、
両者の間では何百万回も小刻みな正の相互作用とフィードバックが繰り返されている。
教育への投資が増加し、教育の実効性が高まり、人的資本が増大し、民間投資の収益性が高まり、海外からの直接投資が拡大し、税収と政府の歳入が増え、
その結果インフラ投資と教育投資がさらに拡大する、という具合に。

こうした相互作用や乗数効果をすべて数え上げるのは不可能だ。
小刻みな改善と、着実かつ長期的な進歩が続くことによって、国家は一歩ずつ成長の階段をのぼっていく。
教育が少しずつ手の届くものになり、次第に人的資本の質が高まり、それが技能や経営、政府の能力向上に結びついていく。
競争力が高まることで、世界経済への扉も開かれ、その副次効果として知識の習得や移転が加速し、所得水準の向上、
そして教育機関への投資を含む投資全般の拡大につながるのだ。


P81
先進国では持続的な7%以上の成長ということは起こらない。経済の土台となる知識基盤の進歩はそれほどの速さでは進まない。
すなわちそれほどの成長率を支えるほどの速さでは進歩しないためだ。
理論的にその可能性を排除することはできないため、「不可能」というのは言葉が強すぎるかもしれない。
だが反証をなる事例が存在しないため、それほどの高成長が起こる可能性は今後もきわめて低いと考えたほうがよさそうだ。


P187
危機以前に問題だったのは、金融システムのこの部分(シャドー・バンキング)に対する規制が緩い、もしくは規制が機能していなかったことである。
融資債権のパッケージの格付けは不適切であり、その一因はインセンティブにあった。
融資や証券化を実行した金融機関が、格付け費用を支払っていたのだ。

もう一つの問題は複雑性だ。
格づけ機関は商品やそのリスク特性を理解していなかった。複雑性と不適切なインセンティブの組み合わせは、極端に有害な結果をもたらした。
(中略)
こうした資産の買手には、主要な国際金融機関や、年金基金、大学基金、政府系ファンドなどの機関投資家が含まれていた。
彼らは明らかに証券のリスク特性を理解しておらず、ただリターンの高さに引きつけられただけだ。
また自ら証券を徹底的に調べるかわりに、格付け機関の判断に頼った。
こうしてシステムは崩壊した。
その結果、金融危機では銀行を含む主要な金融機関の多くで場バランスシートが大きく毀損した。
信用は突然収縮し、信用の凍結が不況につながるリスクが生じた。



まだまだ続けられるが、あえてこれくらいで...




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