平成25年11月2日、見事な快晴でしたので、畑沢の最深部へ行ってみたくなりました。国土地理院の地図では、畑沢の集落を過ぎてもずっと千鳥川に沿って南下する道路の印があります。私はその途中までしか行ったことがありませんので、長い間、必ず行くことを決意していました。そうは言っても、用がない限りなかなか行けませんでした。畑沢に行けば、いろんなやらなければならない仕事が沢山ありました。特に両親が年老いていましたので、仕事はいくらでもありました。そのために、私の子供たちに畑沢の魅力を伝えたいと思って折角、畑沢へ連れて行っても、子どもの相手はそっちのけで、仕事に精を出さなければなりませんでした。冬を迎えようとしている秋は、特に忙しかったものです。稲の乾燥に使った「はせ木(ハシェギ)」の片づけ、家の周りと庭木の雪囲いは結構な重労働でした。一番、大変なことは、時間との戦いであったことです。平日はサラリーマンとしての仕事がありますので、畑沢で仕事をするのは、実質、日曜日しかありません。なかなか有給休暇を採れるような職場ではありませんでした。豪雪地帯の雪囲いは、半端なものではありません。両親が他界してからも、暫くはその傾向がありました。
しかし、20年ほど前に畑沢の実家を取り壊し、さらに今年の4月仕事を完全に辞めました。やっと念願がかなえられることになりました。こうして考えますと、私の念願はチッポケなものですね。新しい家や車が欲しいとか、何処へ旅行したいとかがありません。さて、いよいよ出発です。途中の採石場までは、これまでも何度か行ったことがあります。そこから直ぐに道を間違いました。大平山(ホウザヤマ)へ直登する林道に入ってしまいました。でも方角がおかしいことに気づいて、やり直しです。
自動車はガタガタと上下に揺れながらも、十分な道幅の中を通っていきます。途中、千鳥川と小さな沢を横切ると、斜面をトラバースする道に変わってきました。はるか前方には、ぱっくりと傷口が開いた立石山と最高峰の大平山(ホウザヤマ)が見えてきました。