-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

延命地蔵堂の18年前の姿

2014-04-18 12:00:00 | 歴史

 上畑沢にある延命地蔵堂の中に、18年前の古い建物だった時の姿が写真として飾ってありました。平成8年に清水畑の古瀬Ka氏が撮影したものです。同氏の承諾を得て、複写してきました。ところが、私の接写技術が稚拙だったために、上の写真の右下に、斜めに白い線が入ってしまいました。私の三脚がガラスに反射してしまったのです。残念です。折角の記録写真が台無しになってしまいました。

 ところで、古瀬氏は記録になる写真を数々と撮られて、延命地蔵堂の外にも畑沢地区生涯学習推進センター、熊野神社にも飾っておられます。私のへっぽこ写真と違い、しっかりとした撮影をされています。腕がよろしいことと、カメラもよろしいのではないかと勝手に想像しています。

 この写真を拝見することにより、現在の地蔵堂に建て替えされたのは、平成8年以降であることが分かります。この程度は、スビタレでなくても御推察されたと思いますが、あえて記述しました。

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大平山の残雪

2014-04-17 12:28:56 | 伝説

 大平山、別名畑沢では「ほうざやま」と言っている山です。大平山の寶沢から見た時の呼称です。大平山の姿は、いろんな角度から眺められますが、私は、やはり寶沢からの眺めが雄大さを感じさせるので大好きです。この写真は、平成26年4月15日に、背炙り峠への入口で撮影しました。真ん中の川は、千鳥川です。

 この山へ登るルートについて、この近くの古瀬H氏に聞きましたところ、昔は左の尾根筋を登ったそうです。昔は、尾根筋に山道があったと思いますが、今では恐らく藪の中かと思います。

 因みに、私は去年、右の真木山(まぎやま)から登り、藪を漕ぎました。普通の人は左から登るのに、私は全く逆の法から登ってしまったようです。「スビタレ」だけでなく、「あまのじゃく」でもあるようです。

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畑沢はやっぱり春が来ていた。

2014-04-16 17:11:28 | 近況報告

 畑沢の土手には、福寿草が咲いていました。田んぼは、まだ雪に覆われています。

 

 福寿草が咲いている土手の上の方には、アサツキ(浅葱)が目を出していました。昔は、もう少し早い時期から、「しろこ掘り」又は「しろこ採り」と言って、子どもたちが親の言いつけでこの植物の球根を掘っていました。早春に食べられる最初の山野草です。私は、掘り出すのは嫌いではないのですが、掘った後で冷水で洗うのが嫌でした。春の小川の水は、刺すように冷たいものでした。

 最近は誰も掘る人がいないようですので、沢山、沢山、芽を出しています。食べると美味しいんですがねえ。

 春の雪解け水は、まさに湧いてくるようです。いつもは、ほんのチョロチョロしか流れないような土管からも勢いよく水が溢れだしていました。

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畑沢のお祭りに行きました。

2014-04-15 19:48:29 | 行事

 4月15日は畑沢のお祭りです。昔と違い、他地区からのお客さんや屋台の店はありません。でも、私は昔よりもお祭りに対する関心が高くなりました。畑沢の人達と会えます。いろんなお話をしてくださいます。去年、今年と2年連続してお仲間にしてもらいました。

 入口の鳥居には、しめ縄が下げられています。今年は上畑沢の当番でした。上畑沢の古瀬K氏の小屋で、昨年中に製作したそうです。しめ縄作りを御存知の方は数少ないそうで、大変に御苦労されたようです。さらに、しめ縄の材料である藁(わら)も簡単には手に入らなくなっています。コンバインの普及によります。

 作り方を伝えるために今度は、ビデオに残してくれとの依頼を受けました。

 入口の階段は、雪が積もっていましたので、13日に歩けるようにスコップで片づけたそうですが、積雪が多い場所は地面を出すまでは無理でした。でも、坂を上った場所は、地面に到達するまで除雪されています。

 10時30分にお祓いです。その前に、荒町の八幡様の神主さんが、見晴らしの良い高台から法螺貝で村中に知らせます。高台からブオー・ブオーと鳴り響きました。すぐさま、熊野神社の中に入って、厳かなお祓いが行われました。祝詞が上げられてからは、しばしの歓談とあいなり、懐かしい話、村人の近況が話されました。

 午後、上畑沢にある延命地蔵堂にも足を延ばして、地蔵さんにもお参りをしてきました。こちらは、お地蔵さんですから「神様」ではありません。それでも、15日に一緒にお祭りです。地蔵堂の中には、お祭りの幟(のぼり)が飾られていました。

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畑沢のまとめを始めました。

2014-04-14 21:12:56 | 歴史

 gooブログを始めてから1年以上が経ちました。お陰様で、畑沢のことについて大分、勉強することができました。この辺で、今まで集めた情報をまとめて、一冊の本のような形にしようと考えています。まだまだ校正が必要ですが、その一部を御覧ください。背中炙り峠から始めたいと思っています。最初のところは、Wikkipediai投稿したところと重複していますので、既に御覧になった方もいらっしゃると思います。

--------以下は草案------------

1 背中炙り峠と街道について
畑沢の魅力を記すのは、「背中炙り峠」から始めたいと思います。畑沢の歴史に大きく関わっているからです。
 さて、「背炙り峠」ではなくて、「背中炙り峠」としたことを御不審に思われた方もおられると思います。「背炙り峠」は、現在、自動車が通る道路(山形県道29号線)上にある峠です。「背中炙り峠」は、これとは全く別にあり、人馬だけが通っていた古い道の上にあります。古い道については、畑沢出身でも私も含めて戦後に生まれた方は、殆ど御存知ないようです。
(1)  峠の位置
 「背炙り峠」は、山形県尾花沢市畑沢と村山市中沢の間に位置し、甑岳(標高1,15.5m)から伸びている尾根の鞍部(標高は370.9m)を県道29号線が越える場所です。この県道は、尾花沢市鶴巻田から同市六沢、延沢、畑沢を通って、村山市中沢へ出て東根市関山に繋がっています。村山市側からも尾花沢市側からも峠に至る道は沢筋に走って、斜面を横切る形になっています。
 一方、「背中炙り峠は」は、この県道とは全く異なるルート上にあり、人馬だけが通った古い道(以下、「背中炙り峠越え街道」と呼ぶことにします。)にあります。この古い道は、県道の南側に位置していて、県道とは対照的に緩やかな尾根を通っています。背中炙り峠は、背炙峠から南南東の方向へ約500m離れています。標高は約430mで、背炙り峠よりも約70mも高い所にあります。昔の古い道は一般的に尾根伝いにあり、今の道は沢筋に進むのが一般的で、ここでも例外ではありません。

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明日(4月15日)は、畑沢の祭りです。

 

 

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