-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

千鳥川ウォッチング(4)

2014-10-25 19:02:26 | 自然

 千鳥川の川岸は、殆どがコンクリートに変わってしまいましたが、一部にまだ自然のままになっている所があることを先日、紹介しました。そのような自然のままの川岸には、樹木が生い茂っています。川岸の樹木には、高木もあれば灌木(低木)もあります。高木は柳や胡桃が代表的です。一方、灌木としては、桑とアブラチャンが多いようです。実は、川岸にアブラチャンが多いことを分かったのは、まだ一週間前です。もちろん以前にアブラチャンについては投稿したことがありますので、どんなものであるかは、承知しているつもりでした。

 アブラチャンは、古瀬T氏から「畑沢ではカンジキにトリギを使う」と聞いていましたので、今回、カンジキの材料として、初めてアブラチャンを使ってみようと思い立ちました。一度、アブラチャンを見たことがある、ドンドン川へ行ったところ、直ぐに見つかりました。しかし、アブラチャンの実は確実に記憶していますが、実が落ちてしまっていましたので、さらにアブラチャンを探すには、葉をしっかりと覚えなくてはなりません。

 葉をしっかりと目に焼き付けてからさらに探すと、いたるところで見つけることができました。川面から岸の方に目を向けた時に、ガシャガシヤと雑に枝を延ばしているのは、大抵がアブラチャンでした。

 川岸の斜面は、アブラチャンの生育場所には最適なようです。それはカンジキに最適であることとも関係があります。アブラチャンは油分を大量に含んでいて、大きな力を加えても、折れないでしなやかに曲がることができます。川岸に雪が大量(3m以上)に積もると、そこの樹木は重みで下にねじ伏せられます。雪国の大抵の樹種は、このような力に耐えられるものが多いのですが、その中でもアブラチャンはその性質が際立っています。しかも、川岸は水分が浸みだす湿潤な環境です。益々、アブラチャンにとって好都合な環境です。カンジキづくりには、しなやかさが必要です。アブラチャンはそのままでもしなやかなのに、熱を加えると考えられないほどに柔らかくなります。まもなく、今年のカンジキ作りをします。

 秋のアブラチャンは、既に来春の準備をしていました。春になると、真ん中のトンガリは葉になり、左右の丸い球は花になります。今年の葉はまだ頑張って枝にしがみついていました。

 


千鳥川ウォッチング(3)

2014-10-21 17:29:58 | 自然

 千鳥川の中にある石には、私の大雑把な分類では3種類まで識別できます。これらの川石は、当然のこととして畑沢を構成している地盤に由来しています。畑沢の地質は「土地分類基本調査図」の表層地質図を見ると分かります。それによりますと、畑沢で最も標高が高い大平山と立石山は「流紋岩質岩石」、それ以外の南部一帯から中畑沢までは「緑色凝灰岩及び凝灰角礫岩」、下畑沢から荒町までが「凝灰岩質砂岩、シルト及び礫岩」と大まかに言うことができます。

 どうでしょう、この説明に納得いただけたでしょうか。「何、ばがなごどしゃべてんなや」とおっしゃる声が聞こえます。それでは、もっと分かりやすく説明します。先ず大平山と立石山の「流紋岩質岩石」の流紋岩とは、上畑沢延命地蔵堂のところに建っている湯殿山・象頭山に使われた石材である立石石(たてすいし)のことです。とても硬い岩石です。火山活動で地層の間を上昇したマグマが、地表近くで固まったものです。マグマが固まるときに、ある方向性を持って亀裂が入りやすい節理という性質も持ちました。硬い岩石だけに浸食されにくかったのでしょうか、大平山と立石山を覆っています。

 次に上畑沢と中畑沢の「緑色凝灰岩及び凝灰角礫岩」は、火山灰が固まったものです。その中でも良質な凝灰岩は石仏に使われており、畑沢の主な石仏は凝灰岩でできています。その中でも大きい石仏は、背中炙り峠の湯殿山です。適度に柔らかいので、細工しやすかったようです。石仏の外には、石臼などが作られました。

 最後に下畑沢の「凝灰岩質砂岩、シルト及び礫岩」は、畑沢で一番下に位置するものと思われ、下畑沢で地表に出ていることになっていますが、中畑沢や上畑沢の深く浸食されている場所でも地表に現れているようです。砂岩は水の流れによる堆積作用で積み重なったものが固まった岩です。化石が出てくる場合もありますが、畑沢で化石が出たという話を聞いたことがありません。

 

 長々と地質の説明してしまいましたが、本題に移ります。本題は千鳥川の「石」です。最初にお見せするのは、「立石石」と呼んでいる流紋岩の石です。

現在の千鳥川に限らず、はるか昔に河道であった深い地層の中には、この流紋岩の「石」が多く存在します。節理によって平たく割れる性質があるようです。石の表面を拡大してみると、2mm程度の四角い石英か長石らしい結晶が散らばっています。これが立石石の特徴で、角閃石流紋岩であることが分かります。

 

 

 次が砂岩と思われるものです。流紋岩と比べれば極端に柔らかいので、コンクリートなどへ擦れば、チョークのように文字を書くことができます。畑沢では「みそ石」と呼んでいました。「みそっかすのような石」の意味でしょう。ただ、私は川の中における砂岩と凝灰岩の区別でできていませんので、多分に両者が混在しているはずです。私の岩石学の実力はほぼゼロです。

 

 

 そして、非常に少ないのですが、硬質頁岩(こうしつけつがん)の石が出てきます。これも非常に硬い石で、角張っています。普通、流れの中で角が取れて丸くなるのですが、この硬質頁岩は角が少し丸みを帯びる程度で全体は角ばっています。それほどに硬いのでしょう。ところで、表層地質の説明では畑沢には硬質頁岩なる物はでてきませんでした。それでは何故、畑沢の川には存在しているのでしょうか。畑沢には頁岩そのものの地層が表示されていません。しかし、硬質頁岩は、畑沢でもしばしば出てきます。例えば、昨年、大平山に登った時に中腹に硬質頁岩がありました。背中炙り峠の湯殿山の石材である凝灰岩の中にも硬質頁岩が入っていました。畑沢における硬質頁岩は、単体で地層を作っているのではなくて、他の種類の地質に紛れ込んでいるようです。それではどこから紛れ込んでいるのでしょうか。畑沢の近くで頁岩の地層が見られるのは、細野の最奥の場所です。畑沢の凝灰岩を形成する時期において、細野の頁岩の層が崩れて火山灰の中に埋没したのではないかと思います。

 スビタレでテキトウでおまけに岩石学の知識ほぼゼロでも、それなりにそのように推論する根拠があります。次の写真を御覧ください。先ほどから引用している背中炙り峠にある湯殿山の凝灰岩の中に、硬質頁岩があります。その硬質頁岩を見ると、川の石としての硬質頁岩とはまるで様相が異なります。全く角が取れていないのです。凝灰岩に混入する時には、硬質頁岩は川の流れで移動してきたのではないのです。凝灰岩の元である火山灰が降り積もっている頃、硬質頁岩が崩れ落ちてきたのではと思います。火山活動ですから、「火砕流」とか「山体崩壊による岩石なだれ」があるはずです。

 


千鳥川ウォッチング(2)

2014-10-21 17:10:15 | 自然

 前回の「千鳥川渓谷」の最上流には、「ドンドン川」と呼ばれていた場所があります。その名の由来は、御覧いただければ直ぐに分かります。水がドンドンと流れ落ちるからでした。「でした」と過去形にしましたのは、もうドンドンとは言えない状態になったからです。今から40年ごろ前には、水は写真中央の岩盤から少し螺旋を描くような形で滝となって落下していました。そのために、ドンドンと音がしていました。今でも音がしない訳ではありませんが、かつての音よりも格段に小さくなってしまいました。

 このような形になったのは、河川工事によるものです。この場所の直ぐ上で護岸工事が行われました。その際に、重機を入れる場所がなかったので、下流から重機を入れて、上流に向かって川の中を登って来たそうです。ところが、ドンドン川の岩盤が行く手を遮りました。重機は何のためらいもなく、自分が登れるように岩盤を削り取ってしまいました。

 そのような行為は、決して必要性がないとは言えませんが、河川の形状を変えることに対する考えはこれで良いのでしょうか。この場所は私たちの思い出多い場所です。中畑沢の小学生は、ここが水泳場(水泳プール)でした。滝壺になっているところには、各種の魚が群れていました。カジカ突きの場所にもなりました。その形が大きく変わってしまいました。

 


千鳥川ウォッチング(1)

2014-10-20 12:21:44 | 自然

 これまでも何度か千鳥川の様子を投稿してきました。今回はシリーズで投稿します。

 最初は私が勝手に決めたビューポイント「千鳥川渓谷」です。千鳥川の岸辺は、大部分が間知(けんち)ブロックで固められてしまいました。とても岸から川面に行き来できるような場所がなくなりました。魚などが極端に少なくなったばかりでなく、川そのものへ近づくことが困難になり、千鳥川が遠い存在になりつつあります。

 それでも極一部ですが、自然の岸辺が残っている場所があります。中畑沢です。

 どうでしょう。イッチョマエですよね。このように自然な岸辺が残っている場所は、川底も岸辺も岩盤になっています。そのために、春の雪解け水があっても岸辺が削られませんので、工事の対象にならずにすみました。

 ただ、川面から岸辺まで5メートル以上もありますし、岸辺が藪になっていますので、道路や田んぼから眺めることができません。「千鳥川渓谷」を見る時は、長靴を履いて地底に潜るような出で立ちが必要です。


赤い夕陽が峠を染めて

2014-10-19 17:26:32 | 自然

 私も古い人間です。「夕日」という言葉には、直ぐに舟木一夫が昭和38年頃に歌っていた「高校三年生」の歌詞が浮かんできます。今回の夕日は、そんなに赤くはなかったのですが、いつもの「まあ、いいか」で御勘弁いただきます。

 昨日、蕎麦刈りの手伝いを終えて、背炙り峠を通った時に村山平野が眼下に広がり、空には夕日に照らされた雲が面白い形に散らばっていました。昔々、背中炙り峠の古道を楯岡から帰ってきた村人は、このような夕日を見ていたのでしょうか。私は夕日を背に浴びないで、顔に浴びて帰路につきました。