ある曲をかなり弾きこんでくると、それまでの弾き方ではいろいろと不都合なこと、マイナー部分の訂正が必要になってくることがあります。
そうですね、だいたい
「指使い」とか「ペダル」の2点でしょうか?
「指使い」はテンポが上がってくると、どうしても「それじゃ間にあわんだろ!」みたいな箇所が出てきて、変更を余儀なくされることがあります。
「ペダル」はまあケースバイケースなんでしょうけど、私の場合は「長いペダル」が必要になってくる・・ということが多いです。
曲がなじんできたころに録音をしてみると、時々ミョーな空白があったりします。
「??」
これはミスタッチが減ったことやら、音の整理が出来てきたことで、変な残響がなくなりミョーにすっきりな瞬間が出現してしまっているわけです。
で、慌てて楽譜を見てみると、そこは長いペダル記号が記されていて、これまでは見て見ぬふり、というか
「こんな長く踏んだら濁って話にならん・・・却下」と勝手に短く踏み変えていた箇所(汗)。
いうまでもなく「ちゃんと弾ければ」濁らないし、この長さのペダルを踏まないとならない箇所なわけです。
でも、この「長いペダル」というのは勇気と判断力が要りまして、
「・・ほんとに踏むの?こんなに長く?いいの?いいの?」と思ってしまうし、
ペダル記号は「長さ」だけが記されていて、「深さ」の指示は普通ありませんから
「・・これくらい?これくらい?・・え、もっと?」と悩みまくる。
しかもピアノによっては楽器が「ブイーん」と音をたててしまったり、全部の音がまぜまぜになってしまったりすることもあるので、かなり怖い。
昨日は、この「長いペダル」の再検討をしていて、ほんとに疲れました。
指の練習は肉体的に疲労しますが、こちらは感覚的にぐったりする。
「これって、私が悪いのか、ピアノのせいなのか?」といろいろ試した挙句に
「やっぱり悪いのは自分だ・・」という結論に達することがしばしば。
よく子どもの頃
「ペダルは耳で踏みなさいっ!!」って怒られ、
ちゃんとやってるつもりなのに
「濁ってる。まだ濁ってる。・・・どーしてちゃんと聴かないのっ!」と
さらに追い討ちをかけるように怒られたもんなんですけど、
ペダルって、だれかにワーワー言われて治るもんじゃないような気がするんですよね。
先生も、親もいないようなところ(できればほかの一切の音がしないような個室)で、1時間も2時間もかけて「ああでもない、こうでもない」とやる。
私まだまだ下手くそで困っているのですけど、最近やっと「耳で踏める」感覚がわかってきたように思います。
でも、ほんとに根性いりますよ、これ。
考えようによっては、ほかの楽器というのは、こういう作業が練習のほとんどの部分を占めているわけであって、「疲れた」などというのは、ピアノのように「たたけば出る」楽器の安直さに慣れ過ぎた者の甘えなのかもしれません。
そういう意味では、「補助ペダル」で小さい頃から使い慣れるのは悪くないことかもしれません。
ただ、やっぱり親はたとえそばにいても「ワーワー」言ってはいけないな・・・とあらためて思います。
・・・・まあピアノに限らず、なんでもそうなんですけどね・・・・
そうですね、だいたい
「指使い」とか「ペダル」の2点でしょうか?
「指使い」はテンポが上がってくると、どうしても「それじゃ間にあわんだろ!」みたいな箇所が出てきて、変更を余儀なくされることがあります。
「ペダル」はまあケースバイケースなんでしょうけど、私の場合は「長いペダル」が必要になってくる・・ということが多いです。
曲がなじんできたころに録音をしてみると、時々ミョーな空白があったりします。
「??」
これはミスタッチが減ったことやら、音の整理が出来てきたことで、変な残響がなくなりミョーにすっきりな瞬間が出現してしまっているわけです。
で、慌てて楽譜を見てみると、そこは長いペダル記号が記されていて、これまでは見て見ぬふり、というか
「こんな長く踏んだら濁って話にならん・・・却下」と勝手に短く踏み変えていた箇所(汗)。
いうまでもなく「ちゃんと弾ければ」濁らないし、この長さのペダルを踏まないとならない箇所なわけです。
でも、この「長いペダル」というのは勇気と判断力が要りまして、
「・・ほんとに踏むの?こんなに長く?いいの?いいの?」と思ってしまうし、
ペダル記号は「長さ」だけが記されていて、「深さ」の指示は普通ありませんから
「・・これくらい?これくらい?・・え、もっと?」と悩みまくる。
しかもピアノによっては楽器が「ブイーん」と音をたててしまったり、全部の音がまぜまぜになってしまったりすることもあるので、かなり怖い。
昨日は、この「長いペダル」の再検討をしていて、ほんとに疲れました。
指の練習は肉体的に疲労しますが、こちらは感覚的にぐったりする。
「これって、私が悪いのか、ピアノのせいなのか?」といろいろ試した挙句に
「やっぱり悪いのは自分だ・・」という結論に達することがしばしば。
よく子どもの頃
「ペダルは耳で踏みなさいっ!!」って怒られ、
ちゃんとやってるつもりなのに
「濁ってる。まだ濁ってる。・・・どーしてちゃんと聴かないのっ!」と
さらに追い討ちをかけるように怒られたもんなんですけど、
ペダルって、だれかにワーワー言われて治るもんじゃないような気がするんですよね。
先生も、親もいないようなところ(できればほかの一切の音がしないような個室)で、1時間も2時間もかけて「ああでもない、こうでもない」とやる。
私まだまだ下手くそで困っているのですけど、最近やっと「耳で踏める」感覚がわかってきたように思います。
でも、ほんとに根性いりますよ、これ。
考えようによっては、ほかの楽器というのは、こういう作業が練習のほとんどの部分を占めているわけであって、「疲れた」などというのは、ピアノのように「たたけば出る」楽器の安直さに慣れ過ぎた者の甘えなのかもしれません。
そういう意味では、「補助ペダル」で小さい頃から使い慣れるのは悪くないことかもしれません。
ただ、やっぱり親はたとえそばにいても「ワーワー」言ってはいけないな・・・とあらためて思います。
・・・・まあピアノに限らず、なんでもそうなんですけどね・・・・