ひとつの曲を何年かぶりに弾いたり、何か月も弾いていたりすると、練習の過程でいろいろとくだらないことを試みたりするのですが(殴)、それはそれで変な発見があったりします。
私の手は(女性としては)ごく普通というか、平凡というべきか、大きくも小さくもなく、
両手ともに、オクターブはふつうにつかめ、9度はかまえればなんとか、10度は全然・・・という感じなので、10度だらけの曲が出てくると非常に難儀をするわけです。
これはもうサイズの問題なので、どうしようもないと思ってました。
ある日、チェンバロの曲を小さいキーボードで練習していたついでに、この10度のところも遊びで弾いてみました。
鍵盤の幅は相当狭いので、物理的には10度届いちゃうわけなんですが、「10度だ」と思うとなぜか届かない。「狭いからとどくはずじゃん」とあらためてやってみるとほんとは楽勝で届いている。
・・・・・ふむ・・・・
ピアノではさすがに「届く」のは不可能ですし、変なことをすると手に故障が起こるので慎重にやらないといけないのですが、
あるとき非常にリラックスした状態でほぼ遊び弾き(ピアノで)のときに、「10度は<全然届かない>なのではなくて、<ちょっと足りないだけ>」と暗示をかけてやってみました。
びっくりしましたよ~・・・・めちゃくちゃ楽です。自分で感じる限りでは少なくとも「必死な音」ではなくなっている気がします。
考えてみれば当たり前のことなんですけどね。
レッスンで「10度届きますか?」ときかれ、「いえ、無理です。全然です」と返事すれば、それはそれでもう終わった気がして(殴)、10度を同時に押さえることは放棄してしまい、いかにも「とどきません」な弾き方になってしまうのですけど、
「残念ながら2ミリくらいの差で同時には打鍵できません」ということであれば、「ほら、こーんなにとどかないんですっ」みたいな弾き方にはなりません(笑)。
ただここが難しいところですが・・・・どちらにしろあまりにも「10度だ」と意識すると、手(体)がかたまってしまって、余計にきつくなります。
気負わず、かまえず、意識しない状態、でないとうまくいかない。
これがたまたまうまくいくと、手が届いてなくても、コントロールの効いたけっこういい打鍵でハマるわけ。
その「たまたま」が、ワンセグでテレビみながらボケーと練習しているときだったりするのがアレなんですが。(・・・いちおう目的はあるんですけどね。ほかのことしながらでも全部弾けるくらい覚えているかどうか・・。ま、言い訳です)
この「たまたま」を「たまに」くらいに昇格させ、ついには「いつも」「かならず」という具合にもっていくのは非常に難しいことではありますけど、
なんにしても、<きっかけ>とか<ひらめき>はそんなもんで、
「今、なにかのしっぽが見えたような気がする」「なんか影がよぎったような気がする」という、錯覚だか勘違いだかわからないものを追っかけて現実にしていくのが、結局はおもしろいわけです。
世間的に見れば、非常にくだらないことで、「そんな暇があったら、夏休みの宿題のひとつも見てやれ」「料理の一品でも増やせば」というレベルのことなんですけど、
そういう「くだらないかもしれない一瞬」が重なればこそ、練習はやめられない。でなかったら、練習なんかしたくもないです・・・少なくとも私は。
でも、こういう練習って、はた目にはもしかしたら遊んでるように見えるかもしれないので、もし私が子供だったらボコボコに怒られてるかもしれないですね(汗)。
・・・・・・よかった大人で(逃)・・・・