アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

異境は何を持って道を歩くか?

2024年10月04日 | Weblog
 夕食後の一家団欒が「漢字の書き取り大会」でした。その大会の次第等は、昨日書きました。60数年前の事ですがね。

 漢字の部首が「お題」。お題が「しんにょう(しんにゅう)」の時は、「道を歩く。行く・進む行為」を思い浮かべて書きました。
 道に迷うこともある。遠かったり近かったり。速かったり、遅かったり。運ぶこともある。唐へ行ったんだよなあ、遣唐使。…このように考えながら書きました。

 トラブルとして思い出深いのは、「巡」という漢字。私は、しんにょうだと思って「巡」を書いたところ、答え合わせで、×となりました。
 なぜか?巡の部首は「 巛(まがりがわ)」であって、しんにょうではないのだと!
 このように、高レベル(?)なやりとりが行われましたね。両親が、なかなかの負けず嫌い。息子(私)の「巡は、しんにょう」を許してしまって、自分たちの立場が脅かされてはたまらない…それで、「まがりがわ」まで持ち出す。
 現代にあっては、「まがりがわ」を知る大人は…多くはないでしょう。

「道」という漢字…どうして「しんにょうに首」なんだ?
 歩く、行くという意味を持たせるために、しんにょうを使ったのは分かる。で、どうして「首」なの?
 当時の辞典には、「首を手に持って行くのが道」なんだと。こりゃ恐ろしい。古い時代には、他の民族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらす。そのため異族の人の首を手に持ち、その呪いの力で邪霊を祓い清めて進んだ…。

 では「迷」はどうなんだ?しんにょうに「米」。米を持って歩いているうちに道に迷ったのか?「迷は、形声文字」なので、米を運んで道に迷ったという成り立ちではないらしい。

 若者たちよ!食い逃げ世代は、まだまだ頑張ります。いかんせんあと25年で100歳。集団自決はしませんが、近い将来退きます。
「きみたちの前に道はない。きみたちの後ろに道はできる」…幸福な人生を送ってほしいと願います。
 きみが手に持っているのはぁ「首」です。
 失礼失礼、これからの若者に「道」の成り立ちは、教えない方がいいね。