盲導犬 主人の脚下 丸まって
電車の乗客 席ゆずりあい
もうどうけん mo u do u ke n
しゅじんのあしした syu ji n no a si si ta
まるまって ma ru ma tte
でんしゃのじょうきゃく de n sha no jo u kya ku
せきゆずりあい se ki yu zu ri a i
今回は内容が多いので、俳句や川柳の17音では情景が収まらない。
そこで、5,7,5,7,7の31音の短歌にした。
多少字余りになっているが。
短歌なので、季語はない。
少し前のこと。
JRの車内で起こった出来事である。
夕方、通勤で混み合うまえの時間帯である。
私が席に座ってうとうとしていると、突然、右となりの方が騒がしい。
ふと目を開けると、盲導犬とその主が乗車してきたのだった。
座っていた乗客が、みな立ち上がり、盲人の方と盲導犬に席を譲った。
ここまでなら、普通だ。
驚いたのが、その後である。
柴犬くらいの大きさの多分雑種と思われる盲導犬が、主人の膝下にくるくるっと小さく丸まって、チョコンと座っている。
もちろん、尾っぽも身体にピッタリとつけて、隣の人に迷惑をかけないようにしている。
その可愛らしさと、盲導犬の謙虚な姿勢に、思わず居ずまいを正した。
そして、乗客達はみなその盲導犬に釘付けとなった。
この盲導犬のおかげで、電車の車内には、互いを活かし合う素敵な時間と空間がしばらく続いた。
みんなその盲導犬に感心して、みんなが席を譲ろうとしていたのだ。
私にはそのチャンスは無かったが、まるで盲導犬がお手本のように、みんな自分の席を譲り合っていた。
多分、盲導犬のトレーナーによって、公共の場所では、自分(盲導犬)と主人以外に迷惑をかけないように訓練されているのだと思われた。
もちろん、主人も盲導犬が迷惑をかけないように、自分の脚下に留まるよう、しつけをしているのだ。
盲導犬の主人やトレーナーの思い、他の人に迷惑をかけないという気遣いが、電車の他の乗客への「敬意」として、盲導犬の行動からひしひしと伝わったのだ。
私も他の乗客も、盲導犬の姿に「神」を見る思いであった。
人間誰しも敬意を表されたら、敬意で応えるであろう。
それが、人間である。
少し横道へそれるが、和の国では基本的に人間であろうが、動物であろうが、区別しない。
和の国では、動物に心が伝わると考えているし、動物の思いも伝わると考えている。
それも縄文時代(約1万5000年前〜2300年前)から。
縄文時代に和の国の人々は、狩猟を共にした、犬を手厚く葬っている。
狩猟でイノシシやシカ、クマと戦い、歯が折れたり、骨折が多かったようだ。
我が家の近くでも、埋葬された犬の骨格が出土している。
犬と人間の相互の思いの表れである。
その思いが、文化(縄文時代の遺跡)として和の国には、今でも各地に残っている。
縄文時代からの思いが、今を生きている犬、盲導犬との乗客達の間で交わされたのだから、車内の乗客が感動しないわけはない。
お互いが敬意を表して、認め合うという「敬意」に心が震えたのだ。
人間どうし、人間と動物、相互の間で、敬意を表して認め合うという和の国の「心性」がどうして培われたかについては、これからこのブログで少しずつ書いていきたい。
さわりだけ、申し上げれば、和の国の恵まれた「環境」があると考えている。
どうして、そんなに恵まれていたのか、少しずつ書いていきたい。
縄文時代の生活は、現代の私たちが思うほど、貧しい生活ではないと思われる。
江戸時代より、縄文時代の方が歯のエナメル質の形成が良いという研究もあるようだ。
次のYouTubeの動画が、縄文時代の豊かさを表している。
実は、我が家も縄文時代の人々が住んでいた跡がすぐ近くにあるので、かなり具体的に理解出来る。
詳しくは、追々書いていくつもりである。