リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

儒教の影響を受けた東アジアの世界は、「未熟な社会」ということにハワイの「歩道」を見て気づいた!

2014-04-10 20:58:38 | Weblog

前に、儒教に影響された上下関係が車内に持ち込まれて、イーブンな関係が損なわれるということを下記の記事の最後で書いた。

レディーファーストでないわが国は、男がひ弱な社会とハワイで気づいた!

 

このことを書きつつ、東アジアでこうなってしまう根本に気づいた。

 

 


 

 

結論から言おう。
すべてではないが、日本を含む東アジアは、未熟なのだ。

どういうことか?

ハワイに行って郊外の道路を走っていて、ドライバーの好意で民家の多いところを通ってもらった。

昔見た米国製のテレビドラマのごとく、立派な個人宅がたくさんあり、部屋数も10くらいはありそうな家が多かった。

しかし、最も驚いたのは、「歩道」の広さである。
我が家の前は、幅4メートル以上の公道だが車道のみである。
ハワイの私が見た地域では、それより少し狭いくらいが普通の「歩道」だった。

それが、車道の両側にある。
人通りだって、そんなに多くない。
それなのにである。

一体この差は何か?

そう考えた時、そうかと思い当たったことがある。

アメリカでは、プライバシーが尊ばれる。
それは、個が確立しているからである。
だから、個人のプライバシーにはたとえ家族であっても、立ち入らない。

もちろん、その分孤独である。
しかし、それでも個人を尊重する。
自律することが価値ある社会であるからである。

この考え方で街も作られている。

だから、個人宅と公共の歩道や車道との距離は、4~5メートルは最低でも離れている。

個人宅のプライバシー、つまり「個の尊厳」が究極まで尊重されるからである。
「公共」から距離を置くのは、個人の尊厳の確立を侵さないようにという必要最低限の距離なのだ。

だから、公共の部分つまり「歩道」もできる限り広くとる。
個人の尊厳を守るためである。

 


 

我が家の近くの地方道の歩道は、悲しいかな、人が1人通るのもやっとしか幅がない。

行きかうことが出来ないので、どちらかが待つかどちらかが車道へ出るしかない。

このように、日本を含む東アジアでは、個人の尊厳は尊重されていない。
人が車道に降りざるを得ない危険な状況にあっても、誰も真剣に考慮しない。
それより、個人の「私権」のほうが重要だからだ。
それで、当たり前だと思っている。

個が確立していないか未熟だから、それを許容してしまうのだ。

そういう環境にあっては、人は個人のプライバシーにも土足でズカズカと踏み込む。
当たり前である。

物理的距離がないから、心理的距離があるはずないのである。

当然、個人の尊厳など尊重されない。

例えば、電車内という公共の空間で、大声で騒ぐのは、子どものすることとされている。

子どもが、そうした「公共の空間」で大声で騒ぐのは、個が確立をしていないからである。
つまり、未熟だからである。

子どもは他人の心のなかまでズカズカと入り込んでも平気なのだ。
(いじめはその典型例である)

未熟ゆえ、他人の心を尊重出来ない。

子どもだけではない。
時々、電車内で騒いだり足を投げ出す大人もいる。

ただ、未熟なのだ。

 


 

街を見ると、その国や地域がどういう考え方で作られているか、見て取れる。

それは、同時にその国や地域の人々の考え方・個や国家としての成熟度をも表している。

考え方は、行動になって現れるし、形になって必ず現れる。
そして、街や公共の場での行動という形になって。

世界のどこへ行こうが。

 

 


 

アメリカで公共交通機関、特に通勤列車があまり発達しなかった一因には、個を究極まで尊重するという考え方があったからだと思っている。

公共交通機関、特に通勤列車では、個を尊重することが難しいから。

アメリカでは、どうしてそこまで個人の尊厳を大切にするようになったかは、次回以降書くつもりである。

 

 


 

その前に、民主主義とは何か?
私は、個人の尊厳を最大限に尊重して、侵さない考え方だと思っている。
同時に、「公共」を最大限に尊重して侵さない考え方だと思っている。

「公共」のない国に、民主主義はない。

補足だが、民主主義とは「支配」のあり方を国民自身が選挙によって、決めることのできる社会的制度である。

そして、民主主義において「支配する」のは、国民自身なのである。

大統領でもなければ、首相でもない。

国民が国民自身を「支配」していなければ、それは民主主義ではない。

国民が国民自身を「支配」しているかどうかは、街の形を見れば判ると、ハワイに行って気づいた。

豊かな「公共」(歩道)がない世界は、どこであろうと未熟なのだ。
そして、本当の「民主主義」は根付いていない。

だが、その分伸び代は大きい。
「公共」を充実させることができるからである。

例えば、例に出した「歩道」。
これを拡幅するだけで、何十兆円、何百兆円もの事業になるだろう。
特に都市部で。

歩道や車道はインフラそのものだからだ。
これらのインフラがなければ、何も始まらない。

物流や人の流れこそが、経済の大本だからである。

そして、「歩道」は赤ん坊から年寄りまで年齢に関係なく、納税(消費税が8%にアップしたが)したことの反対給付を実感できる「福祉施設」でもある。

豊かな歩道(公共)があってこそ、人は未熟でなくなるとハワイに行って気づいた! 


最新の画像もっと見る