https://www.youtube.com/watch?v=SVM2S3coYXE
【中国情勢】
最初【トウシル [楽天証券]】って書いてあったから期待したが、ホザク内容は『チャイナ・リスクを言われる度に「ちうごく」は強くなった』と言う「ちうごく・ステマ」だった。つまり内容は無い。ウォール・ストリートで馬鹿が直接投資家に聞いて「サブプライムショック」よりマシだと仰せである。
悪い…、俺こう言う馬鹿、チョット見ていて目に染みる…、[楽天証券]って素人か、経済音痴で、「ちうごく・ステマ」だったの?全く糞である。
今の「ちうごく」の状態は、豚菌病が馬鹿で「恒大がデフォルトって、面子が潰れる」って鳴いたんだろう。それで「表向き」は「デフォルト回避…的な状態」にしているのであり、基本的な不動産バブル対策は「全く採られていない」
まぁ加藤 嘉一と称する傀儡が、ワザワザ、ウォール・ストリートまで行って、御意見を聞いて回った面々の名を聞いてみたい。
不良債権処理をするには、2つしかなく①再生か②放棄である。何れも「債権」を全て皆同じと放置すると、株式・不動産市況に対して疑念を持つので、「良い債権」と「悪い債権」をレッテル付けをしないといけない。
まぁ加藤 嘉一と称する傀儡は、「チャイナ・リスク」とレッテルを貼るな!と危篤な御仁だから不良債権の炙り出しは「何か知らんが駄目」なのだろう。馬鹿+経済音痴は放っておく。
レッテルは(1)公的機関の認定(線引き)、(2)格付け民間組織の査定、(3)事実上の自己申告(これが日本で宮沢熹一蔵相の使った「ブリッジ・バンク」)の3つが私は思いつく。
問題は「不良債権」と言うものは金利が付いており、処理を放置した期間(時間)X利息X総資産額だけ、無駄なキャッシュを浪費しても利益を出さない。そのメカニズムを加藤 嘉一と称する豚菌病の傀儡が、ワザワザ、ウォール・ストリートまで行って、御意見を聞いて回った面々は、認識…、していたのぉ〜?
この金利扱いで豚菌病「ちうごく」は、既に失敗している。
『チャイナ・リスクを言われる度に「ちうごく」は強くなった』と加藤 嘉一と称する豚菌病の傀儡が言うが、この失敗は「金融」と「ちうごく経済の特異な性格」を知らないと雄弁に語る。
最初昨年初頭に、金融機関の窓口規制で「不動産関連融資」を全面禁止した。すると1月内外で、市中金利が2〜3%だったのが20〜30%に急上昇した。
加藤 嘉一と称する豚菌病の傀儡は、分からないだろうが、コレは「ちうごく経済の特異な性格」で、金融システムが「後進国並」である事を意味している。多分に足元を見る悪徳金融や地下銀行が表よりも活発だと言う事だ。
ただ、金利上限30%代に至る時点で、その速度から、おおよその不良債権総額が推測できるし、金利上限からは、今の不動産プレミアム(追加金利)が分かるが、そんな事「極楽天証券」に期待しても無理でしょう。
市中金利が効かないと思うと「不動産評価額半減」を打ち出すと、取扱量が最悪-80%減となり「破産連鎖」により大量の債権額面と含み益が消えた。コレは「ちうごく」資産が消えた事であり、貨幣経済を根底から破壊しかねない状況である。
本来、資金体力的にギリギリだった不動産デベロッパーにとって「ちうごく」経済全体の資産が減る事は、キャッシュが、そちらの手当に向かうので、事実上の「破産宣告」であった。
ねぇ?加藤 嘉一くん?今の恒大集団のデフォルトって、この流れの結果って、「極楽天証券」には、別の分析があるの?
そりゃぁ是非聴きたい。
あるのなら…の話だ。
アドレスは以下の通り
https://tora8.tv/
日本国記では、百田尚樹氏の大いなる視点「国防」が主軸なので、あの書き方ではあるが、主に文書記録ベースである。
長崎市では、地名に「皿焼き」「瓶(かめ)焼き」とあり、皿は食器だが、瓶は、当時「瓶棺(かめかん)」が使われていた。長崎への入寇は、福田、稲佐、飽の浦、浦上川沿岸とされており、稲佐防衛には、近くの権現山に拠点が在り、それが「皿焼き」「瓶(かめ)焼き」の地名の場所である。
稲佐山道路が出来て行けなくなったが新石器時代の主食:栗・百合根が密集して繁殖しており、ここが防人(さきもり)の拠点であると考えられる。
あまり紹介されないが護国神社は、鎮守の森が円墳で、駐車場が方墳の前方後円墳と言われているが、対面する緑丘中学校も、古墳か、防人の防衛拠点とも言われている。
さて、防衛熱が覚めると9世紀に攻め込まれても京は、無視したと言うが、それどころの騒ぎではなく平安時代中期から幕末に至るまで、京では「唐物(からもの)」と呼ぶ中国からの輸入品が上流階級で重宝された。景徳鎮の白磁や、蘭奢待(巨大な香木:国宝)など、凡そ千年、日本は黄金・銀を大陸に貢いでいた。
その運用で、最初に権力を築いたのが「平清盛」である。黄金の国:ジパングの通り名は、最初は東北の「砂金」から、金無垢へと変わったが、世界の黄金の多くが日本起源で、それ故、日本:ジパングは、世界中に知られていた。
戦国時代も貿易は活発となり、益々金銀は出て行ったが、貿易熱は冷めやらなかった。それを最初に危惧したのが「徳川家光」であり、鎖国は海外からの宗教侵略と金銀の流出防止が目的だった。
当時も「唐物」の輸入が多かったが、それよりも大量に輸入されたのが「砂糖」だった。
コレは、元々漢方薬として扱われ、江戸時代は「薬種問屋」が扱うモノだった。だが、将軍が独占する砂糖を織田信長が、自由に使い、それが文化として広まり、江戸時代初期には庶民まで広がった。幕府は毎年毎年膨大な額を「鎖国後」も砂糖に費やした。
今、東北などで見られる「気が狂った様な量の砂糖を入れる料理」は、この時出来たのであろう。ただ、幕府は砂糖購入圧力を止められなかった。
そこで、五代将軍綱吉は、土佐での砂糖黍(さとうきび)生産⇒製糖を企図し、懇意だった、後の八代将軍吉宗に色々話していたのだろう。実際、土佐での砂糖黍(さとうきび)生産を指揮統率したのは八代将軍吉宗である。
この砂糖黍生産は、幕末近くになると、薩摩:島津藩が仕切り琉球国で生産し、同時に中国交易で、財を蓄えた。それも庶民から家老まで出世した調所 広郷(廣郷)(ずしょ ひろさと)の力に依る所が大きかった。
かくて、日本が開国した所以は、砂糖も一部、関わっていた…、日本国記には、無い話だが…