昨日からいよいよ荷造りを
始めました。
一ヶ月位で見る見るたまってしまった(涙)本や資料なんかを頑張って
箱に詰めて宅急便で送っています。
これが本州を越えて九州に飛ぶんだ。
着いたら引き取り
またいつもの仕事と引越作業復活の毎日に至ります。
こちらに来てからは、本当に限られた人数の人にしか会わず話さずで
随分独りで過ごした感のあるこの夏、例年にないメニューで良かったところもあり
時々非常に精神的に辛かったところも無くはなく、こうして終わってしまう、と思うと
なんとも言えない気持ちに私も幾度となく襲われます(笑)。
でも、じっと独りで閉じこもっていて次第にわかってきたことがあって。
毎日働いていて辛いと、どんどん自分が独りで堪えて頑張らねばいけない、と思いがちでした。
そして頑張っているつもりで、いったい自分は何をしているのか。例えば十数年間、ずっと独りで、
人を遠ざけて、苦しい思いも一人で味わっているだけで、頑張ってる友達や先輩たちと比べて、同じ年月を経ていても、結果として人生において何も得られていないのではないか、と。
でもよく考えていくと、自分が憂鬱で辛い気持ちで暗くなっている時ほど
本当は知らないうちに沢山の人に助けられているということへの感謝とか
他者に対する興味とか、思いやりとかをますます忘れがちになる。その上、物事に対して悲観的でいるから
自他ともに物事の悪い面ばかりが見えて、その悪い点の指摘こそ客観的な批評だと思ったりして
自分をとりまく世界をどんどん絶望的に冷たくしていって、ますます人が周囲から遠ざかっていくんだと思います。
今回、ここへ来る機会をもらえたことに
後悔…はあるのかないのか、今でも自分ではよくわからず
最初の半月は非常に辛かったというのが正直なところでしたが^^;;
不安がない筈のない私も、「長期的な展望は追々図りつつ」「まあ無理をするな」といった趣きの言葉をかけてもらえたことで
(それも数年ぶり、十数年ぶりに会った人々に)
考え方も少しずつゆるやかに変わってきたような気がします。
ともかく、自分が独りだけで頑張っていられるわけでは決してないのだ、と思いました。
遠くでも近くでも、自分と関係のある人々が何らかの影響を与えていて、その都度、自分が育っている。
感謝する気持ちを忘れて「自分だけが辛い」ような傲慢な気分になってる時点で、精神的余裕も失われており、ひいては客観的な批判力も思考力も既に働きが鈍っているのではないかと。
そういうことに、一ヶ月かけてようやく気付いた、ということだけでも
屈折して屈折してその先に
やっぱり、ここに来れたことに、感謝したいと思うようになってきた気分です。
(…すぐには恩返しはできませんが、もう少し先、そのうち出世払いということで(爆)よろしく>皆様)
東京は曇りなのか…こっちはここへきて猛暑です。しかしもう秋空ですな、この晴天も夕焼けも風も。
私もなかなか自分では物事の善意を信じられない性悪説なものだから
(そのへんはKinKiの人の情調性に大変共感あり・笑)
ついつい忘れがちになりますが、感謝を感じられないほど悪意にとりすぎてもいけませんな。
人は自分のことを、過大評価でもなく、悪意でもなく、そんなに気にしてないというのが本当かと思います。
自意識過剰なだけの自分が、人に対して無関心だから、人も自分に対して無関心なのだと。
もし自分が「忘れられたくない」と思うなら、自分から人を理解しようと働きかけていけばいいのであって。
その一方で案外、これまで人生で出会ってきた人々が、自分の知らないところで、心で掴んでいて
支えてくれているかもしれないと思うようになってきたかもしれないです。
(この一ヶ月、正直言って、しんどかったけどね。ほんと。それだけは嘘はつけない^^。だけど)
つよしくんも多分、充分誰かに掴まれていて支えられてるから、そしてそれに応えられるから、だいじょぶさ。
※…どうしてLFが来るたびに私はパロりたくなってしまうのか(決してバカにしてるわけではないのだ。むしろ文体が毎回楽しみで読んでいるから書きたくなる)。いじっているうちに、どんどん字余りに(><)
しかもLFに返事を書いたところでつよしはもとより誰も読まんだろ(爆)と思いつつ。すまんのお^^
