○そんなことを言っていた昨日だったが、今日出張で西鉄乗換えで天神に久々に出る。ユースキンとともに冬季の味方・そろそろ切れそうなラッシュのリップサービスと、街中のでかい本屋でないと売ってないブレーン2月号(宣伝会議)と、オリスタも一緒に買ったり、その程度でも贅沢な買物をした気分だ(※安上がりな庶民の私)。帰ってきてその広告業界誌の方を見て、ようやくエンドリケリなる企画のイメージを描いてみる(なにせテレビでは全然観ていないし、新曲もまだ聴いていないから何ともなのだ)。他の記事もなんとなく読む。電通かぁ。実は年末、東京ドーム到着前に渋谷のタワレコHMV付近で輸入CD探索の後、喫茶店に入った。偶然たまたま隣のテーブルの若い2人連れが、漏れ聞こえてくる大声の話から察するにCX制作関係の人らしかったのだが、彼の話によると、番組制作の際に局に“必ず「スポンサー控室」と「電通関係控室」が設けられる”のだそうだ。曰く“広告主(スポンサー)が来るのはわかるけど、電通が絶対来てるのがわけわかんねえ”。(そりゃ「企業や体制にとって批判的で都合の悪いテレビ番組」を作られると困るから、当然御目付様という奴ではないのかの)と傍らで聴きながら黙っていたけれども。この雑誌を読んでいたら、そんなことをつい思い出してしまった。まあ企業イメージやデザインとか綺麗げな言われ方をされていて、それが100年や200年たった後に壮大な歴史的視点から眺められた場合、若い感性がどう姑息に利用されていたか、てなことにならなきゃいいが、というようなことは、天野祐吉の広告史関連の諸著作を片っ端から読み漁った十数年前に既に感じていたことではある。他業種から見れば他の業界とは華やかそうに見えるものではあるが、(うちの業界だって同様)いずこも外から測り知りきれぬ色々な内部事情がなかなかあろうことは想像に難くない。LFではつよしさんは御大?に再会したのか、ようござった。今ジェネジャンを深刻げにやっているのだが、それは録り中で、先にキンキラを聞いている。こっちは光一さんに反論するリスナーの畳み掛けがまるで漫才だ。すげー。(20060114)

