「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20060126

2006-01-26 | 矮小布団圧縮袋

○…最悪な経営陣の対応に全員呆然として前途暗澹たる思いで帰宅。…この一年間ひどい波乱続きだったのですっかり忘れていたが、コンビニで買ってきた女性自身の光一さんカレンダー連載を顧みて、「そういえば一年前の今日はまだ入院中で、収容されて外出禁止の病院の売店で雑誌買ってたっけ」、と思い出した。その時症状をもし気づかずに放置してて、それきり急激に劇症化して死んでたら、一年後の今日こう暗い気持ちになることもなかっただろう。これも巡り合わせなのかな。考えてみれば日本の人口のうち、一年の死亡者数が101万超として、そのうちの大部分の人は去年の1月26日にまだ生きてたかもしれないけど今年の今日という日は味わえなかったんだ。と思えば、まだ生きてること、今までの日常の生活はまだ明日も予定として連続していること、風呂に入り食欲無いなりに夕飯が食べられること、雑音だらけで全く聴きにくいどんなもんやが聴けること、今夜暖房をつけて自分の蒲団で眠る場所があること、ひとまずそれだけだって、まだ感謝すべきかもしれない。ニュースを見てたら先週から今週までの一週間だってわけがわからず、死んだ人もいるし、みんな来年の今日もどうなってるかわからない。とにかく自分は今日する仕事はするところまでして、疲れたら休んで、そうして毎日淡々と生きるだけだ。ただし、仕事をする上でも冷静な思考力や文章力、学習力や体力や感覚は維持しなければならん。それが「仕事道具」だから、なまくらに鈍っては仕事にならない。精神的に重く辛い事にぶち当たったら避けても隠してもいけない。きちんと言葉にして自分が学習すれば、似た事が起こっても対処を考えるし、後に続く人にそのことを教え伝えることもできるし、一度教えれば言葉は完全には消えない。必ずどこかへ洩れる。自分が死んだ後も誰かがそれを誰かに伝えてくれるかもしれない。独居老人になりゆく自分が社会に対してできることがあるとしたら、そのくらいしかないのではないか、と、この一年、本当に真面目に思い始めた。この2年ほど私の味わってきたこと、見聞きしてきたことは全て書いて預けておき、私が死んだらすぐ発表してもらうようにしておこう…、というような情調に陥りながら読む深夜のLFの味というのはまたひとしおだ(爆)。そうだよな(涙)勝つかどうかわからなくても、負けない闘い方を続けていく価値はあるように思う。つよしさんは何が今辛いのか。私は、って私もやっぱり言えない(苦笑)お互いですな。つよしさんほど「たくさん」じゃないが、しかし自分を周りで支えてくれる現場の人たちの愛、かどうかはわからないが義憤の心意気みたいなのは確かに感じるし、それを感じることが自分の助けになるようには思う。孤立無援だとか思い込まないで外に開いていくことが、自分を結果的に救ってくれていて、後から気づくこともあるからだ。今日のLFからはそういうことを再確認、ってことで、私もついぼやいてしまった。赤面頓首。(昨日のKBCのしんどいや朝のズームインやその女性自身の中身の話はまた後日・20060126)

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