「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20080302

2008-03-02 | 矮小布団圧縮袋

○土曜も平日同様業務。
 日テレのJack in the Box特番はFBSではやらないようなので、一応m-onのユメレジ金曜の来週午後の再放送は留守録ってことで。
 日曜、天候と気温が回復したので洗濯と掃除と、バイクで野菜他食糧の買出し。近郊の産直市で、農家の人の自家製高菜漬や梅干も仕入れる。途中の神社で下りてちょっと缶コーヒーとぽんかんで休憩。
 心は厳寒、しかしこうして外に出てみると、季節は動いていた。憂いは深まる。i-POD君の音楽が旅愁をかきたてる。遠くに霞む山並を遥かに眺める。黄砂が来ていたのは帰ってからニュースで知った。暮れてから天気が崩れ、突然落雷が連続した。まだ鳴っている。まるで上空を転がる航空機の爆音のように。

 気がつくと3月になっていた。
 「絶望して死ね」っていう台詞を、ふと思い出した。その台詞が言われる時、その言葉に込められている、「絶望」って、それは、何なんだろう。それを言う人は、「絶望」って、したことがあるんだろうか。あったとしたら、それはどんな絶望だったんだろう。どんな絶望の意味を込めて言ってるんだろう。
 金子光晴の文章は、決して抽象的に衒学的に難解なわけではないと思う。
 しかし、ブレがない。そこに書かれていた「絶望」の諸相にも。表現力だけでなく、その、空々しいものを空々しいとはっきりいい、見逃してはいけないもの(もしくは普通の人が目をそむけてしまうもの)への観察力というか。そして、奇妙に生々しく残って、胸が一杯になっていて、それを読む直前の気分を、読後の意識がすっかり忘れている。凄い小説や映画や音楽や何か、そういうものを味わった直後、一瞬、頭をがーんと殴られた後のような。不思議な「他の何とも違う何か」の気分になる、あれだ。まあ、もうそのくらいのものでないと、味わう意味もあまりないだろう、という気もするが。
 観察力とか、耳を傾ける事とかの方が、大事である。自己主張するより先に、よく見ることとよく聞くことが大事だと。本を読んで、音楽を聴いていると、ゆるやかに、そういうことも思い出すのだった。(20080302)
コメント