「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20080325

2008-03-25 | 矮小布団圧縮袋

○イベント準備の買物先のコンビニでやっと週刊TVガイドと週刊ザテレビジョンの表紙を見る。なんか見たことがあるな、と思い出して買う。気持ちがささくれすぎてそういう余裕もなかったかな。

 沖縄か。ハブ帽子、ほしいな。宴会用に。

 奇しくも、今日は沖縄へ旅立つ後輩を見送った。
 
 昨日書いた5年前のイベントの時は、こんなイベント何が面白いんだ、って虚妄なものを感じていた。けれども、5年後の今日、同じイベントで、逆に心が救われ支えられている自分がいることを、しみじみと感じた。単にイベントそのものが虚礼で悪い、ってんじゃない。それを虚妄に感じる時は、人のおべんちゃらに辟易し、自分も正直に心が入ってない時だからだ、多分。
 それは放っといて、実質の部分だけ見ればいい。そのイベントに掛ける自分の心が本当なら、それで切実なものになって思い出に残る。というより、自分から働きかけて切実なものにできる部分をそうすればいいんだ、と気づいた。それは例えば、39のドームや大阪ドームやマリンメッセの時のようなもので、自分がそこで何をしたいのか、祭の目的を主体的に作ることで、他人の祭りに居合わせているんじゃない、他の誰のためでもない、自分にとっての祭になる、ということ。
 たとえば今日、彼らを見送ったことは、もう一生で二度とは経験できない、一回きりの貴重な祭なんだから。そう感じ取れる感性を得られた自分がいる。辛い日々の蓄積に何があるのかというと、そういう価値はあるのかもしれない。茂木健一郎氏の話じゃないが、年々、そういう感じ方は5年前10年前より、育てられているのではないだろうか。そうして以前は語れなかったのに、次第に語れるようになっている言葉の感覚があるとすれば、ささやかな収穫でもある。そう思うようにしたい。(20080325)
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