NHK放送の「沖縄“出口なき”戦場」「沖縄戦全記録」を見ました。
1941年12月8日未明日本海軍はハワイオアフ島真珠湾に奇襲攻撃をかけました。
この時期の放送にはこんな理由があるのでしょうか。
8月15日に戦争を考えることは、「空襲」「敗戦」「被爆」と被害者的な立場からの考察が多い気がします。
12月8日という米国との開戦を決断してしまったこの日に考えることは、「加害者」としての立場だろうか。
どちらにしても、一般市民は「被害者」と云っていいでしょう。
番組では、当時沖縄での「防衛招集者」(兵士の不足を補うために「軍民一体」という名の下に住民が駆り出された)の「切り込み」(肉弾戦)について伝えていた。
「どうせ死ぬ」「一億玉砕」という意識が、戦局が決した後をも犠牲者を増やした。
「どうせ死ぬ」という結論から思考が止まって、恐れもなくただ死に向かっていった人もいた。
住民と同じ服装をしていた日本兵がいたことからでしょうか、アメリカの攻撃は無差別になっていった事実もあるようです。
小さい頃からの「教育」により、国民が国家のために命を投げ出すことを「当然」のこととしていたので、犠牲者(兵士・民間人をともに)は我々とは違った死生観を持っていたのかもしれません。
国家によるプロパガンダの恐ろしさ・・・。
「常識」は疑う。「異見」は尊重する。
ファッショから国を守るための手段はこんなところにあるのかもしれません。
『教育』と『報道』の大切さを改めて感じました。