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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

四氏の興亡 松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く―源頼朝から上杉謙信までー』

2015年09月18日 06時53分29秒 | 書評


四氏の興亡 松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く―源頼朝から上杉謙信までー』.

 ある意味、鎌倉のイメージ革新、そこを迫る.
 鎌倉は今に連なる、首都圏の一翼.源氏の棟梁が開府したことは余りに著明.しかし源氏三代、北條一族の継承後は歴史の視野から消える.しかし源氏・北條・足利・上杉の四氏に受け継がれ、「十五世紀の半ばまでは繁栄を続けた」(「はじめに」 ).

 イメージ革新.最初は、鎌倉開府の要因
 1)海に面し、中央と房総半島をむすぶ交通の要衝 2)源氏ゆかりの地 3)東・西・北の三方を山で、南を海に面する要害の地(5~6p).
 2)、3)は注目されたが、1)は相模国以外の地では意外なのかも.
 
 都市イメージの革新.その二は、北條氏滅後の鎌倉.
 そこを考古学の成果から、「(鎌倉の遺構・遺物は)十四世紀を通じ質・量ともにそれ以前と変らない」(102p)と示す.結論を言えば「(室町幕府の)鎌倉府の都(評者注=東国経営の拠点ということか)として繁栄をとげていた」(同)とする.

武将イメージの革新.
武将イメージとは大げさかも知れないが、上杉氏が「鎌倉公方」(144p)として鎌倉に存在感をもち、関東管領の補佐役から近世大名に転じて東北・山形で存在感を示した.信州での上杉を知る人は多いが、その出自が鎌倉にあった点を示してある意味、<下克上>の豊富化を読ませる.

著者は鎌倉新仏教の思想構造も手がけ、山形に奉職しながら本書で「鎌倉」を、書いている.
「寺としての鶴岡八幡宮」(15p)や、「遁世僧たちを核として成立した教団の仏教が鎌倉新仏教と考えている」(30p)は、前者の業績によるものか.他方で、上杉謙信の登場に一章をもうけて刮目させるは、後者のなかで培った問題意識かも.(中公新書  1997年).
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津波注意報 150918

2015年09月18日 05時36分01秒 | 生活


 津波注意報 150918.
 「日本時間17日07:54頃、南米のチリ中部沖を震源とするM8.3の地震が発生」と、ネットに.
 これにともなう津波が、本邦にも到来、と.気象庁は注意報を発した.


 【津波到達予想時刻・予想される津波の高さ】
・北海道太平洋沿岸東部  18日05:00    1m
・北海道太平洋沿岸中部  18日05:30    1m
・北海道太平洋沿岸西部  18日06:00    1m

 1960年5月かに、同じチリ沖かで地震が発生した.
 これによる津波が我が国にも押し寄せた.当時、通学した市では鉄道橋が移動.ためにバス代替輸送で目的駅まで運んでもらった.

 居住地の東のマチでは、津波による人的被害があった.
 1952年3月の十勝沖地震で深刻な被害をうけた地域でもあったので、「まさか、まさか」の被災であった.

 「地震には津波」.
 その教訓は立派にあったが、「揺れもなかったのに、津波とは」.地球の裏側で発した地震でも、「津波が来る」.「津波の被害がある」.

 新しい学習経験であったと、おもう.
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