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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

 これでは「利益のみ吸引、後始末負担は辺境地」 住友・伊庭貞豪に学ぶ「儲けたのちの後始末」240425

2024年04月26日 15時20分32秒 | 季節
 お時間があったら「別子銅山 緑化 住友」のキーワードを検索欄に記載して、ページを開いてくださいな。おススメします。
 「伊庭貞豪 いば ていごう、1847年2月19日(弘化4年1月5日) - 1926年(大正15年)10月22日」の<思い入れ>を受け継ぐ、さまざまな情報がヒットする。
 ●https://www.sumitomo.gr.jp/history/person/tracks21/07/    住友グループ広報委員会 ●https://www.srigroup.co.jp/sustainability/genki/ecology/05_1.html       住友ゴム
 ●https://diamond.jp/articles/-/285284                DIAMOND online
 ●https://www.besshi.net/hp/eco/01/005/01.htm   煙害克服への挑戦 100万本の大植林
 ●https://www.sumitomo.gr.jp>history>person>tracks21別子銅山の緑化事業と伊庭の自然観

 最初に掲げたページに記載。そして「注」がある。
 「別子の山を荒蕪するにまかしておくことは、天地の大道に背くことだ」。
 ※「注」部分。
 「これは東洋の思想です」。「西洋的な考えや、アメリカ的な考えでは、フロンティア精神、開拓の精神であり、人間が一番偉いということになります」。
 「ところが、東洋的な考えでは、人間は自然の一部である、だから自然を損なうと必ずしっぺ返しが来るということになります」。

 「別子銅山の緑化事業と伊庭の自然観」に申す(掲載画像)。
 「別子全山を旧のあおあおとした姿にしてこれを大自然にかえさねばならない」
 「わしのほんとうの『事業』といってよいのは、これだ」「これで良いのだ」。

 旧阿寒町雄別地区。ここに三菱系炭鉱があった。1970年2月の閉山から50有余年。
 釧路市春採地区。 こちらには三井系の炭鉱が国内最後の<坑内掘り炭鉱>として存続していた。
 後者は閉山から四半世紀。それぞれ事業跡地の再生、復元、復興の投資や雇用創設はどこまで・・・・・・・・・。

 釧路湿原で、そしてパシクル沼周辺の保護林で、保護区聖域に踏み込む<再生エネルギー発電装置>の建設。
 稼働後、必ず廃棄の局面に遭遇。市民のなかには、その時、すでに会社倒産を懸念。
 学ぶべきは住友財閥の対応。反面教師となるのか、三菱・三井の炭鉱経営。

 これでは「利益のみ吸引、後始末負担は辺境地」 住友・伊庭貞豪に学ぶ「儲けたのちの後始末」240425


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