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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

「阿寒 アカン=不動 動かざる」の行き着く点 ​ <崩されることなく動かず>(山本多助談「阿寒岳の争い」)

2025年03月10日 11時03分58秒 | 季節
 「阿寒 アカン=不動 動かざる」の行き着く点  <崩されることなく動かず>(山本多助談「阿寒岳の争い」)

 『北海道の伝説』(北書房 1970年発行)273pに所載の「アイヌ民族伝説」。
 「阿寒岳の争い」。その末尾は、次の構成で示される。
 「雄阿寒山は昔海近くに立っていて、ピシタアンピンモシリ=海ふちにある雄山 と、いっていた。

 「この男山が雌阿寒を嫁にしたところ、この女山は非常に気性の荒い山であったので、あたりの山々がそのために崩されてすっかり地形が変わってしまったが」。
 「雄阿寒だけはくずされることなく、動かなかった」。
 「それでアカンというようになった」「アカンとは動かないという意味であるという」。

 <なんとしてもはずさないキーワード>を選ぶとする、と。
 ①「雄阿寒」、②「雌阿寒」、③「雌阿寒の切り立った山容」、④「ポンヌプリ」、
 ⑤「摩周湖」、⑥「摩周湖裾の赤い岩」⑦「斜里岳」、⑧「爺々岳」。 

 特に絞ると ①,②&⑤は必須か。そのキーワードを挿入して、物語を発展させる、
 留辺蘂 ルペシペ の「ポンヌプリ」。その移転先は屈斜路湖畔の「オプタテシケヌプリ」に転じた。
 かわって後年、、「北見富士」なる山岳が注目を集めるに至った、か。

 本伝説の紹介。前後3回に分割。その意図は、阿寒川中流域の阿寒・舌辛・布伏内地区。 阿寒川を介して釧路と文化圏を共有するように見えつつも、である。実は北見文化圏の一翼たるを伝える点をめざした。。
 1970年代。畔の宴会に呼ばれるサービ嬢は、北見から呼ばれていた。
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