「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」は、釧路市中央部に位置する旧地名である。
昭和7年8月、現在の行政字名で細分されることになった。その現在を記載しておく。
「宝町」「寿町」「浪花」「仲浜町」「南浜町」。釧路川と新釧路川の間に広がる、海岸線の一帯。
明治40年前後のニシン盛漁。
そして、昭和24,25年の「サバ・サンマブーム」で来釧した八戸漁業者が依拠した漁場と漁業権。
その末裔は「釧路港西港区」建設で前浜の漁業権は失われ、漁業種目の転換を求められた。
近代港湾の区域拡大で失われた漁業権に対する補償金額は、さまざまに転用された。
国道38号線から「西港記念」掲示したアパートが、1970年を前後して<お目見え>した。
漁業権を失った見返りに得た資金で建立。そうしたアパート群が出現したのである、が。
アイヌ語に語源をもつ「トンケシ」。山田秀三氏は、二つの説を引用する。
「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」のほか、「トンケシ to-hon-kesi 沼・の腹・の末」を掲げる。いずれも知里博士の解釈によっている。
同氏は胆振国登別市若山町、新生町の新地名で「富岸町」が「その奥の方だけの地名になっている」(『北海道の地名』 397p)。
北海道釧路市。橋北地区と鳥取地区にまたがるJR線・釧路駅周辺には、沼沢地が点在した。
図に示した。釧路駅西に「旧武田木材跡地」。その後は「長崎屋」、現在は「ベガスベガス」の地に沼地があった(佐藤宥紹著『街角の百年』)。
太平洋岸に面する「トンケシ 頓化」とJR線との間には「砂丘」が発達していた。
顧みるに、釧路駅西の沼地。
その水脈が西にのびて、太平洋にそそぐ流れにみられる<みおうすじ 水脈>を見せた時代があった、ものか。
記憶にとどめておきたい。
「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」は、釧路市中央部に位置する旧地名である。
昭和7年8月、現在の行政字名で細分されることになった。その現在を記載しておく。
「宝町」「寿町」「浪花」「仲浜町」「南浜町」。釧路川と新釧路川の間に広がる、海岸線の一帯。
明治40年前後のニシン盛漁。
そして、昭和24,25年の「サバ・サンマブーム」で来釧した八戸漁業者が依拠した漁場と漁業権。
その末裔は「釧路港西港区」建設で前浜の漁業権は失われ、漁業種目の転換を求められた。
近代港湾の区域拡大で失われた漁業権に対する補償金額は、さまざまに転用された。
国道38号線から「西港記念」掲示したアパートが、1970年を前後して<お目見え>した。
漁業権を失った見返りに得た資金で建立。そうしたアパート群が出現したのである、が。
アイヌ語に語源をもつ「トンケシ」。山田秀三氏は、二つの説を引用する。
「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」のほか、「トンケシ to-hon-kesi 沼・の腹・の末」を掲げる。いずれも知里博士の解釈によっている。
同氏は胆振国登別市若山町、新生町の新地名で「富岸町」が「その奥の方だけの地名になっている」(『北海道の地名』 397p)。
北海道釧路市。橋北地区と鳥取地区にまたがるJR線・釧路駅周辺には、沼沢地が点在した。
図に示した。釧路駅西に「旧武田木材跡地」。その後は「長崎屋」、現在は「ベガスベガス」の地に沼地があった(佐藤宥紹著『街角の百年』)。
太平洋岸に面する「トンケシ 頓化」とJR線との間には「砂丘」が発達していた。
顧みるに、釧路駅西の沼地。
その水脈が西にのびて、太平洋にそそぐ流れにみられる<みおうすじ 水脈>を見せた時代があった、ものか。
「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」&「トンケシ to-hon-kesi 沼・の腹・の末」。記憶にとどめておきたい。
昭和7年8月、現在の行政字名で細分されることになった。その現在を記載しておく。
「宝町」「寿町」「浪花」「仲浜町」「南浜町」。釧路川と新釧路川の間に広がる、海岸線の一帯。
明治40年前後のニシン盛漁。
そして、昭和24,25年の「サバ・サンマブーム」で来釧した八戸漁業者が依拠した漁場と漁業権。
その末裔は「釧路港西港区」建設で前浜の漁業権は失われ、漁業種目の転換を求められた。
近代港湾の区域拡大で失われた漁業権に対する補償金額は、さまざまに転用された。
国道38号線から「西港記念」掲示したアパートが、1970年を前後して<お目見え>した。
漁業権を失った見返りに得た資金で建立。そうしたアパート群が出現したのである、が。
アイヌ語に語源をもつ「トンケシ」。山田秀三氏は、二つの説を引用する。
「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」のほか、「トンケシ to-hon-kesi 沼・の腹・の末」を掲げる。いずれも知里博士の解釈によっている。
同氏は胆振国登別市若山町、新生町の新地名で「富岸町」が「その奥の方だけの地名になっている」(『北海道の地名』 397p)。
北海道釧路市。橋北地区と鳥取地区にまたがるJR線・釧路駅周辺には、沼沢地が点在した。
図に示した。釧路駅西に「旧武田木材跡地」。その後は「長崎屋」、現在は「ベガスベガス」の地に沼地があった(佐藤宥紹著『街角の百年』)。
太平洋岸に面する「トンケシ 頓化」とJR線との間には「砂丘」が発達していた。
顧みるに、釧路駅西の沼地。
その水脈が西にのびて、太平洋にそそぐ流れにみられる<みおうすじ 水脈>を見せた時代があった、ものか。
記憶にとどめておきたい。
「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」は、釧路市中央部に位置する旧地名である。
昭和7年8月、現在の行政字名で細分されることになった。その現在を記載しておく。
「宝町」「寿町」「浪花」「仲浜町」「南浜町」。釧路川と新釧路川の間に広がる、海岸線の一帯。
明治40年前後のニシン盛漁。
そして、昭和24,25年の「サバ・サンマブーム」で来釧した八戸漁業者が依拠した漁場と漁業権。
その末裔は「釧路港西港区」建設で前浜の漁業権は失われ、漁業種目の転換を求められた。
近代港湾の区域拡大で失われた漁業権に対する補償金額は、さまざまに転用された。
国道38号線から「西港記念」掲示したアパートが、1970年を前後して<お目見え>した。
漁業権を失った見返りに得た資金で建立。そうしたアパート群が出現したのである、が。
アイヌ語に語源をもつ「トンケシ」。山田秀三氏は、二つの説を引用する。
「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」のほか、「トンケシ to-hon-kesi 沼・の腹・の末」を掲げる。いずれも知里博士の解釈によっている。
同氏は胆振国登別市若山町、新生町の新地名で「富岸町」が「その奥の方だけの地名になっている」(『北海道の地名』 397p)。
北海道釧路市。橋北地区と鳥取地区にまたがるJR線・釧路駅周辺には、沼沢地が点在した。
図に示した。釧路駅西に「旧武田木材跡地」。その後は「長崎屋」、現在は「ベガスベガス」の地に沼地があった(佐藤宥紹著『街角の百年』)。
太平洋岸に面する「トンケシ 頓化」とJR線との間には「砂丘」が発達していた。
顧みるに、釧路駅西の沼地。
その水脈が西にのびて、太平洋にそそぐ流れにみられる<みおうすじ 水脈>を見せた時代があった、ものか。
「トンケシ to-um-kesi 沼・尻・の末」&「トンケシ to-hon-kesi 沼・の腹・の末」。記憶にとどめておきたい。
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