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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

「化学肥料と加里はダメ」 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001

2022年10月03日 09時36分28秒 | 催事
「化学肥料と加里はダメ」 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001

 今や「縄文食 しょうもんしょく」の王様に位置する、ギョウジャニンニクの自家栽培。「化学肥料と加里はダメ」の本旨は。
そこを「人為は間に合わぬ、天然更新と申すか<落葉―植物遺骸―分解―腐植土―有機肥料>の自然循環が一番」と受け止めるびきや。

 そのとき想起したこと二点。
 その一は、埼玉県の甘藷栽培、つまりサツマイモ栽培農家の「歴代にわたる土つくり」。
 「所有地の半分は森のままで、残りの面積をサツマイモ栽培にあてる」。「森から産出される落葉、草叢=くさむら を有機肥料に変えて<土つくり>にあてる」。

 想起したこと、その二はTVH番組で紹介された弟子屈町の酪農体験農家の談話。
 「牧草畑に放牧していた牛が逃げ出し、側溝の斜面に生える野草を食っていた」。
 「野草を千切って切り口をなめたら、甘いことが判明し『ウシのヤツ、野草がウマイこと知ってた」。
 「(訪問者の女性に牧草の切り口をなめさせ)まだなー、化学肥料分が抜けていないからマズイ」。

 最近、化学肥料や農薬は「なぜ、ウマミを奪うか」を知った。
 化学肥料の使用で土壌中のバクテリアが死に、分解や発酵の停止が影響、と。
「<ギョウジャニンニク栽培に>学肥料と加里はダメ」の背景に、「自然界の微妙なバランスの破綻>が内在」。そういうことなのかも。
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「化学肥料と加里はダメ」 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001

2022年10月02日 09時46分57秒 | 催事
 「化学肥料と加里はダメ」 <ギョウジャニンニク 行者大蒜>の土つくり2121001

  続けて「森の腐葉土など、天然が一番です」と、そこは淀みなく言い続けられた。
 「くしろエコ・フェア2022 ~SDGsの視点から~(北海道釧路市)」の、催事場。「SDGs~環境パネル展~」の一隅でお尋ねした。

 ギョウジャニンニク 行者大蒜 Allium victorialis L. subsp. platyphyllum Hulten. の学術調査が深化している。
 5年ほど前に短期高等教育機関での講座で紹介していただいたが、その内容は当該機関の雑誌に掲載してもらった報文。
 この5月17日にはオンラインながら、その後に蓄積された継続研究で、聴かせていただくことがあった。

 「先生、ずいぶん栽培という観点が広がっています、『土つくり』はどうされていますかー」。
 まことに愚問といえば、愚問。そこへの丁重なご返事であった。 ここで思いついたことは二点。

 しかし、そこはさておいて。「ギョウジャニンニクとは」。

 https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/rinsanbutsu/pdf/02gyouja.pdf
 「ギョウジャニンニク 別名=アイヌネギ キトビロ ヒトビロ」。
 「ギョウジャニンニクと間違いやすい有毒植物 コルチカム(別名 イヌサフラン)
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手薄な地域の生活写真  漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域の一面220911

2022年10月01日 09時41分45秒 | 記録
手薄な地域の生活写真  漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域の一面220911

このほど鳥取士族移住の105戸が移住して開村した地域。
 そこに長くお住いの方から、ご一家が学んだ昭和初期~1955年前後までの実物資料と写真4点を見せていただいた。
 昭和27年から32年。個人でカメラを持てるようになった時期かと思いめぐらすと、そこで撮影されている画像は実に、暮らしの<ぬくもり>があるのです。

 現在では大型小売店舗が進出して、賑わいを増す地の自然景観。
 新釧路川の川べり、現鳥取橋ふもとで躍動する少女たち。
 おそらく小学校の大運動会。父母や家族たちの笑顔がみちあふれる。

 写真といえば婚姻や葬儀で一族が集まったときの集合写真。
 威容を誇る工場や社屋、またその内部の操業風景。そうした産業・企業の広報写真に慣らされてきた者にとっては、真に<新鮮>ともいえる四葉の写真でした、ですよ。
 そのこと。つまり「このマチには、女性・子の生活写真が少ない」。それに気が付いたのは、平成の元号が始まった時期であった。

 小樽・函館の写真集には「女性・子どもの生活写真が豊富」。各市発行の写真集を読み比べながら実感した、のだ。
 2003年3月。『釧路炭田、その軌跡』を世に問うとき、「女性・子どもの生活写真」に思い入れてみた。
 今回はうち二葉を掲載してみることに。

 急逝された写真家・片村一氏が生前、撮影された写真群の存在をしっていた。幸子夫人のご理解もいただいて収録を試みた。
 漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域。資源を外部投資で採取し、搬出することで大きくなったマチ。
 その釧路市で、市民が自身でカメラを手にしながら、家族の表情や姿態を画像にする機会。それは「一億総中流」の世を目前にする時まで、難しいことであったのかも。
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