聖書のマリアといえば普通にはキリストの母「聖母マリア」だが、ほかにも(たくさんの)マリアがおり、たとえば聖母の姉妹にもマリアがいたり、ベタニアのマリアとかエジプトのマリアとかが登場して門外漢の私には混乱してよくわからない。
その中で「マグダラのマリア」といわれる「もとは娼婦でキリストに罪をゆるされ、荒野で修業をして敬虔な使徒になった女性」のマリアが、ドラマチックな人間として絵画では多く扱われているのだが、実はこのマリアというのは、いろいろな福音書に登場する複数の女性が次第に一人の人格として総合化されてきたものらしい。
難しい話はさておき、絵としては、娼婦が悔い改める姿として「長い髪を垂らし、半裸」の姿であったり、「頭蓋骨(死の象徴)・十字架を傍らにして修業する」姿、キリストの足に塗ったという香油の壺を持つ美女などである。
Titian Carlo Crivelli El Greco
Carlo Dolci Roger Van Der Weyden Francesco Ubertini Bacchiacca
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その中で「マグダラのマリア」といわれる「もとは娼婦でキリストに罪をゆるされ、荒野で修業をして敬虔な使徒になった女性」のマリアが、ドラマチックな人間として絵画では多く扱われているのだが、実はこのマリアというのは、いろいろな福音書に登場する複数の女性が次第に一人の人格として総合化されてきたものらしい。
難しい話はさておき、絵としては、娼婦が悔い改める姿として「長い髪を垂らし、半裸」の姿であったり、「頭蓋骨(死の象徴)・十字架を傍らにして修業する」姿、キリストの足に塗ったという香油の壺を持つ美女などである。
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