下町のパンを食べてみませんか?

千住、緑町ゆうやけ通り下町のパン屋パレット

好きなこと

2007-01-19 22:57:14 | 夢見るお年頃

先輩の兄は団塊の世代で会社の定年は55歳だったそうです。
その先には二通りの選択があって
一つは退職金を受け取って新たな就職活動をする。
もう一方の選択は会社に残り働き続ける。
1年契約で60歳まで働けるそうです。
ただし給料はダウンし、退職金は年々減って60歳まで
契約を毎年更新して働き続けると最終的にはゼロ!
つまり退職金は無くなるそうです!!
それでも先輩の兄は会社に残る道を選択したそうです。

退職すると最初の数ヶ月はやりたくてもできなかった
好きなことをするそうです。
でも数ヶ月すると退屈も始ると聞きました。

自営業には定年が無いからいいね・・・
なんて一昔前には言われましたが、最近は大型店舗が
集結したショッピング・モールや駅ビル内の店舗が
コミュニティ・バスの発着所まで隣接させて地引網よろしく
数キロ離れたお客さんまで大量に集客して一人勝ち状態です。
だから僕は自営業にも定年を自分勝手に設けても
いいのかな~なんて時々考えます。
早期退職したり業種を変えて50歳過ぎてから
パンを作ってみたいとパン屋さんになる方も少なくありませんが、
パン屋を退職したら何になるんだろうか?

思いつきませんが、最初の数ヶ月にすることは
すぐに思いつきます。
友人の中には中学、高校の時に自転車で大阪往復や日本一周、
大学時代にはオーストラリアや南米なんかに行った経験者も
いますし、バイクのタンデムで九州までテントを積んで旅に
出た話も聞きました。若く体力もあって腕にも自信があり
パッセンジャーに信頼されればそれも可能でしょうが、
数年前信号で発進時にちょっとだけ頑張ったら後ろから
「殺す気かぁ!!!」と声が聞こえてきました。
振り落としたら僕の責任ですから以後タンデム走行の経験はなく、
バイクでは常に一人旅です。高速もその頃は二人乗り禁止でした。
エンジンをかけクラッチを握りギアをローに入れ
ゆっくり走り出す時に聞こえる曲はアメリカンバイクだったら
迷わずこの一曲ですね。

http://www.youtube.com/watch?v=8eVLVrNVXfA

Born to be wild

なぁ~んちゃってね。


アメリカインディアンの教え・その2

2007-01-18 23:03:47 | 夢見るお年頃

それでは今日は後半を載せます。

励まされて育った子は、
    自信を持つようになります。

寛大な家庭で育った子は、
    我慢することを学びます。

ほめられて育った子は、
     感謝することを学びます。

心から受け入れられて育った子は、
      愛することを学びます。

認められて育った子は、
      自分が好きになります。

子供のなしとげたことを認めてあげれば、
   目的を持つことの
素晴らしさを学びます。
分かち合う家庭で育った子は、
        思いやりを学びます。

正直な家庭で育った子は、
   誠実であることの大切さを学びます。
公明正大な家庭で育った子は、
         正義を学びます。
やさしさと、思いやりのある家庭で育った子は、
        他人を尊敬することを学びます。
安心できる家庭で育った子は、自らを信じ、
       人をも信じられるようになります。
和気あいあいとした家庭で育った子は、
この世の中はいいところだと思えるようになります。


子育ては親になった自分達の学びなんだと思います。
「教え」は子供に対する心がまえとは
限らないと思います。友人、知人をはじめ
自分の接する人たち皆に適用できるのだと思います。
時には自分で自分を認めたり、励ましたりも
できますよね。
子育ての方法は幾通りもあるのだと思いますが、
子供達は親の何を見て、どう感じ、
何が心に残るのでしょう?
子育てや仕事以外にもしなければならない事が
沢山あると思いますから、全て理想通りに行動できる
訳じゃありませんが、どんな背中を見せるかが
重要なのかもしれませんね。
家族や子供達に心配されたり手助けしてもらったりの
親もいると思いますが、
恥じることなんてありません!?
自分が情けない存在じゃなく、そうしてくれる
家族や子供に育てたと考えれば結果オーライ??
もっとも親はなくとも子は育つ
とも言われてますけどね!
 


アメリカインディアンの教え・その1

2007-01-17 19:36:43 | パンのパレット

冷たい雨の夜、今夜もこれから会合です。
昨日のキング牧師の話に続き、今日はアメリカインディアンの
教えについて「その1」です。
マイノリティー・グループの方々が望み求め伝え護ろうとするモノは・・・
それでは教えていただいた教えの前半を載せます。

Children Learn What They Live)
子どもたちは、こうして生き方を学びます。

批判ばかり受けて育った子は、
       人をけなすようになります。
いがみあう家庭で育った子は、
        人と争うようになります。
恐れのある家庭で育った子は、
        びくびくするようになります。
かわいそうだと哀れんで育てられた子は、
   自分が哀れな人間だと
思うようになります。
ひやかしを受けて育った子は、
        はにかみ屋になります。
親が他人に対して嫉妬ばかりしていると、
     子どもも人を羨むようになります。
侮辱したりけなしたりされて育った子は、
      自分に自信を持てなくなります。

今日はネガティブな感じの言葉ですが
 それではドウしたら良いのかは
  また明日の書き込みに続きます。

人は30歳過ぎたら自分の顔ですし、
自己責任ですから
たとえ思い当たるフシがあったとしても
親の教育の責任になんてしないでくださいね。
今更読んでも手遅れなんて思わずに次の世代に
生かせれば時々でよいから
参考になさってみてはいかがでしょうか?


会議にて

2007-01-16 23:19:22 | 千住の紹介

会議は僕が参加者の最年少者よりも一歳年上の構成でした。
一歳年下の彼の親しい先輩が偶然にも僕の友人(マブダチとでも言うのでしょうか)だったので話は議題の20年以上100年以内の
町の構想に関係無く弾み別れの時にはお兄さん風吹かして 
僕はある会の元会長を「K」ちゃんなんて呼ぶ始末。

話題を変えて1月15日は
マーチン・ルーサー・キング牧師の誕生日に因んで
(Martin Luther King,Jr,Day)でした。(一月の第三月曜日)
我家のある壁面にアメリカインディアンの教えと共に
貼ってある氏の言葉を載せて今日の書き込みとします。

私には夢がある。いつの日にか、
ジョージアの赤土の丘の上で、かつて奴隷であった者たちの子孫と、かつて奴隷主であった者たちの子孫が、兄弟として同じテーブルに向かい腰掛けるときがくるという夢を。
私には夢がある。いつの日にか、私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく、人となりそのものによって評価される国に住むときが来るという夢を。私の父が死んだ土地で、メイフラワーの清教徒達が誇りとした土地で、すべての山やまから自由の鐘を鳴らそうではないか。もしアメリカが偉大な国であるのなら、これは実現されなければならない。」

I HAVE A DREAM .


世田谷ボロ市

2007-01-15 23:40:26 | 夢見るお年頃

1月の15、16日は世田谷のボロ市ですね。
自転車屋さんなんかの出店もありました。
自転車雑誌を購読していた時はどんな掘り出し物が
出るのか楽しみにしていました。

よく父親は娘に甘過ぎると言われます。
母親が息子に甘い以上かもしれません。
でも、それでいいのだと思っています。
娘の為なら何でもできる父親は沢山いると思います。

 5年に一度の千住神社大祭本社神輿。

明日から理事会、役員会の連続です。
病み上がりにはキツイ日々となりそうです。


まどろみから覚めて

2007-01-15 04:18:53 | 千住の紹介

ソファでのまどろみから覚めてPCの前に座りました。
腰痛のリハビリを兼ねて徒歩で友人の町まで歩いてみました。
半世紀も千住に住んでいるのに徒歩はバイクや車、
自転車とも違ってルートは無限大にあるように思えます。
生まれて初めての道も歩いてみましました。(道との遭遇です)
でも考えてみれば歩く目的が切迫した状況ではないということですね。
20分以上歩いて友人の町で風に揺れるシーサー達を見ました。

 何となく圧巻。
昭和を色濃く残すと言われる柳原にシーサーが沢山いました。

帰路、長年にわたって足立区の商店連合会で要職を務められていた
駅周辺の商店街元会長のなさっている茶房に寄ってみると
口の悪い友人が言っていた最近の状態と違う元会長にも
お会いすることができました。
友人が言っていた状態は僕が思うには通常の状態なんです。
どこかショック吸収材のようなキャラは天然で人をホッとさせるか
呆れさせるかなんです。受け取り手の問題であって元会長に
責任は無いのだと思います。(僕の方が友人よりも酷評か?)
とにかくお会計の時には奥から息子さんの嫁さん?が飛んできて
元会長に説明しながらレジを打ってしまいました。
会でも家でも茶房でも、貴方は座っていればよいのです。
コマゴマした実務なんて貴方には似合いません。
貴方の存在自体が他の誰にも真似のできない証しなのです。
「いや~会長懐かしいですね。緑町から来ました。」
少しの間お話をしましたが、この茶房には商連で戦後
長年顔を売ったので区内の方々から商連の戦友達が
訪れるらしいのです。店には先ほどまで名前は存じませんが
商連の会議でお見かけした顔もおりました。
僕が元会長と話している間もお嫁さんが傍に立って
嬉しそうにニコニコしていたのが印象的でした。
福助や招き猫など足元にも及ばない吸人力を拝見したような
気がして僕は嬉しくなりました。
「また来ます」と言って外に出ましたが、今度は口の悪い
僕の友人と行くつもりです。
僕の事はうる覚えでも友人の事はハッキリと覚えているはずです。
会長の下で散々手足となって友人は働きましたからね。
彼が嫌がらなければの話ですが・・・
人間年をとっても何もしないなんてイケマセン。
何もしない楽隠居なんてボケへの近道、地獄の世界だと
僕は思っているんです。
茶房の中を歩き回りながら知った顔と会話をし、実務は
息子や嫁さんに任せるなんて最高の役割です。
きっと前世で沢山の徳を積んだのでしょうね。見直しました。


千住大橋周辺再開発

2007-01-14 01:21:01 | 千住の紹介

ニッピ敷地内開発案に関わる
第1期「地中基礎撤去および土壌浄化対策工事」説明会が

平成19年1月29日(月)
午後7:00~8:30
会場は千住大橋下車上野方向線路南側徒歩1分の
(株)ニッピ内集会場(駐車場内守衛室にて)行われる案内が
近隣の住人家庭に配布されてきました。

ロッカクロムの浄化方などの説明かと思われます。
巷の噂では商業スペースの5階建てビルには
現在買い手のついたと噂されているイトーヨーカ堂発祥の
北千住店が千住大橋駅直近のこのスペースに移転してくるのでは
ないかとも言われています。
北千住再開発で出店希望したイトーヨーカ堂系のロビンソンは
マルイに敗れましたから、その代わり?に千住大橋に
出店するのだとマコトシヤカに噂されています。
北千住店の買い手や経緯までも僕なんかの耳にまで
入ってきます。僕が出席した昨年の会議の段階では
まだ未定、白紙とのことでしたがはたしてイカニ!?
地域周辺には公園や運動施設、学校などが在りますから
面積に比べて半径2キロ以内の人口密集度は低いと
思われます。1700~1800世帯規模のマンションが
建設されるのですから経営者は心配無用というかもしれませんが、
問題はマンションが完成して人々が入居し始める3年前に
商業スペースに出店するスーパーがオープンしてしまうことなんです。
人口増加の前に3年間も小さなパイを奪い合うのです。
体力勝負になるのでしょうか?
スーパー銭湯も計画されているようですが、周辺住民の利便性と
商業者との共栄を目指すむねのお話も伺いましたが
硫黄島の教訓からも商業者として共生するよりも
単なる住民として利便性を堪能するのも悪くないかもしれません。
それでも白紙の状態だそうですから
今すぐに決めることもありませんがね・・・
僕なら白紙の状態で矢継ぎ早に行政まで巻き込んで
テキパキとなんて到底行動できません。
何をどうして誰を押えるかが解っている人って
いるのかもしれませんね。


なんだろう?

2007-01-13 22:15:41 | パンのパレット

夕方600の友人が友達を連れて来店しました。
彼の友人曰く猛烈な加速で走られると右側の助手席に座っている
者としては反対車線の車が近くて恐いとボヤイテました。
そりゃあそうでしょう!
助手席の人はニトロ携帯の持病があるんですから!
僕もちょうどコナの療養食を取りに出かけるとこだったので、
駐車場から一緒に出るとヤッテくれました。
ある場所で左に曲がると右車線に出て右に上りながら
猛烈な加速を僕の前で見せてくれました。
車とガードレールの間は狭く感じましたがみどりチャンは
小柄なのでこちらも付いて行けましたが助手席から悲鳴が
聞こえてきそうな勢いでした。

帰路、数店の同業他店を見学しながら幾つかの商品を購入して
みました。東京近郊の繁盛店では三種の神器といえば、
ログハウス風店舗、石窯、天然酵母です。
都内では駅周辺をはじめ先ず立地、名店も駅傍やデパチカに
多数入店してますね。次は味と言いたいところですが、
区内では味の前に値段かな?それと宣伝ですね。
有名店でも店内で焼いている店はチーフによって味が微妙に
違いますし、数十年店の方針で配合やタイミングを変えない
処もありますから、アソコのパンが好きと言っても店名以外に
支店名を聞かないと何が好きなのか正確には判りません。
リニューアルした店でも以前の方が美味しかったりするのは
新たに導入した量産の為の機材が原因かもしれません。
以前のパンはしっとりが今はパサパサに変化してたり、
全体にレベルダウンして感じることがあります。
繁盛して新人が増えて技術レベルが下がったか、
腕の良い職人が独立していなくなったのか?
勿論売れてりゃいいだろうと言われりゃそれまでですが、
住民が多くても店舗の少ない地域で大型店の出店が
難しい場所なんて個人店には最高の環境だと思います。
早朝から棚いっぱいに低価格のパンを並べ、宣伝すれば
お店は売れるようになるのだろうか?
熟成よりも短時間に量産か?
でもそれをしてたらイツか消えるような気がします。
しなくても同じかもしれないけれど、同じならしないでおこう。
それに何よりお客様が同じと思えませんからね。
勉強、試作、努力はどんな職業でも同じですね。


2007-01-11 20:20:12 | 夢見るお年頃

ツイに針を打ってもらいに日暮里の先生を訪ねました。
診療時間を過ぎていたので患者は僕一人でしたが、
先生は部屋を暖めておいたから入りなさいと
親切に対応してくれ、居残ってくれていた看護士さんに
診察券を渡すのも早々に処置室に入りました。
「今日は他の患者さんもいないからゆっくりしてあげるからね!」
正直、先生の親切な言葉に僕は感謝よりも恐怖の気持の方が
大きくなりました。
僕の悲鳴は割愛しますが、
「う~ん痛いね~」「冷や汗出るかい?」
「緊張すると筋肉が硬直するからね」
「筋肉がまとわり付いてるからね~」
・・・・・・・・・・・
「痛過ぎて気絶するといけないからコノヘンで終わろうか?」
僕は何度か自分でも信じられないような悲鳴をあげて
治療を終えました。体はホカホカというよりも熱くなっていました。
おかげで痛みは消え、とても楽になりました。

痛みで患部が熱を持っていたら冷やし、寒さで筋肉の
硬直 が原因の時は温めるそうですが、今回の僕の場合は
温シップです。防寒対策にどうせ分厚いタイツを穿くなら
ドラエモン柄なんかが僕の理想なんです。
自分の会社の新人担当者が社内で全国でも上位の成績を
記録した時に先輩達が「マグレで調子に乗るな・・・」と
言ったそうですが、顧客である社長は新人担当者が
好成績を上げたと聞くやいなや奥さんに「お~ぃ、ちょっと行って
買ってこ~い」と近所でうな重を買ってこさせたそうです。
昼食時とズレていた時間だったそうですが社長は「食べてよ食べて
遠慮なんてしなくていいから」と嬉しそうな顔で勧めてくれたそうです。
自社の担当者が手柄?をたてて社長は喜んで祝ってくれたそうです。
忠臣蔵の義士達が吉良邸から泉岳寺に向かう途中に出会った
江戸の町人のような心意気を感じてしまいました。
その社長は車がとても好きな方だそうです。ところが片足を
切断するほどの事故に遭ってしまい一時は大そうなショックだった
そうで、自分の義足を見た社長は更に深い衝撃を受けたとも
聞きました。社長の小さな子供達が父親の義足を見て
どう思うか考えたそうです。
気味悪がったり恐がるだろうか・・・そこで社長は悩んでも悲しんでも
どんなに後悔しても義足とは一生付き合わなければならないし、
小さな子供達とも一緒に風呂にも入りたいから
恐がったりせずに、いっそのこと笑ってもらいたいと考えて
自分の義足にドラエモンのシールをベタベタと貼ったそうです。
隠すどころか見せてとせがむ子供達に社長は嬉々として
ドラエモンを見せたそうです。
子供達も今は成人して社会人になっていますが、
社長の義足には今でも新しいドラエモンが描かれているそうです。
近頃社長は小さなミニ・クーパーに乗っているそうですが、
子供達が幼かった頃は大きなアメ車のワンボックスカーで
家族と方々に出かけたそうです。
勿論、社長自慢のドラエモンを着けてね。


メロンクリーム

2007-01-10 22:18:55 | パンのパレット

今日は駅伝ならブレーキという状態でした。
盛り沢山のパンを作ろうとした為に頭の中のタイム・テーブルに
作業と体がついていきませんでした。

 柔かいトリフのようなメロンクリームを
ドーナツ生地にしぼってみました。先日ガナッシュを作った時から
試そうと思っていた生クリームを使ったメロン・クリームです。
予想以上に軽くソフトな味でした。

中学受験も時間的に一か月を切りましたが、
昔僕が麻布のお店で働いていた時に「麻布中学」の願書を
もらってくるよう頼まれたことがあります。
依頼者は息子さんに「麻布」「灘」「ラサール」を受験させると
言ってました。学生時代に毎年関西に旅行していた僕も
一度父の友人であるその方Uさんの家に泊めていただいたことが
ありました。思い出すのはお坊ちゃんとの食後の将棋。
僕には甘過ぎる「すき焼き」や砂糖たっぷりの「うどんすき」を
食べた時に「息子は将棋が強いんだよ」とUさんが切り出して
坊ちゃんとの一局が始りました。
手加減したつもりだったのですが、迂闊にも勝ってしまって
坊ちゃんは泣くし、父親は大学生が本気出すなんて!・・・と
満身不機嫌で怒り出すしでサンザンな思い出の一夜でした。
神に誓って本気じゃなかったんですけどね・・・
以来僕は一度も将棋はしていません。(俗に言う心的外傷ですね)
でもでも、僕のおかげで「お前は強い」と父親に言われてた
坊ちゃんはプロ棋士の道を諦めて勉強したのかもしれませんね。
その後、坊ちゃんの父が東大よりも好きだと言っていた「京大」に
坊ちゃんが現役合格した知らせが僕の父に届きました。
僕の父が亡くなってから父の友人であるUさんから
息子が司法試験に合格したお知らせのはがきが届きました。
Uさんのご子息はUさんの想い描いた通りの人生を
歩まれたようですが、大学より、高校より難しいと言われている
中学受験も直前ですね。
小学校受験に願い叶わなかった友人のお子さんは
現役で赤門に入りましたから学力のピークをイツと
考えるかで人生は変るとも思いますし、学力以外に
豊かな人間性や生きていくチカラ(人間力?)の分野も
ありますから、その子供にとって何がベターな選択なのか
人生の先輩である親は幼い子供以上に悩むかもしれませんね。