伏見を過ぎて次に訪れたのが、ここです↓
なんとなく時代劇ドラマでみたことなどないでしょうか?(実際によく使われているようです)
いまになってみれば、もっと近くで一枚撮っておけばよかったと思いましたが、そのときは戻っていく元気なかったので…
この「ながればし」には、京都ピースの方の配慮で本来のコースからそれて寄ったものです。
行くことができて本当によかった!
一見普通の木の橋(わたしの家の前にも昔こんな橋がありました)。
ですが、「ながればし」という名前の通り、川水が増水すると橋が流れるようになっているんです。
最初、橋が流れると聞いて、またかけやすいように簡素な感じで作ってあるんだ。。。なんて単純に思っていたんですが、考えてみれば材料のことや、そのつどの人件費のことなど考えてみれば、膨大な経費になってしまうんですねぇ。
それに、実際に見るまではもっと短い橋だと思っていたのですが、これが結構長くて…カタカタ音を立てながら橋を渡って行きました。(この橋、当然のことながら車は通れません)
話が戻りますが、この「ながればし」は、川水が増水すると橋板にワイヤがついていて流れるようになっているんです。だから、たぶん橋桁の基礎だけになるんでしょうね(水の抵抗が少なくなる?)。っで、川水がひくと、ワイヤをひっぱって橋板をもとに戻す。。。ということみたいです。昔のひとは、本当に知恵があったと感心してしまいます
ここでしばらく休憩をしているときに、サイクリストが何人か入れ替わり立ち替わりわたしたちと同じように休憩をしていたのですが、そのなかでひとりの初老のサイクリストに方に出会い話を伺いました。
この「ながればし」がかかっている川ですが、河川工事を行ったことで水の道が変わり、写真を見てもらうとわかるように、砂地になってしまっています。写真に写っていない草むらをはさんで“向こう側”は、川の水が流れ、風情を残しています。この初老の男性は、風情を壊してしまう無駄な河川工事であることや、京都の水道料金の高さ、そして徴収されたお金が別の公共事業に使われていることに穏やかな口調ながらも怒りを感じる話し振りでした。
豊田市はどうなんでしょうか?実は豊田市は、使用量1m3当り1円を上流の森林保全のために積み立てています。意外にも市民は知らないのではないでしょうか。わたしも実は数年前までそうだったとは知りませんでした。水は生命の源でもあるので、大切にしなければなりませんね。
ピースサイクルの旅の途中で、水の権利をめぐっての争いがある(すでに世界各国では争いが起こっているところもある)という話もでてきました。単純にわたしはシェアすればいいと思ってしまいがちですが、そうもいかないようです