母の喪も明けて、晴れて令和2年の元日は大手を振って レッツゴー神社じんじゃぁ~ ← お調子乗り過ぎ
昨年は大晦日の晩に出向いて、そこで年越しをしましたが、今年は疲れて寝てしまいまして朝ご飯の後に詣でました。
長沢6丁目におわしまします天照大御神さまは、山の上に鎮座されています。
ふだんは人っ子一人いない境内にむかって、ほんっとうに大勢の方々が階段を登って( あえてこの字を使う137段あるらしい石段 )いくのを見ると、まったく驚きです。やっぱり地元住民のみなさんは、ちゃんと氏神様を意識して生活なさっているんだなぁ!と感慨深く思いました。
下から一の鳥居まで上がって振り向きます
そこの脇におわします「馬頭観音」様にお詣りを欠かさないお良し
一の鳥居の隙間から、はるかに南房総と 輝く海が見えました。
よく思い起こしてみると、三浦半島南東部にある神社は みんな海のある東の方向を向いて建っていますねー。
( お良しの本拠地 下浦地区では、白髭神社・天照大神神社・熊野神社・浅間神社・諏訪神社・白山神社 )
元気出して行くぞー
休憩して振り向く
山の中はこんな様子
帰りに通っていこうとしている下の道が 見え隠れ
神様に、無事頂上に迎え入れられました~
たくさんの参拝者でごったがえしています!
みなさんお詣りを終えて、お神酒・甘酒・美味しい手作り豚汁を そこここで召し上がっていらっしゃいます。
お良しも作法にのっとって手と口を清め、一年の無事と、地域の平和・安全を祈願しました。
そして毎年お決まりのコースへ(*^。^*)
裏へ回って・・・
この戸板の所へ一礼です(*^▽^*) あっはっはー
ここには何の意味があるかといますと、、、、なんにもアリマセン(@_@)
中学生の時、地域の祭囃子の囃子方( こどものみ )で肝試しをしましてね、6人ぐらいずつ二つのグループに分かれて、それぞれ隠れておどかす役・2人ずつで頂上のこの社まで上がってきてロウソクの火を消して戻って来る役 というのをやったのです。2年か3年ぐらい続けましたよ。
で、私はあの戸板の所にかくれて、来た子どもをおどろかしました(・・・って、自分もまだまだ子ども )。
もちろん真っ暗闇です! 拝殿のお賽銭箱の下、木の階段のところにロウソクを1本灯してあるだけのあかりです。
小学生の智くんが来て → 「あ、ここに誰かいる・・・。え? ヨッチャン? よく怖くないねぇ・・・」
わたし → 「なぁんだ、バレちゃったか。怖いけど みんなもいるから大丈夫だよ~、ひぃ~ひっひひぃ!」と脅かして追っ払うお良し!
あ、間違えました。暗闇に潜んだ戸板は、手前のでなく 奥にチラッと見えている裏の神殿?っていうのかな?あっちの戸板です! ひゃぁ~(^_^;) 今見ると我ながら恐れ知らずの中学生であったなーf(^_^)
写真がありました、あそこです
その頃は「YRP 横須賀リサーチパーク」がない頃なので、裏山はポンポコダヌキが出る未知の藪です
都会の町中の神社ならともかく、こんな山城みたいな所の闇夜に あんなところに座って待ち構えてたなんて 反対に魑魅魍魎に喰われなくてヨカッタなー
やれやれ・・・、そんな個人的な思い出はともかく、初詣の神社では私の子供の頃を知っている、お世話になった方々が世話人として参拝客を接待してくださっていました。
その皆さんに対しても、神様同様うやうやしく新年のご挨拶をしたお良し。
引いたおみくじは
お!やったぁ 大吉 花丸💮
( 昨年は 中吉 でした )
味がしみしみの 手作り豚汁も美味しいし、やっぱり今年も幸先いいよいいよ~
しかししかし、こういうとき母がよく私にポロッと言ったことが思い浮かびます。
「調子に乗るな、欲かいちゃダメだ」
はーい(。・_・。)ノ わかりました。
天国からブレーキがかかったわい
お良し、ここからの三浦富士がいちばん好き! というポイントからの眺めです。
手前の小山の上に天照大神神社はあります。
奥にそびえる三浦富士183mの頂上には、浅間神社の奥宮がありまして、本家の富士山の方向を向いて 祠が建っています。
お良しのバカチョンデジカメで 天照大神神社へ ズーーーーム・イン!
お正月の天照大神神社へ続く道では、サザンカが可愛らしく咲き誇って 私達を迎えてくれています。
豚汁をごちそうになった後、下山途中に見えた ガードレールがあるあそこの道を歩きました。
奥に見えている斜面を登っていく道もありまして、そこを行きます。
すると ↓
あと1か月もすると、一面 風に揺れる黄色い花が咲く菜の花畑。
また来ましょう。
おーっ!あいかわらず すごいです。
いつからここに立っているのか? いつも大きな元気をもらえるヤシの木
花か実か・・・?
( この写真は、1月5日に撮ったものです )
よく日が当たって暖かい畑の中の道を、ゆるゆると上っていきました。
15・19号台風の名残りが今も電線に・・・。
てっぺんまで上りきると、三浦富士・天照大神神社とは反対方向が見えます。
三角形の山は、1月2日に詣でた 野比の「白髭神社」の裏山です。奥の霞んだ陸地は房総半島、見にくいですが手前に東京湾の海があります。元日のこの日は、この写真を撮った時、晴れているけれど空気が冷たかったです~
さっきまで歩いていた畑道は南側斜面でしたから、北風がさえぎられて ぽかぽかしていましたが!
その南側を振り向くと、冬枯れの三浦富士183mが間近にドーンと見えて、上空をトンビが旋回していました。
良く晴れているので、トンビは上昇気流をうまくつかまえて、ぐるぐる ぐるぐると円を描いて、はるか空高くあがっていってしまいました~~~~~・・・
お良し → 大口を開けたまんま「ふぁぁー・・・」
すごいなぁ、いいなぁ空を飛べて~!
こういうものを見ると、やっぱり気分が晴れやかになりますわ
・・・・・・・・・・
そのあと、いったん家に帰ってお昼ごはんを食べて休憩し、午後から 私の中では「長沢3丁目の神様」と呼んでいる 分かれ道の所にいらっしゃる路傍の石碑にお詣りしました
バラの花が咲いています、すてきです。
お正月のお花を持ってくればよかったなぁ・・っと後悔。また出直してお花をお供えしようと思います
亡き母が言っていたのは、この神様のおかげで この分かれ道では事故が無いんだよ ということです。
母は60代に入ったころから20年間ぐらい、このあたりの道の掃除を朝の日課にしていました。ですから、きっとこの近所の地元の人から耳にしたことだと思います。
人も車も、お祭り行列のお神輿・山車だって出入りする分かれ道なのです!神様、いつもありがとうございます
蛇足の話をしますと、いつものようにここの反対側の歩道を掃いていた母は、ある朝 軽い脳梗塞を起こして倒れてしまいました。すると、幸運なことに この神様の近くにたまたま座っている男性がいまして、駆け寄って介抱してくれたのです。分かれ道から出てきた車の方も止まってくれて、救急車で搬送され 事なきを得ました。
お二人とも知っている人でしたので 神様ご本人ではなかったですが(笑)アハハ、神様が遣わされた方々だったのでしょうか それからも母は、不自由なく十数年生きました、感謝感謝です
この時 午後3時過ぎですね。日の入り時刻まで あと1時間20分ほどありますが、横須賀市長沢の陸地側は 先の183mある三浦富士山塊が南西側に控えているので 日が陰るのが早いのです。
カメラを構えるお良しの影も長く伸びます。
真横から照りつける冬の西日を惜しみながら、93歳の父が待つ家に帰りました・・・ってったってー、父はなぁんにも知らずにコタツに首まで入ってグゥグゥ寝てますわ
昭和から平成にかけて、父と母と私は、毎年かかさず元日には 家から歩いて「武山・砲台山・三浦富士」の3つの山を初詣縦走していました( 天候によっては日をずらしたが、必ずお正月に行った )。3人とも脚が鍛えられました~
代わりにせっせとお詣りしてるんだよ~、お駄賃ちょうだいな!!! (笑)
おわり・・・(* ´ ▽ ` *)ノ