ふむ道,小道,数多く

趣味いろいろ。2014/9に別ブログを合体したので、渾然一体となってしまいました(笑)

メリーとピピンの衣装

2005-02-13 19:35:09 | Tolkien・映画
TORNのちょっと昔の写真(こちら)を見つけました。これはいろいろな人の衣装の写真なのですが,普通の人なら他に取り上げるべきキャラクタがたくさんいるのに,何故かメリー,ピピン,ファラミア,果ては死者の王様(実はかなり豪華な衣装をお召しだったんですね!)などに注目しているのが気に入りました。しかも私がひそかに「ゴム長」と呼んでいた,ファラミアの黒いブーツのアップまであるし。。

ここで突然,ROTKの映画の中でのメリーとピピンのその衣装の事が急に気になり始めました。

メリーが着ているのは,映画では全く説明はありませんでしたが,マントまで揃えると,金糸で刺繍が施してあり,明らかにローハン王家の物とわかります。映画設定では,メリーはセオデンが子供の時の服をもらったという事になっていたらしいのですが,ROTKのあの話の運び方では,王様から衣服をもらうほどの仲には見えません。だから紹介しなかったのでしょうかね? 衣装さんは,きっと2人が原作のような仲になるだろうと想定してその衣装を作ったと思うのですが,もったいないですね。

ピピンの服もマントをつけると,エライ豪華なんですね。‥ただ,何故デネソール侯が自分のでも,ピピンが直接「世話」になったボロミアのでもなく,ファラミアの服を与えたかって,よく考えると不思議です。しかもピピンが服を受け取った時は,ガンダルフと一緒にバルコニーで会話をしていた時で,ファラミアはその時まだオスギリアスにいたはず。て事は,元の持ち主の許可なく与えちゃったって事?

ROTK SEE監督さんコメンタリー

2005-02-12 02:23:57 | Tolkien・映画
***ROTK SEEネタバレです。***
昨日は,ROTK SEEの監督コメンタリーをちょっとだけ見たのですが‥‥,ちょっとだけにもかかわらず,結構原作ファンが目を剥きそうな話連発で‥(汗)。

今回,TTTほどは多くなかったのですが,やっぱり言い訳も結構ありましたね。「わかって欲しいのは‥」と画面に出てくる度に構えちゃいますよ。そんな言い訳している暇があったら,俳優やスタッフをもっと誉めるなり,面白い裏話をもっとするなり,して欲しかったです。

でもまあ,言い訳はいちいち覚えちゃいませんが,忘れられなかったのは,エピローグでのシーンのカットについて。ファラミアとエオウィン,レゴラスとギムリのシーンがそれぞれあったのだそうですが,PJはそれをSEEにも入れなかった理由として,「面白いと思わなかったから」。

「面白いと思わない」のは,自分達が面白く作れなかったからだろうって。カットされたファラミアとエオウィンのシーンって,どうせいろいろ噂されてきた結婚式の事でしょう。あの療病院の「48秒のロマンス」ではどうせあまり期待できそうにないかなあ‥。アレも困ったもんです。TTTでのアラゴルンとアルウェンの見てる方が恥ずかしくなるようなシーンを見てから心配していた事が,当たってしまいました。どーもPJチームはロマンスをやっちゃいけないのかも‥。

ところでレゴラスとギムリの,「つまらないから」カットされたシーンって一体何だったんでしょうね?


頭に来る事も多いですが,Into the Westの歌のバックには,早世した若者との触れ合いがあったとか,アラゴルンがペレンノールで最初に切り捨てるオークは実は彼の息子だとか(オスギリアスで,ゴスモグの隣で彼が人を殺すのを嬉しそうに見ていた子どもオークも彼でしょ,短い間に随分成長したんですねえ(笑)),‥やっぱ,そういう話をもっとたくさんして欲しいですね。

そー言えば,ファラミアがお馬さんに引かれてミナス・ティリスに帰ってくるシーン,アレ,ホントに本人が馬に引かれていたんですね。私はそんなヴィゴさん顔負けの事を大将がやるはずないと思って,CGだと思い込んでました。失礼しました。200ドルのお馬さん,やるじゃん。

SEEの俳優さんコメンタリー

2005-02-05 23:38:02 | Tolkien・映画
***ROTK SEEネタバレです。***
いよいよ我が家にもROTK SEE日本版が届いたので,さっそく,俳優さんコメンタリーからチェックしました。で,まだ半分位しか(字幕を(^^;))見てないのですが‥,先に,デヴィッド・ウェナムさんの発言がおかしい,と書きましたが,今回は,他にも笑える発言が多いようですね。

まず,昨日,ゴスモグのポイントが高いと書いたばかりですが,このゴスモグとナズグルの親分二役(へ~っ二役だったんですか)を演じるローレンス・マコーレさんのコメンタリが脳天気で,とても楽しかったです。
ワーグに乗って登場するシーンでは,「ワーグって何?って思ったよ」ナズグルの飛び交うシーンでは「ナズグルって何?って思ったよ」この無邪気さがたまりませんねえ。アングマールの魔王の最期のシーンでは,「彼が潰れたら観客は大喜びだ,ヒーローばっかりでなくて悪役も愛して欲しいな」と語ってましたが,私,アングマールの魔王はお気に入りですよ~。特に,その,クシャクシャクシャッとなってしまうシーン,好きですよ。(爆) ついでに,ゴスモグがエオウィンにとどめを刺そうと「うりゃ~~っ!」と声を上げながら迫って来る所は,これ皆に余計な追加シーンって言われているだろうなあと思いつつ,私は結構気に入ってます。

ミランダ・オットーさんは正直(笑)! エオメル以外は兜似合わないわよ。アラゴルンは汚い格好の方がいいわ。一般の人が思っている通りに言ってくれるんで,楽しいです。(彼女以外は兜似合ってたというドムの発言もなるほど~と思いましたが)

バーナード・ヒルさんは,TTTの時からずっと思っていたのですが,相変わらず,何気におかしな人ですね。特にエオウィンがセオデンをかばってナズグルと戦う辺り(つまり彼が死にそうな時)で,爆笑発言炸裂。最初の予定では,自分を潰している馬の上にさらにエオウィンを立たせると聞いて「余計な体重かけるな」は大笑いでした。で,"I am no man!"のシーンで,「エオウィンの兜」についてまとめる所も

皆が結構ウケを狙って,ユーモアたっぷりの発言をする中で,オーランド・ブルーム君の発言は,1人でやたらクールで,冷静に演技を分析しているものが多く,原作レゴラスそのもののようにマイペースなのがまた笑えました。

SEEで気に入ったのは‥

2005-02-05 00:33:21 | Tolkien・映画
***ROTK SEEネタバレです。***
ROTK SEEで追加されたシーンの中で,結局どれが気に入ったかと考えてみたら,
  • サルマン様の美声
  • オスギリアスでのファラミアが,なんかやたらカッコいいんですが。
  • ギムリとレゴラスのビール飲み比べをきょとんと見ているエオメル
  • ピピンを見送りながらアラゴルンに彼との思い出を語るメリー
  • 動かない馬を一生懸命蹴り蹴りしているメリー
  • パパに「Father?」と言うファラミア
  • ピピンとファラミアのお話(ファラミアのセリフの真意は気になるんだけど‥)
  • 死者の道でのレゴラスとギムリ
  • エオウィンとゴスモグの戦い
  • エオウィンに駆け寄るエオメル

意外にもポイントの高かったのが,ゴスモグです。実は,お目目ぱっちりモリアのオークや,鎖やブリキをおしゃれなアクセサリにしているアイゼンガルドのオーク達などは,元々結構好きだったのですが,彼は最初なかなか馴染めませんでしたね。劇場版で最初に観た頃は,よく「いや~ん何アレ?悪趣味!B級ホラー映画の出来損ない!」と言っていたものですが,よくよく見ると彼は悪人には不釣合いなつぶらな瞳をしています。SEEでの彼の追加シーンは楽しいのばっかりです。

悪役と言えば,悪役では1番のお気に入りのナズグルの親分さんなんですが,元々彼を気に入った理由は,原作でのミナス・ティリス大門前でのガンダルフとのやり取り。SEEにそれ「っぽい」のが追加されていましたが,‥やっぱし,原作の方がいい~。「鳥」じゃなくて馬に乗ってきて欲しかったです~。

え~それと「48秒のロマンス」が入ってないって。すいませんね。ホントにファラミアのファンなのかって,いや本当ですよ。これ以外のファラミアの追加シーンは全部お気に入りですよ。‥‥では何が気に入らないかって,。。。。

ROTKを観返していて,最近,結構大事な事に気がついたんですよ。映画エオウィンが,男性を見送り取り残される役割はイヤだって,何度も言ってくれたおかげで。実は彼女に惚れた男に課せられたのは,その彼女が最も嫌う仕事でした。彼はホントはアラゴルンについて黒門に行きたかった。でもたとえ元気だったとしても,行けなかったでしょう。しかもアラゴルンが無事帰ってくれば,彼はますますその役割から逃れられないわけです。しかし「兄貴とは違う種類の強さを持つ」彼は,自分の仕事がイヤだとかいうような素振りも全く見せず,淡々とこなしているんですね。エオウィンはそんな事にやがて気がついて‥‥

‥なんで映画ではそこを全然言ってくれないんだ?
という辺りが,このシーンを気に入らない理由の説明になりますかね?

ROTK SEE日本版に関する心配事

2005-02-03 23:08:42 | Tolkien・映画
今日はようやく普通の生活に戻って,HoMEを少し読めたのですが,章の名前を書くのを忘れた!(本は職場に置いてあります)というマヌケなドジをしてしまったので,‥いややっぱし,章の名前を忘れたら,ちょっとね~。(^^;),明日更新します。

という事で,今日は別の話題を。。。

***ROTK SEEネタバレです。***
いよいよROTK SEE日本版発売になりましたので,大っぴらにネタバレ語れますね。
巷では,昨日辺りから,届いた!というお知らせが聞こえているのですが,何故か,私の所には,先ほどやっと「ご注文の発送」メールが来ました。(汗)

日本版が出るという事で,実は気になる事が‥‥。
すみません,他の俳優さんの事はちょっとわからないのですが,今回,デヴィッド・ウェナム氏が楽しい(^^;)過激な暴言をめっちゃ吐いているんですよ。でも,それがどの位日本語の字幕に落ちるかって,かなり心配です。(汗;)

TTTの時,あの「なずぐ~~~る!!!」のシーンのちょうど裏で,「オスギリアスのセットは飛行場の近くにあって,実はあの時ちょうど飛行機が飛んできて,わわっ!(ホントに)なずぐ~~~る!‥だったんだよ。」って言っているのですが,字幕になってないんですよ。

でっ,今回は,例えば,特典ディスクでの「馬話」。実は馬乗りがニガテなデヴィッドさん,とあるシーンである事をするのですが,そ,それが‥‥‥(^^;) 彼はへーーーきな顔して(ここには書けない(‥;))過激な言葉使いまくり。(助監督さんがまた,ケリを入れたくなる位,オカシイ)
コメンタリーに関しては,ジョン・ノブル氏と一緒の時は,めちゃめちゃマジメなのですが,離れた途端,ファラミアが,パパの命令で馬に乗ってミナス・ティリスを出て行く時には「200ドルの1番安い馬!」発言,剣を振り上げ颯爽と走って行く大将は「俺じゃない」発言。(この一連の話のおかげで,私はこのシーンを見る度におかしくてニコニコするようになってしまいました(汗))
‥そして,療病院で目覚める美しいエオウィンを前にして,「以前彼女と風呂場で×××シーンをやった」 おいおいおい!

‥という事で,さて,どの位日本語になっているんでしょうね。。。

(2/4一部修正‥私の勘違いで‥

トリロジー連続上映イベント

2005-01-31 00:18:34 | Tolkien・映画
今週は,週末を全てLOTRづくしで過ごすという大変な贅沢をさせて頂きました。

1日目(1/29)
9時から12時までの間に座席指定券を受け取るという事になっていたのですが、私が到着したのは9時45分頃。予想してはいましたが、既に1番観やすい真ん中周辺の席は埋まっていました。でもまあどうにか,やや後ろの真ん中寄りの席は取れましたけどね。
私は、「(特に土曜は)全員来るはずはないだろう」と、完全にたかをくくっていましたが、350人ほど収容できる部屋の、空いている席は本当に50程しか見当たらず、当った人のほぼ全員が、それもちゃんと2人でやってきたようです。
映画が始まると、途端に水を打ったように静かになりました。実は映画以上にこれに感動したかも。途中おしゃべりはおろか笑い声もせず、まるで自宅で専用の大画面で観ているかのような感じでしたよ。そして、エンドロールが終わるまで殆ど誰も立ち上がりませんでした。こんなにほぼ全員の質が揃っている映画など観た事ありません。まあ、考えてみたら、客の少なくても半分はSEEを持っている人ですから。
お客さんの殆どは女性2人でしたね。年齢的には30代が中心と見ました。でも結構お年を召した方もいましたし、まれに男性2人組というのもいましたね。
肝心の映画の方ですが‥,FOTRは(何度もしつこく言ってますが(^^;))映画館で観るのは初めて。とにかくいつもと全然違う音が聞こえるのが嬉しかったです。TTTは,2つに分けて,間に1時間の休憩を挟んで上映されました。ちょっと長かったかな。。。DVDの切れ目ではなく,うさぎのシチューのシーンのど真ん中で休憩になったので,面食らいましたが,執政家ファンの私としましては,噂には聞いていましたが,ボロミアのスピーチに「For Gondor!」と応える声が四方から聞こえるのがよかったですね。

2日目(1/30)
幕張プリンスで1泊の後,8時ちょっと過ぎにチェックアウトして映画館へ向かいました。
ROTKも休憩を挟んで2回に分けて上映されました。こちらはきっちりDVDの切れ目で分かれました。ROTK SEEのネタバレは今日は書きませんので,詳しくは言いませんが,いや~これはちゃんとそこで分かれてよかったです。(ほっ)それにしても,物理的な時間は長いのに,ROTKはあっという間ですね。SEE1本をぶっ続けに観ても,そんなに長い映画とは感じないでしょうね。
映画の後,マザー牧場のイベントにも行ってきました。ちょっと遅れ気味にマザー牧場に着くと,怪しげなオークとさらに怪しげなホビットとエルフ,そして,かわいい飛蔭とやっぱりアヤシイガンダルフのお出迎えがありました。写真は携帯のカメラで撮ったので,全然うまく写っていませんが,イベントの目玉?「映画にも出てきた香草入りホビットシチュー」というものです。うさぎはおいしくないそうなので,鶏肉と,おじゃがと,玉ねぎ,かぶ,にんじん入りです。で,お味の方は,何か賛否両論あったようですが,私はおいしく頂きました。(私は海外に行っても料理には文句ないタチなので,あまりアテにしないで下さい(笑))

帰りの電車で,ディズニー帰りの幸せ一杯な中国人ファミリーを見ましたが,おそらく私の週末も負けない位幸せでした。

三部作SEEを観て内容についての感想はどうだったのか,という話は,そのうち気が向いたら書こうと思います。

Three Rings for Hollywood(4)

2005-01-15 11:35:44 | Tolkien・映画
(3)を書いた時,あれっと思いましたが,ブアマンはアラゴルンとエオウィンを結婚させたんですね,ああ,確かにアルウェンは少女として描かれていたからね。

さて,今回はまとめです。実はここが1番おもしろかったかも。いつになるかわからない,などと言っておいて,朝起きたら一気にやってしまいました。全体的にとても難解な英語だったのですが,このまとめだけは,何故かとても読みやすかったんですよ。(笑)

今まで紹介した台本はトールキンのオリジナルな考えとどう適合するか? ジンマーマンはトールキンが指摘したように,表面的なアクションや魔法しか見ていないし,その話の深みについては一切認識していない。ブアマンの台本はやたら深すぎるのだが,それはブアマンのテーマであり,トールキンのではない。コンクリングとビーグルは求められた範囲内ではよくできているが,本当に原作に忠実な脚色かと言えば,それはちょっと短すぎる。PJはもっとたくさんの時間とリソースをかけているが,原作読者は,彼はまだまだトールキンのもっと深遠なテーマをちゃんと描いていないと思う。

時として,これらの台本の著者達は,トールキンの原作から提示される問題に対して同じ回答に辿りつく場合がある。話の始まりの説明については,観る側は,全く知らない世界に入らなくてはならず,しかもバックグラウンドは話を理解する為に必要不可欠なのだ。原作では,指輪の持つ歴史については最初の2つの本(FOTRの事を指してます)の中で少しずつ明かされ,読者は忍耐強く,あいまいさに耐えなくてはならない。しかしこの3つの台本は全て(ジャクソンも含め)オープニング・シーケンスでモルドールを見せて,様々な指輪の歴史についての話を,シャイアのシーンの前に流している。本の読者は前に読んだ所を読み返したり,いろいろ動いたりできるが,映画を観る人はこんな贅沢はできないので,話をきちんと組み立てる必要があるのだ。

(あっこれは,BBC版ラジオドラマでもそうでしたね。そう言えば,このレポートはBBC版ラジオドラマには触れていませんねえ。映画ではないからしょうがないのかなあ。)

ここで,誕生日パーティ後にビルボがガンダルフに渡すシーンを各台本がどう表しているかを紹介しよう。バクシ版は原作にかなり忠実で,ビルボが指輪を封筒に入れて封をすると,ガンダルフが彼がそれを落とした時にキャッチする。ブアマンは,ご想像通り彼のオリジナルで,ビルボはガンダルフの帽子にそれを落とす。しかしジンマーマンとジャクソンは,2人共,もうちょっと映画的に面白い事をしている - ビルボは指輪を床に落とし,ガンダルフはそれを拾う事を拒否,フロドがそれを拾うまで置いたままにしている。指輪の脅威をより明確にするだけでなく,ビルボが以前にゴラムの洞窟で指輪を拾った事を反映する効果を狙っているのだ。

(あららら,そういうことだったの。私今初めて知りました。はっはっはっ。)

おそらく最も興味深いのは,それぞれの台本の女性キャラクタの扱いだろう。ジンマーマンは彼女達の重要性を大きく落としている。ガラドリエルの「誘惑」(指輪,の事かな)は削除,アルウェンは結婚式のみ登場,エオウィンがアラゴルンに惹かれる話はない。ブアマンは彼の空想の世界で,ガラドリエルには強力に性的特色を附与し,エオウィンはアラゴルンの女剣士となり,アルウェンはこの世ならぬ少女とした。コンクリング-ビーグル台本では,映画版が出来た時には,やはり女性キャラクタの役割は小さくされ,アルウェンは登場せず,エオウィンはエドラスではセリフがなく,ガラドリエルの「誘惑」はよいが,贈り物のシーンはなかった。ジャクソンの1つの強みは,いくつかの非常に大事なシーンがSEEでしか観れないとはいえ,トールキンの女性キャラクタの強い役割を残した事だ。ただ彼が彼女達の役割をちょっと膨らませすぎると感じる人もいるだろう,とりわけアルウェンを女戦士に作り上げた事に関しては。
それぞれの台本は時間的な制限があり,いくらかのキャラクタや出来事は削除しなくてはならなかったが,ある人達は女性キャラクタの役割は重要でないと感じ,ある人達は彼女達の役割を膨らませる事でより多くの視聴者を得られると思ったのだ。

さて,何がトールキンの本を完璧に映画化する為の解決策になるか。20時間のミニシリーズなら彼の話の全てのニュアンスを伝えるのに十分だろうか? それとも原作ファンはまだがっかりするだろうか? 原作ファンは,いつかは,映画制作者が,トールキンの独特の世界,セリフ,オリジナルの話を十分尊重し,さらに単なる文学として描かれたものを,超大作映画に相応しいシーンに作り上げた映画を観る日を夢見ているかもしれない。しかしそれはおそらく不可能だろうし,望まれてもいないだろう。トールキンは,映画は決して本のニュアンスを完全に表現できるものではないと語ったが,それは正しいかもしれない。結局,原作ファンの頭の中で上映されているのが,その原作ファンの1番観たい映画という事なのだ。

(はあっ,そうまとめられましたか。)

なるほど,確かに,女性の描き方は,確かにPJに比べて他の3人はちょっとひどそうですよね。実際にPJ版の台本を描いたのは2人の女性 - PB/FWですからね。私いつも悪口を言ってますが(汗),女性についてはよかったかもしれません。

やっぱり「究極版」と「NG集」は

2005-01-15 03:00:40 | Tolkien・映画
ROTK SEEの話じゃないんですが,ちょっとネタがかかっているので,こちらのカテゴリーに入れておきますね。
どうやらPJは,(どういう形はさだかではありませんが)「究極版」と「NG集」をいずれ出す気でいるようですよ。よかったですね。2~3年後だそうですが,とりあえず,2~3年後なら,まだPJ映画に興味持っているだろう‥‥。

Three Rings for Hollywood(3)

2005-01-15 02:32:00 | Tolkien・映画
今日,と言うより,昨日また,感想を書いたファイルを会社に置いてきてしまったので,またこのシリーズに挑戦しました。今日は,PJの前に唯一映画化に漕ぎ着けた,バクシ版台本の話です。

ビーグル

1976年,ソール・ゼインツ社はホビットの冒険と指輪物語のの映画化と舞台化の権利を買った。バクシはブアマンのプロジェクトの話を聞いた時,UA社に近づき,彼らに実写よりアニメにすべきだと話した。彼はブアマンの台本を使いたくはなかった。彼の反応は「何故あなたがたはがトールキンの書いた物に異物を混入させたがるんだ?」というものだった。彼は,MGMをくどいて,ブアマンの決して使われない脚本にお金を支払った上で,UAを買収させたと語っている。そして彼のMGMのプロデューサーが首になった時,ソール・ゼインツとUAを買い戻している。

バクシ版指輪物語は,多くのトールキンファンに非難されている。まず,彼の"rotoscoping"(実際の俳優の上に絵を描くアニメ手法)を非難した。しかしバクシはトールキンのキャラクタの精神や原作の会話に忠実と賞賛する人も多くいる。またPJと彼のクルーはバクシ版から幾つかのシーンを取っている。バクシが使った台本を改めて見るのは教訓になる。

もしバクシがクリス・コンクリングの最初のドラフトを使っていたら,全く違う映画になっていただろう。このドラフトは,オリジナルからの剥離と元の素材に対する無頓着さで,ジンマーマンに匹敵する。これは話の多くの部分がフラッシュバックで,メリーが木の鬚を中つ国の為に戦うよう説得した若いホビットとして語り手になっている。この台本で本当に気掛かりなのは,ライターがトールキンの言葉を殆ど使ってなく,全ての会話を,最悪の大衆ペーパーバックのファンタジーにあるようなありきたりなレベルまで,簡素化している事だ。ここにガラドリエルのスピーチの抜粋がある。

Sam, come here. You' ve wanted to see some elf magic long enough. I have some for you. … The mirror confuses past and future, Sam, all this has not happened yet…. You see, I have long wondered what I might do if I should ever get the ring.

トールキンのオリジナルな文章はこちら。
”For many long years I have pondered what I might do, should the Great Ring come into my hands, and behold! it was brought within my grasp”

他のキャラクタについては,さらによくない。サルマンはセオデンを,軍を集めて闇のサイドにそそのかすよりも寝かせておくうそつきよりよりもっと罪深い,と言って口説こうとする。

しかしこの下書きには,なんとか最終の台本として使える,映画としては効果的な所もいくつかある。例えばフロドの踊る子馬亭 での歌は,メリーが黒の乗り手に出くわす所と交差し,観客はアラゴルンとホビット達が攻撃されるまでの間に部屋を変えたことに気が付かない。後でサムがフロドにモルドールに連れて行くよう説得している時,彼らは議論している間に反対の方向に漕ぎ出してしまう。原作では描かれてないものが,原作の雰囲気を壊す事なくうまい手法で場面を強化するのに使われているのだ。

バクシとゼインツが(クリス・コンクリングの)最初のドラフトを見た後,ファンタジー作家ピーター・ビーグルが書き直しの為に呼ばれた。ビーグルはすぐに,待ちに待ったパーティーに直接落ち込むフラッシュバックを削除して,それを改善した。ビーグルは明らかにトールキンの仕事を理解する事に大きな愛着を持っていて,コンクリングの会話を殆どトールキンのオリジナルな言葉に置き換えた。しかしその結果はまだ長過ぎて雑な所があった。3番目のドラフトは,指輪の歴史について述べるオープニングを追加したが,他の部分を切り詰めた。この為ガラドリエルの贈り物のシーンは落ちてしまい,アルウェンだけでなく,アラゴルンとエオウィンのやり取りも削除されてしまった。

この台本も問題なしというわけではなかった。サルマンは"Aruman"という名前に変えられ,サウロンと区別し易くした。話を割愛した為に幾つかの穴があり,しまいには,原作に詳しい人は,ビーグルは追い込まれたな,と思う事になるだろう。例えば贈り物のシーンがなくて,どうやってサムはガラドリエルの玻璃瓶なしにシェロブに勝つか? ファラミアもアルウェンも登場しないとなれば,エオウィンはどうすればいいのか? 彼らはブアマンがしたように,アラゴルンと結婚させるのか?

3番目のドラフトと最終フィルムには大きな変更がある。ドラフトは,ゴラムの贖いの場面(“Where were you?” ”Sneaking”)からヘルム峡谷の戦いに続き,ゴラムがフロドとサムをシェロブの棲家へ案内するシーンで終わる。しかし映画は2つのゴラムのシーンを同時に映し,戦いのシーンで終わっている。テスト撮影で,映画はヘルム峡谷の勝利を使って,もっとドラマティックな雰囲気にしなくてはならないとわかった。そうして作られた映画は,商業的にも批評的にも,バクシにとっては,第二作を作れるほどの成功を収めなかった。

前の2つより問題が少なそう? でも大将いなきゃいや~んです。(^^;)
ところで,この頃電車などで「キングアーサー」のDVD発売の広告をよく見ますが,でも私は,この前話題に出たブアマンの,「エクスカリバー」をちょっと観てみたくなりましたよ。(笑)
さて,次は,またいつになるかわかりませんが,シリーズ最終回,「まとめ」です。

Three Rings for Hollywood(2)

2005-01-06 23:50:28 | Tolkien・映画
今日はハリウッドの恐ろしさを語る(いつの間にそんな話に?(爆)),第2弾です。
指輪物語の脚本に2番目に挑戦した人の話です。

ブアマン
トールキンは指輪物語が正しく映画化されるかという事に甚だ疑問を持っていたにもかかわらず,1969年,United Artistsに104,000ポンドで映画化の権利を売った。1970年,そのスタジオは,後に「エクスカリバー」や「エメルラルド・フォレスト」の監督として知られる事になるジョン・ブアマンに指輪物語の製作を依頼する。彼は2時間30分の,「フレッシュで映画的,でも,トールキンの精神は持っている」な脚本に凝縮した。ブアマンは執筆中トールキンからの手紙に,彼は実写版を計画していると返事を出したそうだ。ところが,ブアマンが脚本を書き上げるまでに,彼にその仕事を依頼した重役が会社を去り,新しい経営者は原作を知らない人だった。ブアマン曰く「彼らは脚本に困惑した。彼らの殆どは中つ国が初めてだったのだ」そして,拒絶された。彼はディズニーを含め脚本を採用してくれる所を捜したが,不運にも見つからなかった。やがてブアマンは指輪物語で使う為に開発した特殊効果を他の映画,とりわけ「エクスカリバー」に使った。

ところがこの話にはウラがあった。ラルフ・バクシが最近のインタビューで,数年後プロジェクトを引き受けた時の話を「大袈裟に」語ってくれた。
「そしてここに恐ろしい話が登場する。いいかい? ブアマンは700ページの脚本を手渡した。そしてスタジオの重役はこう言う。彼は多くのキャラクタを改変し,別のキャラクタを追加した。彼はごまかし,宣伝し‥‥,我々はブアマンの言う事は一言も理解できない。我々は本を読んだ事はない。。。」
それはたったの176ページだった。ごまかしはなかったが本を読んでも何の役にも立たなかった。何故ならば,ブアマンは早い段階で彼自身の方向に変えてしまったからだ。

はっきり言ってしまえば,ブアマンの脚本はトールキンの指輪物語とはほとんど繋がりを持ってない。ジンマーマンのもっとましな脚本に対するトールキンの驚くべきリアクションを考えてみれば,彼がブアマンの脚本を歓迎するとはとても思えない。キャラクタもイベントもロケーションもテーマも全て自由に改変され,著者の元々の意図への配慮は全くない。シーンは原作にまったくない性的特色を附与され,心理的なねじれを与えられている。(例えばフロドがガラドリエルに誘惑されたりとか,アラゴルンがエオウィンを癒すシーンは露骨にセクシュアルで彼らを結婚させても不思議でないとか,など,トールキンは承認しないだろう)ブアマンが後にアーサー王伝説の話「エクスカリバー」であざやかに使ったアイディアとは,ここでのロスロリアンのドワーフと同じ位場違いな物だったのだ。

ブアマンはトールキンの本にあったものをあっさりと自分の創作に変えてしまったのだ。例えばこの出来事を考えて欲しい。ブルイネンの川原でナズグルを撲滅した後,フロドは裂け谷の輝く城に運ばれた。そこは円形競技場のような所でエルフ達がお喋りし,彼はクリスタルのテーブルの上に,裸で緑の葉で覆われて横たわっていた。13才のアルウェンが,ギムリの斧で脅されながら,彼の肩から赤い熱いナイフを使って外科的にモルグルの刃のかけらを取り出し,一方ガンダルフはボロミアに指輪を取り上げさせようとしている。

そんなのは見慣れている? ではモリアの入り口の近くでの出来事はどうだ? ガンダルフが古代の再生儀式よろしく,ギムリに穴を掘らせて中で腹ばいにさせ,マントで覆い,彼の古代の祖先のドアを開ける呪文の記憶を蘇らせ,口からその言葉が出てくるまで,暴力的に叩き,口汚く罵っている。

ブアマンに関しては,トールキンの本から離れてはいるものの,一部は人を惹きつけるような素晴らしいものもある。エルロンドの会議は,指輪の歴史を説明する幻想的な中世的な仮面劇に仕上げられている。この高度に様式化された手順は,歌舞伎,ロックオペラ,サーカスの要素を合わせ持っていて,後に退廃的な闇のエルフの一団によって語り草となった事だろう。これは奇妙に効果的で,背景を説明するには必需品だ。しかし,トールキンの作品へのまともな脚色とはとても言えない。

そしてこれが重要な問題だ。この時点でトールキンはまだ存命していた。彼は,アメリカで最初に出版された指輪物語の版の中で,述べているように,著者が存命の場合は少なくても最低限の敬意は払われるべきだ。これは彼がジンマーマンの脚本についてコメントした内容。
「私はあのロマンスのマスターと比較しているわけではない。私はまだ死んではいないという点を除いて。K.S. Minesが映画化された時,もう創作物は公共財産化されたと言えるのかもしれない(しかし)指輪物語は,いまだにある人間の鮮明な関心事だ。そして誰のおもちゃでもない。」

ブアマンのたくさんの創作物は,トールキンからヒントを得て創作したものである。存命する著者からの拘束とは別のはけ口を必要とするものだった。結局彼は「エクスカリバー」でそれを発見し,指輪物語をオファーされる前からマーリンを中心とした物語にしようと考えていた。ブアマンの創意に富んだアーサー王の話はヒットした。何故ならば「英国の事件」は「公共財産化された創作物」に当てはまるからだ。ある人達は現在はトールキンの物語はもう出版されてから50年も経っているので既に「公共財産化された創作物」と思うかもしれないが,当時はまだ彼の手を離れてから時が経ってなく,彼はおもちゃにできるのは自分だけだと合法的に主張する事もできたのだ。

私は,ハリー・ポッターとアズカバンの囚人のDVDを持っていますが,その中で,監督と著者のインタビューというのがあって,監督が,ある生物が処刑されるシーンで,バックに「墓場」(字幕では氷河になってますが墓場の間違いだそうです(汗))を入れようとしたけど,著者は頑として「ダメ!」と主張したという話がありました。それを聞いて,著者が存命というのは,何にも変え難いメリットだなあ,と,ハリポタシリーズを本当に羨ましく思いました。

Run!Run!Run!