ドイツ軍と犬は「掃討作戦」中でした。犬は遠目には恐ろしい声でしたが、実はその日の朝農家から調達した、プリンセスという名前の雌のシェパードでした。で、ドイツ軍のうち2人は十代前半の少年、2人は歯の抜けた老人。隊長は目の血走ったガリガリの戦争狂の伍長。死んだハンガリー兵から盗んだブーツは、中を覗くとアダムとイブが見えるという代物で、ほぼ彼の家と化しています。
氷の上に横たわっていたビリーには、ブーツの艶にアダムとイブが見えてました。そして、次に現れた粗末なボロの靴を履いていたのは、15才の金髪の天使の顔をした少年。。
彼らはビリーを引っ張り上げて持ち物検査。幸いビリーは武器を持ってません。すると遠くでライフルの音。ドイツ兵は、ビリーとウェアリーを見捨てた2人の見張りを撃ち殺したのでした。次に彼らはウェアリーの三角ナイフを興味深げに眺めた後、そのナイフでウェアリーの衣服を切り裂き、弾丸よけの聖書を発見。例の女とポニーの絵も発見。最後にウェアリーの上等なブーツを脱がせ、美少年に渡し、美少年のみすぼらしい履き物をウェアリーへ。
2人は小さな小屋へ連れてこられます。そこには他のアメリカ人が数人、捕らえられていました。
やがてビリーは時間の旅…そこはビリーの職場の視力測定装置(何故か逆さまにぶらさがったフクロウ)あれ?今僕は何才だったっけ?等と考え事しているビリーに、思わず心配になった患者さん、「先生、私の目に何か悪い病気でも?」窓の外には彼の車。その車に貼られた「警察をサポートしよう」「
Earl Warrenを弾劾せよ」は、舅からもらったもの。て事は今1967年。え?その間の時間はどこに行ったの?
机の上の業界紙The Review of Optometryには、眼鏡技師がプロとしてのステータスを確立しないと、眼鏡の店が減ってしまうというような記事が。。サイレンの音を聞いて、第3次大戦かと思ってしまうビリー、ですが、それはただのお昼のサイレン。
目を開けると第2次大戦に戻ってました。ドイツ兵が彼を蹴って、移動の時間である事を知らせます。
捕虜はまるでおバカのパレード(ビリーの意見です(^^;))。ライカのカメラを持ったドイツ人カメラマンはビリーとウェアリーの写真を撮り、2日後、アメリカ兵の服装が悲惨なものである事を大きく報道。さらに、カメラマンが捕獲の様子をカメラに収めたいというので、皆でビリーを藪に投げ込み、彼が起きあがった所をピストルで脅す事を演じました。
ビリーは何故かニコニコ。実は彼は1944年のドイツに居ながら、1967年、彼自身のキャデラックに乗っていたのでした~。それは彼にとってとても良い時代で、故郷のライオンズ・クラブでの午餐会に向かっている所で、8月だけど車は冷房付き。スラム街の交差点でふとビリーは戦場で見たような風景を見ます。歩道の所々が崩れていて、どこに戦車があったのかわかります。食料品店の前で黒人が車の窓をトントン叩きますが、信号が変わってビリーはそのまま走り続けます。走るうちに、故郷の風景が何故か爆撃を受けた後のドレスデンのように見えるビリー。
ライオンズクラブでお話しているのは市長さん。彼はベトナムのいわゆる北爆(お~っとこんな言葉がスラスラ出てきちゃったらトシばれるね~)支持者です。北ベトナムを石器時代にしてやろうとしてる人。でもビリーは特に北爆に反対というわけではなく、ただお昼を食べに来ただけ。
ビリーのオフィスには彼の「keep going」のメソッドが貼ってあります。患者さんの中には「とってもためになる」と言ってくれた人もいます。
神は我に与え賜う
平穏に承諾する事
変えられない物、勇気
変えられる物
そして常に相違を教えてくれる知恵
ビリーが変えられないのは、過去、現在、そして未来。
ビリーは、市長さんに、退役軍人で息子はベトナムでグリーンベレーとして従軍している、と、紹介されます。市長さんはグリーンベレーは良い仕事してるね、と、言いました。
昼食後、ビリーは昼寝をしに帰宅。実は医者の勧めにより、ビリーは昼寝をしていました。それがビリーの悩みを解決してくれるだろうとの事で。
ビリーは検眼医として成功し、かなりなお金持ちでした。メインの仕事の他、
ルート54に
ホリディ・インを持っていたし、
Tastee-Freezeのスタンドも所有。(柔らかくて冷た過ぎないアイススイートだそうな)
家は留守でした。娘のバーバラは母と一緒に婚礼用品の買い出し中。お手伝いさんも雇ってないし、犬もいません。以前はスポットという犬がいたそうですが、既にこの世に亡く。。
眠りに就こうとしたけど眠れず涙するビリー、…と、ドアチャイムの音。外を見ると体の不自由な人が2人。彼らはウソの雑誌の定期購読の契約を取り付けに来ているのをビリーは知ってました。皆わかっているけど、彼らがかわいそうだから、つい契約しちゃうのよね(そういうの、日本人だけじゃないんだ)ビリーは、ライオンズクラブで、こういう奴らを見たら、警察を呼んだほうが良いと聞いていました。ちょっと離れた所に雇い主と思われる車も見えます。まだ涙を流しながら、さてどうしたものかと悩むビリー…ですが、そこで彼はルクセンブルグに戻ってきました。
ビリーは写真の為に藪に放り込まれて以降、「
セントエルモの灯」が他の捕虜達の頭の辺りに見えてしょうがありません。木のてっぺんとか屋根とかにも見えます。彼を始め、アメリカ兵は皆、手を頭の上に組んで行進。ビリーはうっかりウェアリーに衝突して、ゴメンと謝ると、ウェアリーも涙。実は、靴を取り替えられて、足が痛かったんです。行進が進むにつれ、他のアメリカ兵もどんどん合流。さながら屈辱のミシシッピ、のようだったそうです。
彼らを先導するドイツ兵はマシンガンで武装して、ガツガツ食ってたようです。1人がウェアリーの肩にタバコや安酒の臭いのついた唾を吐きかけました。やがて、行進はルクセンブルグからドイツへ。。
国境にはカメラが設置され、勝利をお祝いしていました。
駅で、ドイツ兵はアメリカ兵を階層事に分けました。めちゃめちゃ肺炎な大尉がビリーに話しかけます。「お前、ウチの子か?」実は彼は4500人もの部隊を失ってました。多くがまだ少年だったそうです。さらに「お前451連隊か?」と尋ねますが、ビリーは??状態。「歩兵連隊だ」と言われてようやく納得。
彼は「Wild Bobと呼んでくれと言います」451連隊はウェアリーだけでしたが、ウェアリーは足のトラブルで応える余裕なし。Wild Bobは、戦争が終わったら、故郷のワイオミングで同窓会をバーベキューをやると言います。ビリーにも、来いやと声をかけます。
そこに、VonnegutさんとO'Hareさんもいました。
ビリーは列車の車両に他のたくさんの捕虜と一緒にパック詰め。ウェアリーも別の車両に詰め込まれました。中は相当ぎゅうぎゅうで、隣の車両では誰かが死んだと騒いでいましたが、ガードのドイツ兵は無視。ビリーはベンチレーターから隣接する車両を見てましたが、見張りのドイツ兵が乗った車両はソファやクッション、ティーセット等の揃っていてまるで天国のようです。
しばらくしてドイツ兵がでてきて、ようやく誰かが死んだという車両へ。こちらはたったの6人の大尉でガラガラ。亡くなったのはWild Bobでした。
ビリーの乗った列車は途中で2日止まったりしながら目的地まで。途中誰も降ろしてもらえません。ビリーはやがて1967年Tralfamadore星人に誘拐された日に行きます。