ふむ道,小道,数多く

趣味いろいろ。2014/9に別ブログを合体したので、渾然一体となってしまいました(笑)

Slaughterhouse Five 2 (3)

2010-09-09 23:10:39 | BookClub
Slaughterhouse-FiveSlaughterhouse-Five
価格:¥ 723(税込)
発売日:1991-11-03

やーねー、ウェアリーったら、女性の絵を使ってシェットランドポニーをダッチワイフにする奴(いや彼ならアリだ(爆))だと思っちゃったわ。ごめんごめん。それに絵じゃなくて写真だったみたい。

でその写真は何だったかって、女性がポニーと一緒にギリシャっぽい円柱に囲まれた舞台の緞帳の前に立っていて、ある円柱の前には掌の鉢植(^^;)えがあったそうです。しかもこの写真は、写真史上最も古い物の1つ。(日本だと古い写真と言うと坂本竜馬のが有名だけど、それよりさらに25年位前の物らしいです)

でっ、さらにその写真の説明読んでみると、いろいろbuzz word(笑)が入っていたけど、それって多分ビリーの主観で、きっとその写真、何らかの芸術写真っぽいです。ギリシャ神話っぽい舞台と掌の鉢植えが。女性が人間を意味し、ポニーが神を意味していると解釈する人もいるそうで。。

それはさておき、ウェアリーは4人の中で唯1人メタボでしたが、1番忙しく動き回っていました。彼は多分家に帰ったら、対戦車射手仲間と勇敢に戦い1人だけ生き残り、2人の偵察係と仲良しになって三銃士結成! で役立たずの弱虫野郎を何とか引っ張って帰ってきた、という話にするに違いなさそう。。。で、ウェアリーは将校に「三銃士の帰還」を賞賛されてる所を想像?して得意の絶頂。

その時ビリーは「剥がれました」
少年の日にお父さんと一緒にプールのシャワーを浴びてるビリー、実はお父さんはこれから「泳ぎを教える」と言っている所。それは深いプールに投げ込むというもので。。(親の世代から良く聞く話。そうやって泳ぎを覚えた人多いのでしょうかね?(汗))そこで気を失うビリー。

するとビリーは1965年へ。老人ホームに年老いた母。彼女は少し前に肺炎を患い衰弱してます。何かビリーに大事な事を話そうとしているようで「どうして ...」と言いかけます。彼女はビリーが次の言葉をわかってくれると思って待っている様子。しかしKYビリー(笑)全くわかりません。すると母、全身全霊の力を込めて「どうして私こんなに年取ったのよ!」


Slaughterhouse Five 2 (2)

2010-09-07 23:56:46 | BookClub
Slaughterhouse-FiveSlaughterhouse-Five
価格:¥ 723(税込)
発売日:1991-11-03

ビリーが最初に「はがれた」のは、1944年の事だったそうです。(あら、飛行機事故がきっかけではなかったのね)ビリーにとっては、別にTralfamadore星人は関係ないみたい(笑) 彼は軍隊内で牧師さんのアシスタントをしてました。牧師さんのアシスタントは「面白い人」がやるのが通例だそうで、ビリーも例に漏れず、敵を殺す事はおろか、友人を助ける事もできない弱虫(いや友人もいない)で、牧師さんのしもべとなってました。出世も表彰も望まず、武器も持たず、兵士にとってはうざいだけのキリストも愛すべき存在だったそうで。他に、Camdenの掃除機メーカーの作った祭壇とオルガンも管理してました。

ある日曜の朝、ビリーは50人程の兵士を前に賛美歌の曲をオルガンで演奏中。そこへ「アンパイア」と呼ばれる、仮想戦闘で勝った負けたを語る人(そういう人がいくらでもいたらしい)がやってきて、今この場所は仮想敵に爆撃され、仮想全滅したと告げます。仮想死人は笑いながら昼食。。。。その直後、ビリーは父の突然の死を聞きます。

ビリーが忌引き休暇から帰った時、ルクセンブルグで苦戦している部隊への転属を命じられました。彼はこの部隊で落ち合うはずだった牧師さんに会えず、十分な装備すら支給されないまま、ドイツ軍の攻撃で部隊は壊滅。生き残ったのは、見張り役2人と対戦車射撃手、そしてビリーの計4人。

4人の最高尾を歩くビリーは武器も持たず、21才にして髭に白いもの、頭は禿げ、かかとの抜けた靴(父ちゃんの葬式用に買った)全く兵士らしくない格好でした。

4人組は突然何者かに狙撃されます。対戦車射撃手ローランド・ウェアリーはぼ~っとしているビリーに「さっさと隠れろ!このmotherfucker!」

(これを聞いて何かに目覚めた(笑)ビリー)

ウェアリーは、この日何度もぼんやりしているビリーの命を救いました。彼は、ビリーと同様新しくこの部隊に参加していましたが、うっかり不要な1発を撃って敵に見つかり、彼を残して小部隊全滅を招いてしまったそうです。

ウェアリーはピッツバーグ育ちの18才。バカでデブで意地悪な嫌われ者でした。彼の父は母に拷問用の蝶ネジiron maidenのついたランプをプレゼント?

以前ウェアリーはビリーにIron Maidenの底の水抜きや、父のデリンジャー・ピストル等について話してくれました。ウェアリーはまたblood gutterが何か知らなかったと言ってましたが、それは刀の浅い溝の事でした。さらに拷問や処刑について…(気味悪いのでや~めよ)

壕に避難したウェアリーとビリー、ウェアリーは父からもらった三角ナイフをビリーに突きつけます。「本で読むような事より実社会の方がいろいろあるんだぜ~」ビリーはいじめられっ子でした。彼は傷だらけのキリストが付いた恐ろしい十字架を持ってました。

…とは言っても彼はカソリックではありません。父は全く無宗教、母はオルガン奏者でしたがどの教会に入るかは決めてませんでした。でも十字架好きで、ある日サンタフェのギフトショップで買ったものが、ビリーの十字架です。

しばらく待って、誰もいない事を確かめると4人は再び外へ出て森を歩きます。雪があるので道は歩けません。

ローランド・ウェアリーはTweedledumかTeedledeeみたいと思ってるビリー。確かに、どことなく、ダドリー・ダーズリーの面影ありますねぇ(笑)これって英米人の考える「嫌な奴」のステレオタイプなのでしょうかね。それに彼はモノ持ちです。シャツやズボンの他にコートやらブーツやら、下着も複数持ってるし。携帯食器、ナイフ等々とにかくいろいろ持ってます。(ドラえもん!)それに堅いコンドーム(病気避けにしか使わないそう)きわめつけは汚い女性の絵。何に使うって、シェットランドポニーを「ダッチワイフ」に……(思わずシェットランドポニーって「何」だっけ?ってWikiしちゃいました(爆)お~!きれいな金髪だ!)しかし彼18才って言わなかったっけ?


Slaughterhouse Five 2 (1)

2010-09-02 23:34:30 | BookClub
Slaughterhouse-FiveSlaughterhouse-Five
価格:¥ 723(税込)
発売日:1991-11-03

お話の主人公はイリウムという町で暮らす、ビリー・ピリグリム。彼は(例えば)1955年、1941年、1963年を自由に行き来できるそうでございます……と、聞いて、「あっ、やっば~~~~い、またあのパターンか」と思ってしまったのは、私、だけではありますまい。(笑)…チーフ(懐かしいなあ)

ビリーは、第2次対戦に従軍した後、軽い神経症にかかり、レイク・プラシッドでちょっと荒い治療を受けて帰ってきました。その後結婚して2人の子を設け、ある時仕事でモントリオールへ行った時、飛行機事故に遭い、彼1人だけ生き残ったそうな。しかしその治療の間に愛妻が全く別件の事故で亡くなってしまいました。

以来ビリーは時空間を自由に行き来できるようになってしまったそうです。。。。

ビリーは、Tralfamadore星人に拉致されたと信じ込むようになり、NYのラジオ局でTralfamadore星の動物園で裸で展示された体験談を披露しました。イリウムのニュース紙に手記も投稿しました。Tralfamadore星人は身長2フィートでとてもフレンドリーな人達らしいです。

ビリーはいつも地下の遊戯室のタイプライターで投稿記事を打ってました。重くて他の場所へ動かせないのだそう。地下室は暖房が全く効かず非常に寒いし、ビリーは昼になってもパジャマ姿……何か今日のひきこもりとかツイッター中毒とかと大した変わりないですねぇ。(笑)

そんなビリーを娘のバーバラが心配して度々訪れます。当時バーバラは21才にして自分は家族のリーダーと認識。父ビリーは認知症になるには早すぎる46才ですが、バーバラは飛行機事故のショックで父が認知症になってしまったと思ってます。彼女は父の言う事は全て嘘と思ってますが、ビリーは全て本当だと信じてます。


Slaughterhouse Five 1 (5)

2010-09-02 23:27:54 | BookClub
Slaughterhouse-FiveSlaughterhouse-Five
価格:¥ 723(税込)
発売日:1991-11-03

Vonnegutさんは虐殺について触れ、息子達には、決して手を染めるな、それと、敵が虐殺されたって喜ばしい事ではないと教えます。またmassacre machineryを作る会社に勤めてもいけない、と。(massacre machineryって、兵器とかそれにつながる物の事だよね)

で、いよいよO'Hareさんと一緒に旅立つ時、シカゴ→ボストン→フランクフルトのコースで飛ぶ飛行機で合流する計画だった(んだと思う、多分(^^;))けれど、ボストンが霧の為、飛行機はボストンに寄らずにフランクフルトに直行してしまったのだそう。仕方なく?途中1人で過ごしたVonnegutさん、その時読んだ本の中に、主人公が新聞に向かって「奴らを止めろ!永遠に止めろ!そうすれば消えないで済むんだから……!」と叫んでいたのが印象的…だったそう。

とにかく、本は書き上がったという事なので、次の章、読みましょう。


Henry Ⅷ:Chapter 6 The King's House

2010-09-02 23:22:12 | Kindle
Henry VIII: The King and His Court (Ballantine Reader's Circle)Henry VIII: The King and His Court (Ballantine Reader's Circle)
価格:¥ 1,734(税込)
発売日:2002-10-29

ヘンリー8世の生きた時代はちょうどルネッサンス期にあたり、文化的にギリシャ、ローマ時代への回顧が盛んで華やかな時代ですね。特にグロテスクという様式が好まれたそうです。(現在普通に知られているグロテスクとは意味がち~と違いますぞ。(^o^;) 詳しくはリンク先をどうぞ)

また華やかなタペストリーを飾るのも流行。ヘンリーさんは2000枚以上のタペストリーを所蔵していたとか。しかし高価な物になると、スキルを持ったタペストリー織りチームが3年程かかって織り上げます。ハンプトン宮殿に現存する最も高価なタペストリーは、ベルギーの高名な画家Bernard van Orleyの絵を元に全て絹と銀糸で織られているそうです。その他Seven Deadly Sinsをテーマにした3枚セットとか、ウルジー卿が持っていたThe Triumph of Petrachの4枚セットとか、Estherとか、The Story of Youth and the Seven Agesとか…。(何か急にハリポタ読んでるような錯覚に…(笑))

王様のおうちの話は床の敷物、蝋燭などの明かり、と、続きます。そして、王様の椅子! ヘンリーさんの椅子は最初は比較的シンプルでしたが、どんどん派手で複雑な物に変わって行ったようです。王様以外は決して座ってはいけない、王のクッションが置いてある時はその家具に寄りかかってもいけないのだそう。…まあ、大抵どこの国でも専制君主なら同じですよね。

で、王様の家具でひときわ豪華?なのがベッドです。ヘンリー8世はベッド好き(笑)でもあったようで、豪華な天蓋付きベッドを一杯持ってたようです。王妃様方も贅沢なベッドをお持ちだったようですが、ジェーン・セイモアは自分で刺繍した飾り付けも持っていたそうです。

王様はベッドカバーもシーツもぬかりなく贅沢で快適…と読んでて、この時代の王侯貴族って後々の産業の発展に貢献したよなあと思ってしまうののは私だけ? 今、私達が快適な寝具をたやすく手に入れられるのも、案外こういう人たちを支えた技術があってこそ、だったりとか。

ただ、実は超豪華なベッドは儀式用のディスプレイで、実際毎日寝るベッドは、もう少しシンプルなものだったそうです。な~んだ(笑)

お皿ディスプレイ用の食器棚というのがあって、高ければ高いほどお金持ち(^^;)なのだそうです。最も大事なのは、お皿、カップ、ゴブレット、大皿、…とここまではいいですが、塩! あ~当時は手に入れるのが大変だったのでしょうか。しかし、ディスプレイ用の食器を「いかに使わずに」お食事を提供できるかで、その家の懐具合がわかるのだそうです。(^^;)

ヘンリーさんは2000を越す食器をお持ちだったそうですが、現在殆ど「融けて」しまい、残っているのはたったの3つだそうです。王妃様方もそれぞれの家の食器をお持ちだったそうで。

ヘンリーさんはとりわけ時計を大事にしていたようです。17個の置時計、クリスタルにルビーとダイヤをちりばめた時計、鉛とメタルの掛時計、干潮満潮時計、全ての月日を惑星付きで見れる3本針のバラとザクロの飾り付きの時計(黄金の羅針盤かっ(笑))……、ヘンリーさんはこれらの時計コレクションを年に40回調整していたそう。…電波時計あげたいね。(^^)

その他の家具では、携帯用書き物机、というものが現存するそうです。
虚栄心旺盛なヘンリーさんは、自分を「よく見る」為の鏡も欠かせません。(笑)相当たくさんの鏡があったそうでございます。

また王様は時々移動するわけですが、これがまた大変。何百の召使いと家具や寝具も大移動。シャロットシリーズに、英国ではなくフランスの王様が英国大使館に滞在するシーンがありましたが、きっと大変だったんだろなあ。確かに(笑)想像つきますね。映画等では、王様が数十人の家来を従えて馬でやってくるシーンがありますけど、現実の移動はそんなもんじゃないのでしょうねぇ。移動先には、シャロットでもそうですけど、「王様を楽しませる方々」
も用意されたりとか……(おっと本からハズれた(笑))

移動手段は、男性王族は馬車、女性王族は輿が一般的でしたが、当時の道路事情は、古代ローマ時代の道が殆ど手入れもされずに放置され、天気が悪いと通行不能、ヘンリー7世ですら、どこかで道に迷ったという記録があるそうです。という事で水路が結構安全で衛生な移動手段で、ロンドン圏内であれば、船が好んで使われたそうです。テムズ川周辺に王様の施設が多いのはそのため。また映画やドラマで、ヘンリー8世やエリザベス1世が船で移動するシーンが多く見られるのも納得。

ヘンリー8世は、意外?(^^;)衛生に気を配ったそうです。元々古代や中世の英国の人々の生活はその点で結構ひどかった(汗)らしいです。ドハティ小説ではお約束、ロンドンや地方都市の恐ろしく(笑)汚い様子が描かれていますが、ヘンリーさんはまず身の回りをきれいにする所から、少しずつ改善していったようですね。

当時の宮廷料理人の実状はかなりヒドイものだったようです。料理人はほとんど裸同然で働き、調理用の暖炉にオシッコなんてザラ(滝汗)だったので、彼らにきちんとした服を買う為のお金が与えられ、オシッコはもちろん禁止。思わずホグワーツの厨房を思い出してしまいました。あそこもいろいろあったよなあ。。(^o^;)

…衛生状態についての記述が続きます。生ゴミを放置すると、犬を刺激するので、乞食に与えたというような記述。。。当時、犬は愛玩犬以外は恐ろしい動物として認識されていたんですね。現在、北海道辺りのハイキングコースでは、よく、熊を誘うのでゴミを放置しないようにと書かれていますが、同じ発想ですね。

ルールを守らない人は厳しく処罰されたそうですので、おそらく、衛生状態はかなり進歩したのでしょうね。ただし、熱い厨房での管理はまだまだままならなかったそうで。

衛生観念の発達により、香水も発達しました。ただし、手に入れられたのはお金持ちだけ。当時既に石鹸も生産されていたそうです。当時の石鹸は石灰と獣脂またはオリーブオイル。これもお金持ちの物、でしたが、大抵の大きな家では自作していたそうですよ。ベニスやスペインの物が人気だったとか。ただし、当時の服はほとんど洗濯不可。(^o^;) とりあえず下着だけは熱湯で洗っていたそうなので、まあまあ清潔だったみたい。

しかしどうにもならないのはやっぱり○○レ(^^;)ハンプトン宮殿の門の右側には2階立てで14個の椅子(個室とは書いてないねぇ)付きのトイレがあったそうですが、こういう場所は皆さん避けて通ったそうで…(そりゃ今もある意味一緒だよ)

長かったぜ~6章


Run!Run!Run!