三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

「ブルー写真集」 と書かれた袋発見! ~つづき

2010年12月20日 | ノスタルジック航空写真館
前回余計な話で延びてしまったが

先のブルー写真の中にあったチームの集合写真がこれ
フライトスーツのオレンジが時代を感じさせる

保存状態が悪かったので、擦れたりしてしまっていますが
パイロット達のサインも印刷されている

パイロット達の名前は袋に書かれていた

F-86ブルーの最後の編隊長、田代健次郎 1尉 の他
最後のフライトを飾ったメンバーの名前も確認することができる

そして一番上に書かれた編隊長は 小口雄二郎 1尉
私の住居隣町の諏訪 出身だったパイロット、出身高校も地元の進学校だ

私が初めてブルーを見た当時、 彼は編隊長 兼 単独機で飛んでいた
彼の単独機演技は切れも良く、同郷のよしみで
超低空高速飛行ではより低く、キュウバン8ではロールの回数が1回多かった・・・
と思っていたし、そう考えるようにしていた(爆)

この後、彼は編隊長専任を田代 1尉に譲り、ブルーを卒業し
松島基地へT-2教官として転出、活躍することになったのだが
1977年8月31日 第4航空団第21飛行隊所属のT-2(#127)にて
離陸前点検中に射出座席の誤動作で学生、教官両席が射出
学生は重症、教官の小口 2佐のパラシュートは開かず殉職してしまった

このニュースは地元ローカル新聞でも大きく取り上げられ
後日、諏訪湖上空も飛んだミッシングマン・フライトの様子も載った


集合写真を拡大してみました
右端が小口1尉、空自の第1線部隊の定年が40歳位なので
写っているパイロット達は20代後半から30代後半だろう
現役バリバリだった彼らも、現在はすでに地上勤務の定年さえ越えている

当時私からはオジサンに見えた彼等
自分も彼らの現役当時の歳をはるかに越えてしまった現在でも
こんな写真を見る度に彼らはオジサンに見えてしまい
私は一時だけ小僧に戻れる(爆)
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「ブルー写真集」 と書かれた袋発見!

2010年12月18日 | ノスタルジック航空写真館
先日、家の中を掃除していてこんな汚い袋を発見


袋に印刷されていたのは~


ブルーインパルス写真集とあるが中身はB4サイズくらいの
出来上がりの悪いカラー印刷されたF-86ブルーの写真が4枚入っている
写真集とはあまりに大げさな(笑)中身です
記憶はないが、購入したものではなく昔の航空祭かなにかでいただいたような・・・


コントラストが強く、影の部分は黒つぶれしているフライト画像が3枚
それからチームパイロトの集合写真の構成

その中にあるアルプスを背にスモークを曳く 86(ハチロク)ブルー
たぶん当時のベース、浜松基地から近い南アルプスまたは中央、日本アルプスだろうが
長野県に住む私の住居から程遠くない空で撮られたものだろう

コレを見てかなり昔の出来事を思い出した・・・
季節も忘れたが晴れた空から聞こえる爆音に空を見上げて機影を探した
はるか東側の空にいつもと(浜松基地所属機の訓練空域になっていて毎日F-86やT-33が飛んでいた)
違った飛び方をするF-86を発見!

双眼鏡を出して覗くと、大きな雲を中心に連続垂直宙返りしている機体が見える
単機づつのF-86が何機か同じコースで垂直宙返りを繰り返していた
それはまるで雲と戯れるような飛行(宙返り)だった

それが終わると機影を見失ったが、少し遠く高度も高い空域に
白いスモークがひかれて驚いた!
まさにこの画像プリントのようにエシロン編隊隊形を組み、スモークをひいていた

これがブルーだったのは間違いないが、なんの為に飛んでいたのかは謎だ

信州の自宅から86ブルーが見れたのはコレが最初で最後だったが
晴れた日に自宅から諏訪茅野方面、もう少し南側かな?
を遠望するたびに遠い記憶が今も蘇る

                                ~つづく
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共産圏のパイロットヘルメット 4  GSh-6

2010年12月16日 | 編隊コレクション
長く引っ張った共産圏パイロットヘルメットの紹介ですが、今回がやっと最終回
最後に登場がこの変わったヘルメットです


昔のSF映画に出てきそうな形をしたこのヘルメットは高高度飛行用のもので
被ってしまえば機密性は他の比ではない


 ヘルメットの下部です
 
 首周りはゴム製のヒダが大きく張り出し、フライトスーツVKK-6M との接続部の機密性を造っている



バイザーと呼ぼうか、ウィンドウと呼べばいいのか
透明グラスは手で上下できるがフライトには、グラスを下ろした後に横の紐を
かなりの力で引いてロックさせ、ヘルメットとバイザーの間にあるゴム部に圧着させる


ヘルメット内にはサングラスが内臓されていて、横の小さなレバーで上げ下げできる



ヘルメットは3個のパーツに分かれる
先ずはヘルメットからネックリング部を外す




インナーの飛行帽には、イヤホーンとブームマイクが装着されている




ヘルメット内部はこんな感じ

 
 このヘルメットの画像を追加した 2018年版の 新しい記事があります


このヘルメットもほぼ新品だが首等の密着度が高く、サスガの私も実際に被ったことはない

一緒に高高度フライトスーツも付属していたが、装着方法がわからずラックにかけてあるだけだ
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共産圏のパイロットヘルメット 3   ZSh-7AN

2010年12月13日 | 編隊コレクション
今回は比較的新しい型で現在も使われている共産圏 ヘルメット
ヘルメットの型は ZSh-7AN、酸素マスクはKM-34D という新型だ


ヘルメットの上部にはターゲットシステムのマウント部分が付けられている
入手時点で新品同様の綺麗なヘルメットで、収納ケースも付属していた


大きく不気味な木製ケース、その中身は~


上からスロートマイク、冬季用ニットキャップ(青色)、スカルキャップ(ベージュ)
酸素マスクケース袋(緑)ヘルメットバック(黒)、インナーパッド

この中でロシアらしいものを発見! 西側のヘルメットでは見たことがないのが
青色の毛糸でできた被りモノ、少しサイズの大きなヘルメットじゃないとね(笑)

肝心のヘルメットです

シェルに開いた穴は射出座席で脱出した時の風圧を逃す為のもの

バイザーは左側に付いた小さなタブをつまんで上下させる

酸素マスクのリテンションもヘルメットのシェルの内側につけられ
雰囲気はフランス空軍等で使用されているヘルメットに似ている

ヘルメットの内側も覗いちゃいましょう
酸素マスク内には米軍のそれとそっくりなマイクが内臓されています

このヘルメットも空気圧により頭部にフィットさせる袋が付いている

マジックテープで付いている袋を外してみました

コレの目的は高機動時のズレを防ぐのだが、ニットキャップを被ってからヘルメットを付ける時期もあるから
案外サイズが大き目のヘルメットが支給され、サイズをフィットさせる目的もあったりして・・・(爆)


ニットの帽子が予備も含めて2枚も付いたヘルメットはロシアならではのもの

それとも機内のエアコン・システムがイマイチなのかな・・・(大爆)
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共産圏のパイロットヘルメット 2   Zsh-5

2010年12月10日 | 編隊コレクション
前回の Zsh-3 の後継シリーズが Zsh-5 ヘルメット
形も洗練され西側のヘルメットに似た部分も多い



バイザーはやはり2段システムで上下できる

左サイド部分のアップだが、黄色の矢印を挟むと酸素マスクのリテンションが外れる

赤い矢印部分を抑え上げてバイザーを上下させる

酸素マスクはKM-34というタイプでマイクも内臓され
マスクとヘルメットを結合するリテンションシステムは米軍のそれに似ている
違うのは外そうと思っても最後にストッパーが付いているので
簡単にはマスク自体を取り外せないことくらいか

一番興味深いのは、1970年後半頃より、ソ連では空気圧によりヘルメット内部を加圧
機動などによるヘルメットのズレを防ぐシステムがこの時代に装備されていたことだ

黄色の矢印の袋に酸素マスクからチューブを使いエアーが送られる

米軍では1990年代からやっと装備されたコンバット・エッジ・システム
ソ連がこんなに早く手をつけていたとはなかなかやるな! と感心したのを思い出す

最後に前回紹介が間に合わなかった喉のマイク
スロートマイクとかタコホーンとか呼ばれたもので、LA-5 というらしい

声帯の響きを喉の表面から拾うといもの、米軍等でも大戦中より使用されたものだ
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