”ゴミ出しの道すがら”
西日本では37度を越えた所もあったという。
カミサンはコーラスの日。
私は家で静かに、写真のプリントをやっている。
来る22日の土曜日は、信州で、古希を祝う小学校の初の同窓会が開かれる。
この日は、写真クラブの例会で、先日の銚子撮影会の写真を持ち寄る日でもある。
やむなく、例会へは作品のみの参加。その準備をしているのです。
”ゴミ出しの道すがら”
西日本では37度を越えた所もあったという。
カミサンはコーラスの日。
私は家で静かに、写真のプリントをやっている。
来る22日の土曜日は、信州で、古希を祝う小学校の初の同窓会が開かれる。
この日は、写真クラブの例会で、先日の銚子撮影会の写真を持ち寄る日でもある。
やむなく、例会へは作品のみの参加。その準備をしているのです。
ところが、高校は別である。
私は高校時代は劣等感にさいなまれて「暗かった」。
こう書くとウソである。部活に写真に楽しくて楽しくて仕方なかった。
その裏返しが勉強。楽しめば楽しむほど人から離されていく。
数年前まで、高校時代を心の中で封印していた。
夕方、宅配便の本が届いた。
高校卒業50周年を記念した記念誌を送ってきたのだ。
一学年7クラスあって、私は7組。担任は英語の先生だった。
当時の写真(白黒)をふんだんに使って、多くの人が寄稿している。
”卒業50周年記念誌”
学校には規制らしい規制は一切なかった。
多少のことは多めに見ていたし、先生も生徒を暴走しないと信頼していた。
60年「安保反対」のデモを県下で初めてやった高校でもある。
当時のことを読み返すと、「樺美智子さんの死を悼む」「静かな勉強の場を与えて下さい」。「・・」。
先生たちの配慮て゛「安保反対」は出さず。政治色を強く出さない配慮がギリギリされていたことなどが分かる。
そんななか唯一「安保賛成」を公然と主張した、造り酒屋の倅。今は息子に家業を譲り、元気な彼が、当時の思いをつづっている。彼もまた大したものである。
修学旅行の京都で、先生が300円くれて初めてパチンコをやった話。 コンパに先生が酒の差し入れをしてくれた話。
向かいの女子高(カミサンの母校)のブロンズの女性裸像に、ブラジャーをつけに行ったのは、私とされているが、断じて私ではない、と今もって潔白を主張する人。
世界を股にかけて飛び歩いた人、秀才のまま教授になった人。皆が古希を迎える。
12歳の同窓会と、18歳の卒業記念誌。 思い出の心の振れ幅は大きい。