↑ 本家での出征を記念しての写真。
だから今から70数年前の写真だ。
11月に喪中はがきをもらって、私の父の従弟に当たる人が亡くなった事を知った。
信州の従弟から電話が来て、お互いに両親の葬儀には来てもらっているから、
年内にも一度お線香をあげに伺う事になった。
私のおじいさんの本家の跡取の一番年下の兄弟だ。
話のタネにと本家に関係した写真を探したら上の一枚くらいしか見当たらない。
私が生まれるかその直後のの写真だ。故人が写っているに違いないが特定できない。
濃いセピア色に染まったはがき大の写真を複写して、
PC画面いっぱいに広げたら、昔の人たちの視線の強さにに圧倒された。
信州からくる従弟とは西武新宿線野方駅で、
午後一時に待ち合わせることにした。
↓ 環七の真上にホームがある野方駅。
初めて伺う家だけれども、
グーグルの地図に住所を入れたらストリートビューで、一発で玄関がでた。
拡大すると表札の字もうっすらと判読できる。
↓ 伺ったお宅でも写真を用意していた。
81歳の奥さんが結婚して信州へ挨拶に行った時の写真だという。
中央が新婚の奥さん、撮ったのは亡くなったご主人だという。
なんと、私の母も、一緒に行った従弟の母も写っているではないか。(左から三番目と四番目)
名刺サイズの写真をその場で撮らせてもらった。 ↓
時を経ると、こういう写真の重さがビンビンと伝わってくる。
過ぎてきた時の重さがそうさせているのだ。
もうこれがお互いにお義理としては最後になるだろう。
お墓は信州にもあるが、八王子に新たにお墓を買ったという。
小一時間いておいとました。
息子さんたち夫婦も、玄関から出て角を曲がるまで見送ってくれた。
従弟はそのまま新宿に戻り、少し新宿をぶらついて中央線で帰るという。
実は私は東京生まれ(2~3歳まで)。
高円寺に住んでいたことがある。
20代以来来ていなかった親戚の家のあたりを歩いて、
都立家政駅から帰途に就いた。
↓ 都立家政駅
↓ 急行に乗り換えた鷺宮駅。
↓ 帰ってきました。雲一つない快晴の一日でした。