”旧山古志村 虫亀地区闘牛場”(8月3日)
旅の4日目。帰宅する日です。
実は前日の夜から迷いがありました。
長岡の花火大会の2日目なのです。
以前から一度は行って見たいと思っていたので、
こんな機会にと欲張ったのですが、
この地に不案内で、すでに昼間から交通規制で渋滞気味。
欲張ることはやめて、この山古志村に寄って行くことにしたのです。
旧山古志村は、日本の原風景の場所とも言われ、来たことはあったのですが、
2004年の中越地震で大きな被害が出てからはずっと来ていなかったのです。
旅の4日目。帰宅する日です。
実は前日の夜から迷いがありました。
長岡の花火大会の2日目なのです。
以前から一度は行って見たいと思っていたので、
こんな機会にと欲張ったのですが、
この地に不案内で、すでに昼間から交通規制で渋滞気味。
欲張ることはやめて、この山古志村に寄って行くことにしたのです。
旧山古志村は、日本の原風景の場所とも言われ、来たことはあったのですが、
2004年の中越地震で大きな被害が出てからはずっと来ていなかったのです。
”虫亀地区闘牛場”
闘牛も復活したと聞きましたが、
この場所ではありませんでした。
観客席は傷みもありましたが、
鉄骨で可動式の日よけ装置が付いているなど、
闘牛への地域の意気込みの大きさを感じます。
この日もう1か所で闘牛が行われていましたが、
観光バスも来て駐車場はいっぱい。
車を止めて少し上り坂を歩くようです。
スピーカーの音だけを聞いて見物は見合わせました。
闘牛も復活したと聞きましたが、
この場所ではありませんでした。
観客席は傷みもありましたが、
鉄骨で可動式の日よけ装置が付いているなど、
闘牛への地域の意気込みの大きさを感じます。
この日もう1か所で闘牛が行われていましたが、
観光バスも来て駐車場はいっぱい。
車を止めて少し上り坂を歩くようです。
スピーカーの音だけを聞いて見物は見合わせました。
”山古志支所の錦鯉”
(カミサン作マーク)
何度か来たといっても、この地域はちっとも覚えられません。
支所に寄って観光パンフレットをもらい、
中越地震で水没した集落を記念として残してある場所に行って見ました。

何度か来たといっても、この地域はちっとも覚えられません。
支所に寄って観光パンフレットをもらい、
中越地震で水没した集落を記念として残してある場所に行って見ました。
”水没した山古志村木籠(こごも)地区”
2004年10月23日、中越地震による
土砂崩れで、川がせき止められダム湖となって
この集落は水没しました。
今はその跡を復興のシンボルとして残すことにしたのです。
観光バスが来ていて、かなりの喧騒になっていて、
お茶のいっぱいでもと思ったのですが、
売店が込み合っていたので入りませんでした。
時間が悪かった。

2004年10月23日、中越地震による
土砂崩れで、川がせき止められダム湖となって
この集落は水没しました。
今はその跡を復興のシンボルとして残すことにしたのです。
観光バスが来ていて、かなりの喧騒になっていて、
お茶のいっぱいでもと思ったのですが、
売店が込み合っていたので入りませんでした。
時間が悪かった。
写真を撮っている橋は、当時はなくて、
震災復旧後この高さに道路が通されて作られた橋です。
遠くの高台に見えている家々は震災後建てられた住宅だそうです。
もう住めない。住まないと分かっていても、屋根にシートをかける
主の心情に思いを巡らせました。
復興記念として観光資源として残す。たくましいことです。
元には戻らないという現実は受け入れざるを得ませんから。
震災復旧後この高さに道路が通されて作られた橋です。
遠くの高台に見えている家々は震災後建てられた住宅だそうです。
もう住めない。住まないと分かっていても、屋根にシートをかける
主の心情に思いを巡らせました。
復興記念として観光資源として残す。たくましいことです。
元には戻らないという現実は受け入れざるを得ませんから。
”写真家加藤富二氏「光彩の家」の庭からの棚田”
山奥とはいえ容赦なく暑い。
真昼間は写真にならないからと、村営の福祉センター?に入った。
お風呂も休憩も出来る。私たちは休憩用の個室を頼んだ。
お茶を持ってきてくれた職員のおばさんと話をしていると、
「写真を撮るんだったら、この辺の事はなんでも知ってる写真家がいる。
その人に聞けば良い。私の家の近所だ」という。
「行ってみる」と言うと、電話してやるからとわざわざ取り次いでくれた。
後で分かった事なのですが、この地域を20年以上撮り続けたいる写真家で、
加藤富二さんと言うプロの方なんです。
カメラ雑誌や風景専門の雑誌に写真をいっぱい発表されている方でした。
「光彩の家」と言って二階をギャラリーにしていて、
一緒に廻って展示写真の説明をしていただきました。
「これから夕方にかけておすすめの場所はありますか」と聞くと、
「ここは夕方より、明け方が良い」と言いながら地図にいくつかのポイントを印してくれました。
この加藤さんのお宅の前からの棚田も良い場所です。
山奥とはいえ容赦なく暑い。
真昼間は写真にならないからと、村営の福祉センター?に入った。
お風呂も休憩も出来る。私たちは休憩用の個室を頼んだ。
お茶を持ってきてくれた職員のおばさんと話をしていると、
「写真を撮るんだったら、この辺の事はなんでも知ってる写真家がいる。
その人に聞けば良い。私の家の近所だ」という。
「行ってみる」と言うと、電話してやるからとわざわざ取り次いでくれた。
後で分かった事なのですが、この地域を20年以上撮り続けたいる写真家で、
加藤富二さんと言うプロの方なんです。
カメラ雑誌や風景専門の雑誌に写真をいっぱい発表されている方でした。
「光彩の家」と言って二階をギャラリーにしていて、
一緒に廻って展示写真の説明をしていただきました。
「これから夕方にかけておすすめの場所はありますか」と聞くと、
「ここは夕方より、明け方が良い」と言いながら地図にいくつかのポイントを印してくれました。
この加藤さんのお宅の前からの棚田も良い場所です。