詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

寺山修司についてー

2010年03月31日 | 
同時代の詩人・物書きだな・・と初めて思ったのは寺山修司からだった。
でもずっと慢性的な金欠病だったので、彼の演劇も一度も観たことがない。
脚本を読みながら想像するばかりだった・・

どっちかというと彼の短歌・俳句の方が好きだったけど、でもこの詩は今でも好きだ。
ー昭和十年十二月十日に
 ぼくは不完全な死体として生まれ
 何十年かかって
 完全な死体となるのである
 ・・・・・・・・
 ぼくは
 世界の涯てが
 自分自身の夢のなかにしかないことを
 知っていたのだ
    (「続・寺山修司詩集」より)

◆寺山修司についてはー『ここ』

世界と折り合いをつけるための「四要素論」(勝手に命名)と夢の復権

2010年03月31日 | 歴史
この「四要素論」は、生まれついて唯物論者の僕が、高校で遺伝子の文字が四つと知って以来物事を考える際の尺度にしている考え方だ。

物質の極大極小分野(宇宙、素粒子)も、生命の極大極小世界も四つの要素からなっていて、それらは類似し連関しているのではないなと思う。何処まで拡小しても相似的なフラクタル図形のように・・

宮沢賢治の手帳にも、それと似たような易についての書き込みがある。ただ易の場合はそれを循環的に繰り返すだけだけれども(易の入門書として推薦したいのはSF作家ディックの「高い塔の男」・・第二次世界大戦で日独が勝利して殖民地となったアメリカが舞台の物語)

最近あまり本を読んでないので、もう現在は以前読んだ時代のように・・宇宙構成要素や恒存する素粒子や遺伝子の文字が四つではないのかもしれないが、それは不完全な人間にはまだ解明不能なだけなのかもしれない。

「進化論」(過去遺産継承、多様化、突然変異、共生)や、夢の構造(シャッフル、シャーマン的予言性、類としての記憶への遡行、問題解決性)さえも、四つの要素から考えることは決して無益ではないなと思う。
フロイトやユング心理学で始まったばかりだけれども、とりわけ夢には新しい時代を予感させるものがあると思える。

シベリアや新大陸では(古代日本でも)、夢がシャーマンとしての資質を図る尺度にされてきた。とりわけ、臨死体験を人工的に作り出す成人儀式(イニシエーション)や過酷な放浪・修行の途上での・・
そしてそれらと同じ環境を、人工的に作りだすために利用された太鼓の音や、きらびやかな装身具や、麻薬等・・